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タイトルで、言いたい事は大体言い尽くされているように思う。
されば、まず問題の人民日報海外版記事を、御一読頂こうか。
【人民日報海外版】全ては教育に由来する 歴史教科書の改竄は許されない
2014年01月14日12:55 http://j.people.com.cn/94474/8512032.html
【1】 子どもを教育した経験のある人なら誰しも、子どもがまっさらな紙のようなものであり、教えられた通りに知識を吸収するということを知っている。だから「朱に交われば赤くなり、墨に交われば黒くなる」との名言があり、「悪人と居るは、鮑魚の肆に入るが如し。久しくして其の臭いを聞かず」との警句もあるのだ。人民日報海外版が伝えた。
【2】 日本政府は先日、国際化の過程で日本の生徒たちに必要となる自国領土に関する知識を伝えられるよう、中学・高校教科書の編集指針となる学習指導要領の解説書に釣魚島(日本名・尖閣諸島)と日韓の係争島を日本固有の領土と記すことを決定した。
【3】 この決定が近隣国の抗議を招くことは間違いない。これは日本の「通弊」と「頑固な病気」の新たな症状との考えで人々は一致している。1950年代以降、日本政府は教科書改訂問題で悪事を画策し始め、後に数回の教科書改訂を行い、その度に近隣国と世界的な注視の的となってきた。
【4】 日本の教科書問題の要点は侵略の歴史の改竄であり、その本質はどのような人間を育て、どのような道を歩むかという根本的是非の問題である。中でも第2次世界大戦前後の歴史は常に激しい争点となってきた。戦後、戦争責任を厳しく追及しなかったため、日本国民は戦争の性質について正しい認識を欠いている。これによって一部の日本人は歴史認識が混濁している。こうした認識を教科書に反映するのは論外だ。
【5】 かつて中国侵略戦争に参加した東史郎氏は著名な『東史郎日記(*1)』で「全ては教育に由来する」と公に認めた。
【6】 1950年代中期から日本文部科学省は右翼勢力の圧力の下で歴史教科書に対する検定を強化(*2)。1957年に岸信介が政権に就くと、「中国への侵略」を「大陸への進出」に改めるよう一部出版社に強いた(*3)。1982年6月、文部科学省は小中学校の歴史教科書の検定で「三光政策(*4)」を「抗日運動の展開によって、日本軍による治安確保を余儀なくされた」、朝鮮の人々による「独立運動」を「暴動」と改めさせた。1985年8月、右翼団体「日本を守る国民会議」のでっち上げた『新編日本史』は南京大虐殺について「まだ定説はない」と言いなし、日本の中国侵略戦争発動を「応戦を余儀なくされた」と言いなし、太平洋戦争を「欧米列強の支配からアジアを解放し、日本の指導下で大東亜共栄圏を建設」と美化した。
【7】 事の真相をすり替えて人を騙すこうした教科書を知れば、人々から奇怪と思われている日本人たちがなぜ至る処で「神道」を喧伝し、殺人を「神の与えた特権」と見なし、戦死すれば「神として」「参拝」の対象とするのかが理解できる。なぜ日本人の辞書が明らかな「侵略」をあくまでも「有理」「無罪」といなすのかが理解できる。なぜ国歌「君が代」に「君が代は千代に八千代に」とあり、首相や大臣など政治家がしばしば「失言」をし、「皇国史観」の喧伝を辞さないのかが理解できる。
【8】 これはなぜ安倍氏が公の場で厚かましくも「侵略定義未定論」を発表するのか、なぜ日本の民族の誇りをあちこちで強調するのか、なぜ憲法改正と軍事力発展を加速するのかの説明にもなる。
【9】 全ては教育に由来する。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年1月14日
<注釈>
(*1) 東史郎出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、 大日本帝国陸軍京都第16師団兵士。京都府出身。1937年に召集され、南京攻略戦に参加。戦後は、町会議員などを務める。1987年、中国戦線での体験などを記した日記を公開。同年、日記をもとにした著書も出版した[1]。1993年、著書の内容をめぐって元上官から名誉棄損で東京地裁に提訴され、記述に客観的証拠がないとして損害賠償を命じられた。2000年1月に最高裁で東の敗訴が確定した[1]。2006年1月3日、大腸癌のため死去[1]。93歳。死去に際して中華人民共和国政府[2]および侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館[3]から哀悼の意が示された。(*2) あの教科書が、ねぇ。(*3) これは朝日新聞の大誤報だ。(*4) 「光」に「尽くす」と言う意味は、日本語にはない。
なるほど、「反日愛国教育」を連綿と続けてきた訳だ
さて、如何だろうか。
俗に「他人の振り見て、我が振り直せ」とか、「以って他山の石とせよ」とか言う。何れも「自分自身の事は、自分自身ではなかなか判らない」と言う前提があって、それ故に「他人の振り」や「他山の石」が「我が振り」の修正や「自己の研鑽」に役立つと言う喩・教えである。
