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「水と安全はタダだと思っている」とは、日本人の平和ボケを揶揄した喩え。我が国は狭い国土ながら相応に標高・海抜のある山脈持つ島国であり、世界でも屈指の降水量を誇る国であるため、「蛇口をひねれば飲用可能な水道水が迸り、それも相当安価である」状態を「普通」と考える日本人は今でも多い。これが「安全」ともなると輪をかけて酷くなり、「国の安全保障の基本は軍事力である」と言うごくごく当たり前の主張にも目くじら立てる日本人には事欠かない。「水」も「安全」も、「あって当たり前」と思える事が如何に幸運で有り難い事か。歴史や地理を通じて「思考の地平線」を拡張することの意義の一つが、そこにあろう。
「言論の自由」「学問の自由」は「水」や「安全」程には取り沙汰されないが(*1)、それでも我が国は共産党一党独裁体制下の中国や北朝鮮、ウリナラマンセー国粋主義が猖獗極める韓国に比べると随分マシな状態にある。その我が国の「言論の自由」「学問の自由」の有難味が判っていないと、こんな間抜けなコラムになる。
<注釈>
(*1) また、神ならぬ身の人が為す事故(ことゆえ)、如何なる体制も完全完璧には程遠いが。
【東京新聞】【私説・論説室から】安重根をもっと知ろう
2014年2月17日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2014021702000120.html
韓国人、安重根(アンジュングン)。約百年前の独立運動家で明治の元老、伊藤博文を暗殺した人物。日本の歴史教科書にも載っているが、事件現場の中国ハルビンに一月、安の記念館が開館し、中韓両国が抗日の英雄としてたたえた。日本政府は反発し、外交問題に発展した。だが、安の生涯はとても興味深い。明治維新を評価し、近代化を進める日本は韓国の独立を認めるはずだと考えた。獄中で書いた論文「東洋平和論」では、韓国と日本、中国が手を携えて欧米列強に対抗しようと訴えた(*1)。
死刑を言い渡され中国・旅順の刑務所に服役したが、看守や医務官、通訳までその人柄に引かれた。助命嘆願の動きもあった。書が達者で、求められるままに漢詩、漢文を書いた。看守らがひそかに日本に持ち帰り、子孫が戦後、ソウルにできた記念館に寄贈したりした。死の直前には「東洋に平和が訪れ韓日の友好がよみがえったなら、生まれ変わってお会いしたいものです」と語ったという。(山本勇二)
安については、中韓両国が歴史問題での「反日共闘」という政治的な目的に使い、日本政府は伊藤暗殺だけに焦点を当てて「テロリストだ」と言い切ったが、史実はもっと複雑だ。伊藤が当時の指導者の中では韓国併合に最も消極的だったことも含め、日韓の歴史にもっと関心を持ってほしい。近くの図書館に行けば、安重根を題材にした本が何冊かあるはずだ。
<注釈>
(*1) 「東洋平和論」と言う言論と「伊藤博文首相(当時)暗殺」と言う実行は、真っ向から対立する。而して「死刑判決」は「伊藤博文首相(当時)暗殺」と言う実行に対して科された罰である。であるならば、「獄中で書いた論文」は、「助命工作」と考える事も出来る。
賭けても良いが中韓の図書館にある安重根本は極めて偏って居よう
さて、如何だろうか。
一見正論である。
1> 安については、中韓両国が歴史問題での「反日共闘」という政治的な目的に
使い、
2> 日本政府は伊藤暗殺だけに焦点を当てて「テロリストだ」と言い切ったが、
3> 史実はもっと複雑だ。
使い、
2> 日本政府は伊藤暗殺だけに焦点を当てて「テロリストだ」と言い切ったが、
3> 史実はもっと複雑だ。
と、「安重根に対する評価の多様性を訴えている。ここまでは私(ZERO)とて首肯できる処である。
ところがその〆の一文は・・・
4> 近くの図書館に行けば、安重根を題材にした本が何冊かあるはずだ。
…これまた「一見した処正論」ではある。
だが、良く考えるとそうは行かない。「安重根を題材にした本」は、十中八九「「反日共闘」という政治的な目的」に適った本である。そちらの方が「本としての話題性に富む」のだから当然だ。「安重根はタダのテロリスト」と捉える本は、「世界史テロリスト列伝」みたいな相当趣味に走った本か、伊藤博文を題材にした本ぐらいだろう。「犬が人を噛んでもニュースにならず、人が犬を噛めばニュースになる。」のと同じ道理だ。
これが「中韓の図書館」となると更にひどい事は確実だ。そもそも「安重根はタダのテロリストと捉える本」が刊行される事さえ難しかろう。況や、「中韓の図書館」にそんな本が並んでいた日には、「親日図書館」として焼き討ちにさえあいかねない。「そんな馬鹿な!」と断言できれば幸いなのだが、また上掲東京新聞コラムを書いた山本勇二記者ならば断言しそうであるが、私(ZERO)にはとてもそんな断言は出来ない。
ハナッから「宗教の違う」東京新聞記者にあれこれ言っても始まらないだろうが、上掲コラムに表れる山本勇二記者の視点からして、随分「中韓寄り」だ。「人格者の犯行ならば殺人も無罪になる」訳では無かろう。社会的貢献や人徳は、「情状酌量」として量刑に影響する程度だ。「その情状酌量が不足で死刑判決・執行となった」と言う主張なのかも知れないが、一国の首相を暗殺するテロに対する死刑判決・執行が「書が上手い」だの「看守が助命運動を行うほどの影響力」だので覆され、軽減されると言うのは、相当恣意的な判決であろう。
別に東京新聞や山本勇二記者が中韓寄りの「安重根英雄論」であるのは構わない。が、中韓を我が国同様・同等の「言論・学問の自由ある国」かの如く扱うのは、承服しかねる。
言い換えれば、中韓では図書館に行っても、「史実の複雑さ」など、判らないのである【強く断言】。