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先行記事「憎まれっ子世に憚る? http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38867135.html」にて私(ZERO)は、森元首相の浅田真央選手に対する「暴言」を取り上げ、それが「憎まれ役覚悟の叱咤激励である可能性」を指摘した。私(ZERO)は森元首相の肩を持つ心算は無いし、「憎まれ役覚悟の叱咤激励」はあくまでも「可能性」の一つであって、「きっとそうであるに違いない」と言う確信は無い(*1)。が、「憎まれ役覚悟の叱咤激励である可能性」を一顧だにせず「森元首相暴言」を非難するのは、そりゃ「勧善懲悪の正義の味方面」で気持ちは良いかも知れないが、浅慮と言うモノであろう。殊に、可能性は低いかも知れないが、「森元首相暴言が本当に憎まれ役覚悟の叱咤激励であった場合」は。
デカルト流の論理(*2)を用いるならば・・・・
「森元首相暴言は、「憎まれ役覚悟の叱咤激励」であったか、なかったかの、何れかだ。
私(ZERO)は森元首相暴言を非難するか、否かの、何れかだ。
この内、私(ZERO)にとって一番都合が悪いのは、森元首相暴言が「憎まれ役覚悟の叱咤激励」であり、且つ私(ZERO)が森元首相発言を非難した場合だ。
故に、私(ZERO)森元首相発言を非難せずにおいて、私(ZERO)のリスクを最小にしよう。」
ある意味安全策であり、ある意味「姑息」とも言えよう。が、「勧善懲悪の正義の味方面」が実は大変な間抜け面であった、なんて事態に陥るよりは、マシであろう。まあ、そんな事は森元首相当人にしか、本当の処は「バレない」であろうが。
それはさておき、森元首相の暴言だか「憎まれ役覚悟の叱咤激励」だかに関わらず、後半戦フリースタイルで会心の演技をソチ五輪で披露した浅田真央選手の、凱旋記者会見が報じられ、「森元首相暴言」についてもインタビューされているので、引用しよう。言わば、先行記事「憎まれっ子世に憚る」の続報、である。
<注釈>
(*1) 「そうであって欲しい」と言う願望ならば、幾らかあるが。(*2) オリジナルは・・・「神は、存在するか、しないかの、何れかだ。私は神を信じるか、信じないかの、何れかだ。この内私にとって都合が悪いのは、神が存在し、且つ私が神を信じない場合だ。故に私は神を信じ、私のリスクを最小にしよう。」・・・だったと思う。
【産経】浅田「森さん、後悔しているのでは」 会見一問一答
2014.2.25 14:31 [浅田真央]
http://sankei.jp.msn.com/sochi2014/news/140225/soc14022514340008-n4.htm
日本外国特派員協会で記者会見するフィギュアスケートの浅田真央=25日午後、東京・有楽町
【Q1】 --東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相が「大事なときには必ず転ぶ」と発言した
【A1】 「終わったことなので何とも思っていないが、聞いたときは『あっ、そうなんだ』と思った。人間なので失敗することはある。仕方ないとは言えないとは思うが、自分も失敗したくて失敗しているわけではないので、それは違うのかなと思った。でも、森さんはそう思ったのではないか」
【Q2】 --森元首相は5年間、東京五輪組織委員会会長を務める予定だが、日本チームは耐えられるか
【A2】 「私は何とも思っていないが、ああいう発言をしてしまい、森さんは今、少し後悔しているのではないか」
只今の質疑応答美事なり
さて、如何だろうか。
何と言うか、タイトルにもした通り、実に見事なものだ。殊に、質問記者の悪意(*1)が滲み出るような上記【Q2】「森元首相は5年間、東京五輪組織委員会会長を務める予定だが、日本チームは耐えられるか」に対する【A2】の美事さは、産経記事が見出しに取るだけの事はある。
とは言え、上記【A1】~【A2】の浅田真央選手回答から読む限り、「森元首相暴言」は「後半戦フリースタイル開始前に浅田選手の元に届き、叱咤激励として受け取った」訳では無さそうだ。
1〉【A1】「終わったことなので何とも思っていないが、
2〉 聞いたときは『あっ、そうなんだ』と思った。
3〉 人間なので失敗することはある。仕方ないとは言えないとは思うが、
4〉 自分も失敗したくて失敗しているわけではないので、それは違うのかなと思った。
5〉 でも、森さんはそう思ったのではないか」
2〉 聞いたときは『あっ、そうなんだ』と思った。
3〉 人間なので失敗することはある。仕方ないとは言えないとは思うが、
4〉 自分も失敗したくて失敗しているわけではないので、それは違うのかなと思った。
5〉 でも、森さんはそう思ったのではないか」
と、軽いながらも批難のトーンであり、あくまでも「森元首相暴言」は「暴言」として浅田真央選手の元に届いている。上記1〉からすると、後半戦フリースタイル演技後に「森元首相暴言」が届いた可能性も相応にありそうだ。この場合、先行記事にした通り「森元首相暴言に、実害は無かった」とも言えるが、「叱咤激励を意図していたのならば、それは不発に終わった」訳でもある。
だが、もし「森元首相暴言」が後半戦フリースタイル演技の前に浅田真央選手の元に届き、その際の浅田選手の感想が上記2〉~4〉であるならば(*2)…此処は浅田真央選手の精神的強靭さに脱帽すべき処だろう。
無論、この場合も「浅田真央選手は森元首相暴言に奮起した」とは語られていないので、やはり「森元首相暴言が叱咤激励を意図していたのならば、それは不発に終わった」事になる。
ソチ五輪女子フィギュアスケート後半戦フリースタイルの演技も、上掲記事で見られる質疑応答尾も、浅田真央選手は実に美事である。称賛に値する。
それだけに鮮やかなコントラストをなすのが森元首相であろう。その「暴言」故に「叱咤激励を意図していたとしても不発に終わり」、「憎まれ役となった」不名誉だけが残ってしまった、ようだ。
森元首相が憎まれ役覚悟で叱咤激励を意図していたのならば、残念な処、ではあろう。だが、それは、浅田真央選手が「叱咤激励なぞ必要としなかった」という事であり、以って瞑すべしであろう。
だが人よ、名を問うなかれ。
不名誉に生まれ、不名誉に消える。それが、憎まれ役のさだめなのだ(*3)。
不名誉に生まれ、不名誉に消える。それが、憎まれ役のさだめなのだ(*3)。
<注釈>
(*1) 「あわよくば、森元首相批判を浅田真央選手から引き出して、東京五輪組織委員会会長を辞させよう!」ぐらいの悪意が垣間見えるのは、私(ZERO)だけではあるまい。(*2) 先述の通り、「森元首相暴言が届いたのはフリースタイル演技後」である可能性もあれば、上記2〉~4〉にしても浅田真央選手の正直な感想ではない可能性も、あり得るのだが。(*3) 知っている人しか知らないだろうが、白戸三平原作のアニメ「サスケ」オープニングのパクリだ。光ある処に、影がある。誠、歴史の栄光の陰に、数知れぬ忍者の姿があった。歴史に名を刻まれることなく、消えて行った忍者たち。だが人よ、名を問うなかれ。闇に生まれ、闇に消える。それが、忍者のさだめなのだ。