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 いやさ、長生きはするもんだ(*1)。事もあろうに朝日新聞が、少なくとも前安倍政権時代には安倍首相(当時)追い落としを「社是」と宣言した(とされる)朝日新聞が、安倍首相(現)に対し「提案する」と言うのだ。それも、「前安倍政権時代に靖国参拝できなかったのは痛恨の極み」と(こちらは)公言している安倍首相に対し、「靖国神社に代わる無宗教の国立追悼施設を宣言する」事を。
 
 まあ、ご照覧あれ。

 

<注釈>

(*1) と言うほど長生きは、まだしていないが。
 
【朝日社説】国立追悼施設―首相が決断さえすれば
2014年2月3日(月)付

【1】 日本と近隣諸国との間で、不信の連鎖が止まらない。

【2】 国際会議で、日本と中国の閣僚らが安倍首相の歴史認識をめぐって批判しあう。こんな姿を見せられた世界は、はらはらしている。

【3】 安倍首相は「対話のドアは常にオープンだ」と繰り返すが、もはやそれだけではすむまい。トゲを1本ずつ抜いていく具体的な行動を起こすときだ。

【4】 その第一歩として、首相に提案したい。

【5】 靖国参拝はやめ、戦争で亡くなった軍人も民間人も等しく悼むための無宗教の施設を新設すると宣言してはどうか。
 
【6】 首相は、新たな施設には「亡くなった方のご家族はお参りしないだろう」と否定的だ。

【7】 だが、遺族も一様ではない。
 
【8】 「靖国で会おう」との言葉を信じ込み非業の死を遂げたと悔やむ遺族。A級戦犯の前では手を合わせられない遺族。ほかの宗教を信じる遺族。

【9】 その存在を知りながら、「英霊に尊崇の念を表すのは当然」と一色に塗りつぶす首相の姿勢は乱暴すぎないか。

【10】 新たな施設に参拝するよう、遺族に強いるわけではない。いろいろな思いをもつ遺族や、外国の要人らに訪れてもらうための場だ。

【11】 そもそも、政治家はなぜ靖国に参拝するのか。首相に近い議員がブログに記している。

【12】 「靖国参拝の習慣はなかったが、政治家になって、遺族会にお世話になり、傷痍(しょうい)軍人会や軍人恩給連盟と交流するようになり、国民の代表として英霊にお参りする大切さを理解した」

【13】 動機はそれぞれだろうが、政治的要請という側面が大きいのではないか。それで近隣諸国との紛争の危険を高めているとしたら、代償は大きすぎる。

【14】 首相は新施設には「様々な意見があり、慎重に見極めたい」と語る。ならば「わだかまりなく追悼できる施設を」という声も真剣に検討してほしい。

【15】 首相の参拝を支持する人たち、とりわけ若い世代にも耳を傾けてもらいたい。

【16】 戦争の犠牲者を悼む気持ちは貴い。だが、靖国神社は単なる慰霊の場とはいえない。軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設だ。
 
【17】 首相ら政治指導者が参拝すれば、傷つく人が日本にもたくさんいる。米国のアーリントン国立墓地とは、決定的に違う。

【18】 「歴史を学ばぬ者は、歴史から報復される」。報復によっていちばん被害を受けるのは、未来ある若者たちだ。そのことを忘れないでほしい。

 

「民主党政権時代にやっておけば良かった」かね?

 さて、如何だろうか。
 
 正直、「朝日新聞が、安倍首相に対し、靖国神社に(今さら今頃)代わる"無宗教の国立追悼施設"設立宣言を出せと提案している。」などと言う私(ZERO)の想像力を絶するシュールな状況に、どこからどう突っ込んだものか戸惑うほどだ。
 
 再三繰り返す通り「殆ど生まれつきの右翼」を自認公言する私(ZERO)に言わせれば、「日本国首相は自衛隊三軍の最高指揮官であるが故に、靖国神社に参拝し、英霊達に敬意を表する義務を負う。従って、靖国神社に参拝しない日本国首相は、それだけで日本国首相失格である」。「A級戦犯分祀論」などの「英霊仕分け」なぞ実施すべきでは無いとも主張すれば、「無宗教の追悼施設」なんざ言語矛盾と断じているから、上掲朝日社説を読むまでも無く朝日新聞なんぞとはハナッから「宗教が違う」。
 
 だが、此処では敢えて彼我の「宗教の違い」を先ずは置いて、なるたけ虚心坦懐(*1)上掲朝日社説に見る「安倍首相への提案」を熟読するならば、先ずはその「提案理由」は、以下の様に抽出出来る。(例によって【】はパラグラフ番号)
 