何故、上掲の様な一連の喩を想起したのかと言うと、上掲人民日報海外版記事「全ては教育に由来する 歴史教科書の改竄は許されない」が、「日本の歴史教科書」を「改竄」と非難しているから、である。人民日報海外版が左様批難しているという事は、中国共産党が非難しているという事に他ならない。中国は教科書は国定であるばかりか、言論の自由思想信条の自由が基本的に無い国であり、当然ながら学問の自由も無い。基本的に中国共産党子飼いの御用学者しか居ないのが中国であり、そんな御用学者先生達が書いた国定教科書が中国の教科書である。「悪の日帝支配から中国を救った中国共産党」と言う「共産党救世主伝説」に満ち溢れ、「反日愛国教育」を担ってきたのが中国の教科書である。なるほど、上掲人民日報海外版記事にある「東史郎」の「全ては教育に由来する。」という警告を、「過去を支配する者は未来をも支配する」と言う「1984」は真理省の教えを、連綿として実践・実施し続けて来たのは、他ならぬ中国共産党だ。
遡れば、大陸は支那の歴史・史学と言うのは、学問と言うよりは政治活動なのであり、史学は御用学者の御用学に他ならない。
新しい王朝が成立する(*1)度に、真っ先にやる事が、如何に前王朝が非道不当であり、現王朝が正当であるかを称賛・証する「正史」を編纂する事。正史以外の史書は「野史」として「異端視される」位ならマシな方で、下手すりゃ「焚書坑儒」の故事の通り、史書と史学者纏めて火あぶり・生き埋めにされてしまう。
これを王朝交代=易姓革命の度にやっているんだから、そりゃ「史書」の数は多くあり、「王朝の数だけ正史がある」事を以って「史書が豊富だ」と言うのは大陸は支那の自慢の一つだが、「現王朝の正史のみが歴史書で、後は前王朝以前の正史も含めて全て野史」が基本であり(*2)、「学問の自由」と言うモノが「根源的に無い」状態では、その「豊富な正史」も殆ど役に立たない。あくまでも「現王朝の正当性を讃える正史」こそが「正しい歴史認識」であり、それ以外認めないのだから。
実に恐るべき「魂の牢獄」である。我が国最古級(*3)の文献にして史書たる「日本書紀」が、「一書に曰く」として異論異説を併記している(*4)のとはえらい違いだ。魂の自由を愛してやまない私(ZERO)としては、大陸は中国共産党支配下に生れ落ちなかった幸運に感謝すると共に、そんな「魂の牢獄の監獄長」中国共産党が、我が国の歴史教科書に「歴史教科書の改竄は許されない」と銘打って「正しい歴史認識」を強制しようと言うのだから、「片腹痛い」どころではない。上掲人民日報海外版記事であれやこれや美辞麗句を連ねているが、詰まる所その「正しい歴史認識」とは「中国共産党救世主伝説」であり、「現王朝の正史」以外の何ものでもない。言うなれば、我が国に対する思想侵略だ。
まあ、尖閣諸島は愚か沖縄まで「核心的利益」などと言い出して領土的野心を剥き出しにしている中国共産党政権だ。我が国教科書を通じての思想侵略を試みたとて、異とするには当たるまい。かつて、「日本軍の"侵略"と言う記述が"進出"に書き換えられた!!」と言う朝日新聞の大誤報に端を発して発生した「教科書問題」では、「近隣諸国の心情に配慮する」などという「近隣諸国条項」を勝ち取った大陸は支那・中国(*5)だ。今回それをさらに拡大発展させられれば幸いであるし、言うだけならタダであろう。
1〉 1950年代中期から日本文部科学省は右翼勢力の圧力の下で歴史教科書に対する検定を強化。
とし、殆ど大東亜戦争終結直後、朝鮮戦争の頃から連綿として我が国は「右翼勢力の圧力の下で歴史教科書」を使った偏向教育を実施し、その結果、
① 大東亜戦争に対する正しい歴史認識を欠き、歴史認識が混濁 【4】
② 「神道」を喧伝し、殺人を「神の与えた特権」と見なし 【7】
③ 戦死すれば「神として」「参拝」の対象とする 【7】
④ 「皇国史観」の喧伝を辞さない 【7】
⑤ 安倍首相が憲法改正と軍事力発展を加速する 【8】
となっているんだそうだ。
先述の通り上記①は中国共産党の都合でしかない。
上記②は何のことを言っているのか判らない。神道は教義は曖昧で原則布教はしない。曖昧な教義では「殺人を神の与えた特権と見做す」なんて不可能だ。
上記③は、「日本人は、死ねば大抵仏様になる」で済み。死生観・宗教間の相違でしかない。
上記④は「中国共産党救国伝説の喧伝」には比べるべくもないが、そもそも歴史観は人の数だけあるのが「魂の自由がある」という事だ。日本が未だ中国共産党支配下に無いと言う証左であろう。
上記⑤は、そりゃ中国共産党には都合が悪かろうが、我が国の自由であろう。
詰まる所、上記⑤と言う「不都合」を阻止するための上掲記事「新たな日本教科書批判」と言う処の様だ。と同時に、我が国の「東京裁判史観」、「自虐史観」、はては「司馬遼太郎史観」が如何に中国共産党にとって好都合なモノであるか(*6)を、如実に物語っている。
「全ては教育に由来する」と言う上掲記事の主張は、いろんな意味で正しいな。
<注釈>
(*1) これがまた、下手すると一、二世代で起こる。(*2) ああ、現王朝の正史・正当性を阻害しない範囲に於いては、「野史」の存在も認められるだろう。現王朝の正史・正当性を裏付ける「野史」ならば、もっと認められるだろう。が、あくまでも存否の判定基準は「現王朝の正史・正当性」だ。(*3) 「文字の導入が遅かった」というのも、あるが。だが、下手に早期に文字を導入したら、日本語は今の様に確固として存在しえなかったろう。(*4) 日本書紀に併記された異論・異説が「全て」と主張する気は毛頭ない。だが、「異論・異説があり得る」と公式に日本書紀が認めて居る事は、疑いようがない。(*5) と、半島は韓国(*6) 「あったか」と、過去形にしたい処だが。