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 かつての名優・ハンフリー・ボガードの名セリフに曰く。
 「強くなければ、生きてゆけない。
  優しくなければ、生きてゆく資格が無い。」
 より正確に言うならば、この名セリフはレイモンド・チャンドラー作のハードボイルド小説「プレイバック」の主人公・私立探偵フィリップ・マーロウの科白、なのだそうだ。これが映画化された際、フィリップ・マーロウ役をハンフリー・ボガードが演じたために、「ハンフリー・ボガードの名セリフ」としても有名になった(*1)、という事らしい。
 実の処私(ZERO)は、この名セリフを含む映画も見て居なければ、小説も読んでいないのであるが、逆に言うと映画も小説も知らないがこの名セリフだけは知っている。それだけインパクトのある名セリフ、とは言えよう。
 この名セリフの背景にあるのは、「"強さ"と"優しさ"は相容れない」と言う思想ないし発想であろう。事実、上掲名セリフは、女性の「どうして貴男みたいな強い男が、優しくなれるの?(*2)」と言う問いに対する答えである。「強いばかりで優しくない」奴とか、「優しいばかりで強くない」事例は世の中掃いて捨てるほどあろうから、この思想ないし発想は一定の説得力を持つ。
 だが、「生きるために必要な"強さ"」と「生きる資格を与える"優しさ"」と、何れを優先すべきかと問われれば、これはもう文句なく前者「生きるために必要な"強さ"」である。死んで花実が咲くモノか。生きてあればこそ「優しくなる」可能性は残る。いくら優しくたって、強くないが故に死んでしまっては、その時点でその「優しさ」も御終いだ。「優しさに殉じる事で後世に名を残す(*3)」可能性は一応あるが、「宋襄の仁」ですら賛否両論いずれもあるのだから、「優しさに殉じて後世に名を残す死に方」なんてのは、滅多に出来るものでは無い。それこそ聖人に列される(*4)程の「優しさ」と「殉じ方」が必要だろう。即ち、常人・凡人では到底目指せない。況や、数多の常人・凡人を擁する組織や国家が目指すべきではない。
 
 であると言うのに、東京新聞と来た日には・・・

 

<注釈>

(*1) ないしは「勘違いした」。 

(*2) 逆だったかも知れない。何しろ私(ZERO)は、映画も小説も直接は知らないのだから。
 
(*3) そうする事で後世の「優しさ」を増す。 

(*4) には、キリスト教徒でないといけない事になりそうだが。 
 
 
【東京社説】年のはじめに考える 「強い国」って何だろう
2014年1月7日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014010702000148.html
【1】 二〇一四年の日本政治が始動しました。政権二年目に入った安倍晋三首相は「強い日本」を目指すと言いますが、国の強さとは、いったい何でしょうか。

【2】 安倍首相はきのう伊勢神宮を参拝し、年頭の記者会見を行いました。例年より二日遅い始動です。
 
【3】 この年末年始、首相は映画やゴルフに出掛けたり、地元・山口県で過ごしたり。英気を養い、気持ちを新たにしたことでしょう。

【4】 一月下旬には通常国会が始まります。歳出規模が九十六兆円近くまで膨れ上がった一四年度予算、昨年末の首相靖国参拝など、野党側は厳しく追及する構えです。

◆絵本が描く「戦争」
【5】 首相は元日付で発表した年頭所感で、経済政策の転換や震災復興への取り組み、国家安全保障戦略策定など政権一年目を振り返り、「『強い日本』を取り戻す戦いは始まったばかり。長く厳しい道のりを緊張感を持って進む覚悟を新たにしている」と表明しました。
 
【6】 「強い日本」は安倍首相お気に入りのせりふです。これまでも国会などで何度となく繰り返してきました。「強い日本、それをつくるのはほかの誰でもありません、私たち自身です」という具合に。

【7】 では、強い日本とはどんな国でしょう。軍事的に強い国でしょうか、経済的に強い国でしょうか。
 
【8】 英国の作家、デビッド・マッキーさんの描いた一冊の絵本があります。「せかいでいちばんつよい国」(光村教育図書)です。
 
【9】 ある大きな国が小さな国に攻め込みますが、その小さな国には軍隊がなく、戦いになりません。小さな国の人々に歓迎された兵士は遊びや歌、料理を習います。

【10】 大きな国の大統領が故郷に戻ると、家々からは小さな国の料理の匂いが。遊びも服装も小さな国のものがはやっています。そして大統領が口ずさんだのも…。

◆平和国家への評価
【11】 国の強さを決めるのは軍事力ではなく、文化の力だという筋書きです。これは絵本の中だけの「絵空事」ではありません。

【12】 米クリントン政権で国防次官補を務めた、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、文化、政治的価値観、外交政策の三つを源とする「ソフト・パワー」と、軍事力や経済力などの「ハード・パワー」を組み合わせた「スマート・パワー」の重要性を指摘します。

【13】 国民にとって強い経済力は安心して生活するために不可欠です。外国に侵略の意思を持たせないため、侵略があった場合には国民を守るため、必要最小限度の防衛力を持つことも必要でしょう。

【14】 しかし、それだけでは強い国とは言えません。ナイ氏が指摘するように、ソフト・パワーも国力を構成する重要な要素です。

【15】 まず、文化です。先人たちが営々と築き上げ、磨きをかけてきた日本文化は、私たちの誇りです。

【16】 すでに多くの文化遺産がユネスコの世界遺産に登録済みです。多様な食材、優れた栄養バランスで国外にも愛好家が多い「和食」も昨年、無形文化遺産となりました。近年のマンガ、アニメブームも、新しい日本文化として世界に受け入れられた証しです。

