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【NW】靖国参拝はお粗末な大誤算
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/01/post-3150.php
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安倍首相靖国参拝の損得勘定
【】は小見出し番号
安倍首相靖国参拝による利益
(1) どの国の指導者も戦没者に敬意を表する権利がある 【1】
(2) 安倍首相の「個人的信念」 【1】
安倍首相靖国参拝による損失
(1) 中韓が、「やはり日本は第二次大戦中にやったことを反省していない」と勢いづく 【1】
北東アジア諸国の対立を悪化させる 【2】
(2) 「むしろ地域の緊張を高めかねない」として、米政府が批判する 【1】
(3) 安倍に対する失望感がアメリカに定着してしまう【2】
(4) 日米間に亀裂を見出した中国、韓国、北朝鮮が図に乗る 【3】
.「見えないモノ」の価値
安倍首相の靖国神社参拝による利益を、上記利益(1)「国の指導者が戦没者に敬意を表する権利」と上記利益(2)「個人的信念」のみと、表層的・一面的に捉えるだけならば、その利益は上記損失(1)「中韓に対する挑発」から上記損失(4)「中韓北の跳梁跋扈」に至る「愚かな挑発」とも「お粗末な大誤算」とも言い得よう。だが、前述の通り上記損失(4)に至るのは、上記損失(3)「米政府の安倍不信定着」故であり、その前提が上掲記事にもみられる「靖国参拝は戦略的ミス(*1)/愚かな挑発」であるならば、「靖国参拝の利益」を上記利益(1)~(2)以外に挙げることで、少なくとも反論となりえよう。その「追加利益」を米国・米国人が是とするか否かは、議論の余地があるとしても。
で、漸く我田引水(*2)「日本国首相が靖国神社に参拝する事は、国防上の利益である」と言う当ブログにいくつも記事をアップした主張にもつながれば、冒頭に引用した西部劇「エル・ドラド」主題歌歌詞にもつながる訳だ。
再三繰り返している通り、日本国首相は靖国神社に参拝し、英霊達に対する敬意を日本国として明らかに表明すべきである。これは、我が国の為に命を捧げた方々=英霊達に対する「国家指導者としての権利」と言うばかりでは無い。我が国の為に命を捧げた方々に、我が国は敬意を表し、敬意を表し続けると言う意思表示である。
首相の靖国参拝は、英霊達に対する追悼と鎮魂と言う意味も当然あるが、そればかりでは無い。今後靖国神社に祀られることになる人々に対しても「国としては敬意を表し続ける」と言う約束でもある。そんな「英霊達に続く者」が「不要である」と言うのは、ある種の理想状態である。そんな状態に我が国があり続ける事は、私(ZERO)ですら望む処であるが、そんな理想状態で未来永劫あり続けると期待するのは愚かだ。
「英霊達に続く者」が「必要になった」時、そんな者が居なければ、国としては亡ぶしかない。
従って、国の存続を望む以上、「英霊達に続く者」維持涵養するのは、国として当然である。従って、「国の指導者が戦没者に敬意を表する」のは、単に権利と言うばかりではなく、「国の指導者としての義務」でもある。
「戦争準備」?然り。ある意味その通りだろう。
だが、「戦争準備の無い国が、戦争になってしまう」のが一番困る状態。それを防ぐため、国は通常戦争準備を万端怠りなくする。その戦争準備に欠陥がある/知られると言うのは戦争誘因であるから、「戦争準備をしない」なんてのは論外だ。「必ず負けますから、戦争を仕掛けて下さい」と宣伝しているようなものだ。
だが、「戦争準備の無い国が、戦争になってしまう」のが一番困る状態。それを防ぐため、国は通常戦争準備を万端怠りなくする。その戦争準備に欠陥がある/知られると言うのは戦争誘因であるから、「戦争準備をしない」なんてのは論外だ。「必ず負けますから、戦争を仕掛けて下さい」と宣伝しているようなものだ。
無論、「存続を望まない国」ならば、この限りではないだろう。あるいは「存続してはいけない国」も、「国の指導者が戦没者に敬意を表する」義務を免れるだろう。
だが我が国は、大化の改新から数えても13世紀ほど。今年が皇紀2674年なのはある程度フィクションではあるが伝説でもあるし、万世一系に至っては相当程度真実だ(*3)。「存続を望まない」どころか「最後まで存続すべき国」こそ我が日本であると、私(ZERO)は主張する。従って日本国首相は靖国に参拝して我が国の存続をより確かにすべきであるし、安倍首相に限らず日本国首相の靖国参拝には「我が国の安泰」と言う大いなる「利益」がある、と主張する。
なるほどこの「利益」は直接的でも短期的でもない。「目に見えない」利益とも「目に見えない以上、そんな利益は無い/無いに等しい」とも言い得よう。
だが、本当にこの「目に見えない」利益に、価値は無いのか。首相の靖国神社参拝を「愚かな挑発」と、断じてしまえるほどに。
冒頭に引用した西部劇「エル・ドラド」主題歌歌詞に曰く。
「昔、父が教えてくれた。
見えるモノより、見えないモノを探せ。」
見えるモノより、見えないモノを探せ。」
「見えないモノ」にも価値がある。少なくとも「価値がある可能性はある」と、この歌は教えて居まいか。
無論、「見えないモノ」を「見る」のは「心」である。
如何に、News Week誌。
如何に、国民。
如何に、米国民。
<注釈>
(*1) 原文タイトル「A Strategic Mistake 」による(*2) 牽強付会、ではないと思う(*3) 神武天皇陛下以来の皇統に、断絶があると言う説が仮に真実だとしても。絶えてしまったものも数多ある西欧諸国の王朝が、何世紀遡れる?米国なんざハナッから王朝すらない「近代国家」だが、僅か建国200年かそこらだ。