理由(1) 韓中との関係改善・緊張緩和の第一歩にする【3】【4】
 
理由(2) 靖国神社に祀られたくない遺族も居る【8】
 
理由(3) 国会議員の靖国参拝には政治的要請が大きいから、これを取り除く【12】【13】
 
理由(4) 靖国神社は軍国主義と結びついている 【16】
 
…いや、こうやって列挙してみると、新ためて私(ZERO)と朝日新聞の間に横たわる海よりも深く山よりも高い「歴史認識の違い」を感じるな。
 
 大体、上記理由(1)からして噴飯ものだ。先行記事にもした通り、安倍首相が靖国参拝を見送り玉串料の奉納に「抑え」て、毎日新聞がその処置を社説で絶賛したときでさえ、中韓両国は「玉串料奉納は靖国参拝となんら変わらない」と断じ、「毎日新聞の絶賛と希望」をモノの美事に粉砕して見せている。どちらも国内事情で日本を攻撃する反日でないと政権維持すら危ういような国だ。無宗教でもなんでも新しい英霊追悼施設」とやらで「関係改善の第一歩」になるなんて、何を以って確信/保証できるのかね。
 ああ、「第一歩」だけで「関係改善」そのものでは無い処が味噌か何らかの理由(*2)で「関係改善」に至らなくとも第一歩とはなった」と主張出来る。だが、そんな「殆ど自己満足にしかならないこと確実な"関係改善の第一歩"」の為に我が国の失うモノの大きさと来たら…ああ、「見えないモノは見えない(*3)」奴には、言うだけ無駄か。
 
 「新たな追悼施設」の目的たる上記理由(1)からしてこの体たらくだ。その他の理由(2)~(4)と来たら、「噴飯もの以下」だろう。
 
 上記理由(2)は「戦没者遺族とその子孫」に「新たな追悼施設」賛同者を求めている。そりゃ「戦没者遺族とその遺族」とて千差万別だ。中には朝日新聞愛読者もあろうから、「新たな追悼施設」賛同者も居はするだろうが、普通に考えれば相当な少数派だ。「中韓の外圧」に便乗して「少数派の意見を実現」と言えば聞こえも良かろうが、それはある種の外患誘致であろうが。
 無論私(ZERO)の考えでは、戦没者は戦没者であるが故に、国が英霊として祀る必要がある。たとえ戦没者遺族やその子孫の圧倒的多数が「新たな追悼施設」を求めたとしても、「無宗教」なぞ、トンデモナイ。「無宗教で追悼」なんざ言語矛盾であるし、「無宗教の追悼施設」なんてモノは「誰も追悼しない施設に成り果てる」だけだ。
 
 上記理由(3)も酷いモノだ。政治家の靖国神社参拝に対する政治的要請がある?当たり前ではないか。国として戦没者を英霊として祀り、敬意を表しているのが靖国神社であり、靖国神社への参拝だ。その当たり前の事を「取り除いて」中韓に阿り、
 
1〉それ(靖国神社参拝に対する政治的要請)で近隣諸国との紛争の危険を高めているとしたら、代償は大きすぎる。
 
ってんだから、恐れ入る。英霊達を祀る事による国防上の利益などは朝日新聞には理解できない様だから置くとしても、近隣諸国との紛争の危険」程度で「国民の代表として英霊にお参りする大切さ」を蔑にしようとは、目先の利を追い腰が抜けるにも、程があろうと言うモノだ。
 
 上記理由(4)に至っては・・・
 
2〉 戦争の犠牲者を悼む気持ちは貴い。
3〉だが、靖国神社は単なる慰霊の場とはいえない。
4〉軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設だ。
 
これが日本の新聞社の、新聞社としての主張なのだから、言論の自由ある自由主義体制をありがたく想い、異論異説の多様性こそ民主主義の根幹且つ強みと信じる私(ZERO)と言えど、尚且つ上記2〉~4〉が私(ZERO)とは殆ど全ての点で異質である朝日新聞の主張であるとは言え、情けなくなって来る。正に中韓の反日プロパガンダそのものの表現なのは、「偶然の一致」ないし「全く独立した事象(*4)」と(かなり無理矢理)考えたとしても、多くの戦没者遺族とその子孫のみならず、一定範囲の国民が英霊達を偲び追悼し(*5)、戦後70年間含む設立以来追悼し続けてきた靖国神社を、上記4〉「軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設と、日本の新聞が公言主張してしまう情けなさったら、無いぞ。
 かてて加えて、非常に情けない上記理由(1)~(4)に基づき、安倍首相に無宗教の追悼施設設立宣言を提案しているのが、前安倍政権時代に凄まじいネガティブキャンペーンをやって安倍首相(当時)を「首相の座から追い落とした」と言って良い朝日新聞なのだから、上掲朝日社説の「本気度」からして大いに疑義がある。
 
 「安倍首相に対する対決姿勢を明確にしたかった」という事なのだろうか。つまりは新たなネガティブキャンペーンの、ちょっと手の込んだ一環という事か。
 
 或いは、単なる「民主党政権時代への郷愁」なのだろうか。なるほど、民主党三代首相のいずれもが「靖国神社に代わる無宗教の新たな追悼施設設立宣言」を決断しかねなかったから、な。

 

<注釈>

(*1) あくまで「なるたけ」だが。所詮、神ならぬ身の人が為す事、だ。 
 
(*2) 中韓は幾らでもイチャモンを付けて来るだろうから、そんな「理由」は掃いて捨てるほどある。 
 
(*3) 目先の利益は見えるが、悠久の大義は見えない  
 
(*4) 即ち、「上掲朝日社説は中国共産党や半島からの秘密指令・指示で書かれたものでは無い」
 
(*5) 必ずしも「慰霊する人ばかりでは無い」事は認めるし、私もその一人である事も認めるが。