【17】 高い技術力の日本製品や日本人の勤勉さも、誇るべき文化です。これらも国力の源と言えます。

【18】 政治的価値観、外交政策はどうでしょう。

【19】 自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済という戦後日本の普遍的価値はもちろん、憲法九条に基づく「平和国家」「専守防衛」も、日本のソフト・パワーを構成する重要な要素です。

【20】 安倍内閣も国家安全保障戦略で「我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得て」いると認め、この高い評価と尊敬を「より確固たるものにしなければならない」と述べています。
 
【21】 しかし、実際はどうか。
 
【22】 安倍内閣はすでに、武器輸出を原則禁じた武器輸出三原則の見直しや、節度ある防衛力整備からの転換を打ち出し、集団的自衛権の行使容認や九条改正による自衛隊の国防軍化にも意欲を見せます。

◆文化の力も高める
【23】 こうした安全保障政策の転換が国際社会から高い評価と尊敬を得てきた平和国家、専守防衛という戦後日本の「国のかたち」を変えてしまわないか、心配なのです。

【24】 もちろんソフト・パワーを過大評価すべきでないことは、ナイ氏も指摘しています。重要なのは、ソフト、ハード二つのパワーのバランスを考えながら、最も大きい効果を引き出すことです。

【25】 経済に強さを取り戻し、節度ある防衛力整備にも努める。そして文化の力を高め、平和国家という政治的価値観の持つ力を最大限、引き出す。それができて初めて、日本が本当に「強い国」になったと言えるのではないでしょうか。

 

「ギリシャは、猛きローマを征服した」が、ペルシャを撃退しているぞ

 さて、如何だろうか。

 幾ら正月だからって、平和ボケもここまでくれば、「大したもの」と言うべきだろう。
 
 上掲社説タイトルからも判る通り、キーワードは「強い国」であり、「国の強さ」について論じている。パラグラフ【7】で「軍事力」と「経済力」を挙げるモノの、そこは東京新聞だ。パラグラフ【8】~【10】に「せかいでいちばんつよい国」なる絵本を引用し、パラグラフ【11】で「文化力」を強調する。
 流石に文化力ぅぅぅぅぅ!」だけでは説得力に欠けると考えたか、
 
1〉 これは絵本の中だけの「絵空事」ではありません。
 
とわざわざ断り、続くパラグラフ【12】で「ソフトパワーとハードパワーを組み合わせたスマートパワー」を引用する。パラグラフ【13】で一応ハードパワー「軍事力」「経済力」の重要性を認めつつ(*1)、パラグラフ【14】で「ソフトパワー」=「文化力」を強調し、以降終わり近くのパラグラフ【23】まで「ソフトパワー/文化力」の話しかしていない。
 
 それもその筈で…
 
2〉 憲法九条に基づく「平和国家」「専守防衛」も、日本のソフト・パワーを構成する重要な要素です。
 
…つまりは憲法九条に基づく「平和国家」「専守防衛」」が「日本のソフト・パワー」であり、「文化力」である、と言う主張だ。「憲法9条が最大の抑止力」なんて素面で抜かしてしまう社民党と大差が無い。早い話が「安全保障上の気違い」だな。
 
 で、その社民党級狂気に基づいて、パラグラフ【21】~【23】は安倍政権批判と来たモンだ。気違いが何言ったって戯言でしかないけれども、上記2〉「憲法九条に基づく「平和国家」「専守防衛」」なるソフトパワーの強化が我が国軍事力=ハードパワーの弱体化につながる事は、意にも介さない。ああ、「専守防衛」だけはちょっと違うかな。「平和国家」なる「文化力/ソフトパワー強化」につながる「専守防衛」であるが、本来は最も国防費を要する防衛方針であり、必然的に「ハードパワー/軍事力」の強化が不可欠な筈だ。
 無論「軍事力を強化しない/弱体化したままで専守防衛方針を取る」と言うのが「最悪の選択」であり、上掲社説から読み取れる東京新聞社説は、正にこの「最悪の選択」を推奨しているように読めて仕方がないが。
 それでも、パラグラフ【24】でナイ氏を引用して再び「重要なのは、ソフト、ハード二つのパワーのバランス」などと、ハードパワー=「経済力・軍事力」の価値を認める。アリバイ作りに念の入った事だ。
 そうやって「アリバイ作り」はしっかりやりつつ、上掲社説の〆は…
 
3〉  経済に強さを取り戻し、節度ある防衛力整備にも努める。
4〉 そして文化の力を高め、平和国家という政治的価値観の持つ力を最大限、引き出す。
5〉 それができて初めて、日本が本当に「強い国」になったと言えるのではないでしょうか。
 
…いいさ。ならばその「平和国家と言う政治的価値観の持つ力」で、大陸は支那・中国共産党政権が「核心的利益」などと領土的野心剥き出しにしている尖閣諸島のわが国主権を確保する方策を示しやがれ。
 スマートパワーだの、ソフトパワーだのが、状況によってはハードパワーの前に全く無力である点にも留意すべきだ。飛来する弾道ミサイルを無力化できるのは、軍事力と言うハードパワーしかない。
 
  なるほど「文化的に強い国」は、良い事ではあろう。だが、文化だけで領土領海領空主権の保全・維持は、出来ないのである。当たり前の事だ。

 

<注釈>

(*1) 多分にアリバイ作りである事は、「軍事力」の方に「必要最小限度の」と限定詞を付ける事から読み取れる。