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【東京社説】年のはじめに考える 福島への想い新たに
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014010402000132.html

 

明らかな嘘

 「嘘」には説明の必要は無いだろう。先述の通り「主張が包含する嘘」は「大いにその主張の信憑性・信頼性・説得力を低下させる」事も。
 
6> 無事故でも一基百年といわれる廃炉、解体への道は、緒に就いたとも言い難い。
 
…何だこれは。廃炉に「一基百年」なんて、一体どこの誰が「言っている」んだ。それを東京新聞は、少なくともある程度「信用した」のであろう。

 確かに我が国には商業用原子炉を廃炉・解体した実績は無い。だから百年だろうが千年だろうが法螺の吹き様はあるのかも知れない。だがちょっとインターネットを検索すれば、「我が国の東海林原子力発電所1号機は、廃炉に23年間かける計画である」とか「米国シッピングボート原子力発電所は1982年に操業運転を停止し、現在は原子炉跡地は更地である(従って、廃炉にかかった時間は操業停止から32年以下である)」ぐらいの事は即座に判る。新聞記者ならば、報道記事では無いとは言えこれら情報の裏を取るぐらいは「朝飯前」と言うよりは「"いろは"の"い"」であろう。「といわれる」なんて「逃げ道」は用意してあるが、そんな「逃げ道」も含めてよくもまあ「東京新聞の主張でござい」と全国どころか全世界に公開するモノだな。
 
7> 原発は、出力調整が極めて難しく、一度運転を始めたら、二十四時間最大出力で、突っ走るしかありません。
 
…(絶句)…まず「原発の出力調整が難しい」と言うのは事実だ。だが、それは技術的に可能であるし、実際に実施されている。上記7〉「(原発は)一度運転を始めたら、二十四時間最大出力で、突っ走るしかありません。」などと言うのは、大嘘だ。一体誰のどんな責任を以って斯様な大嘘を「東京新聞の主張」としているのか。 その情報の裏を誰にどうとったのだ。報道機関として、ジャーナリストとして、恥ずべき事態であろう。
 無論、東京新聞自身が、報道機関である/ジャーナリストであると言う自覚と矜持を持っていれば、の話だが。
 
8> 原発は金のかかる危険なものだということに、国民の多くはもう気づいているはずです。
 
何を以って斯様に断言するのだろうか。だいたい、上記8〉「原発は金のかかる」か否かを最も良く知り、最も切実に感じるのはほかの誰でもない、原発を現在擁している各電力会社だ。その電力会社が経営状況改善のためにも原発再稼働を求めている以上、上記8〉「金のかかる原発」であろうとも、それは「儲かる原発」である事に、疑いの余地は無い。「国民の多く」とやらが、何にどう「気づこう」とも、だ。
 
 原発火力のさらに3倍もの高値で発電量全量強制買い上げにして漸く商売として成立する太陽光発電の方が、「危険ではない」かも知れないが、「金のかかる」もしくは「儲からない/儲けにくい」発電法である事も、疑いの余地が無い。ま、この事に「気づいていない国民」は掃いて捨てるほどあるが。
 
9> 温暖化対策ならば、再生エネルギーの普及の方が王道です。私たちは"太陽と風の年"をめざしましょう。
 
…原理主義とはやはり狂気の一種なんだなぁ。「冷たい計算式/推算式」シリーズとして先行記事とした通り、我が国に於ける風力発電の稼働率は2割。太陽光発電に至っては1割だ。「"太陽と風の年"」とやらで「温暖化対策」を取ると言うならば、我が国の原発どころか火力までも太陽光/熱発電と風力発電で代替しなければならない。「原発稼働ゼロ」である現状を代替している火力発電を、だ。

 仮にかつての原子力発電が担っていた我が国の発電需要の3割を「太陽と風」で代替するならば、「太陽と風」の稼働率は先述の通り1~2割なのだから、「現在稼働停止している全原発の発電容量の少なくとも5倍の太陽光/熱/風力発電所が必要」という事である。ああ、「私の自然エネルギー推進論(*1)」で論じたとおり、大容量高効率畜電技術の開発・普及が前提でもあるぞ。どちらも未だ絵空事でしかない。
 第一、我が国の「太陽と風」は福島原発事故以前には我が国電力需要の1%を担うモノでしかなかった。それが大幅アップして1.6%にまでなったのは、菅直人の最後っ屁・自然エネルギー全量強制高価買い上げ制度のお蔭もあろうが、「それでも1.6%でしかない」からこそ、その「全量強制高価買い上げ制度」が電力料金値上げにつながっていない。

 これをかつての原発分だけでも「太陽と風」にした日には、先ず電力料金2倍は堅い処だろう。大容量高効率畜電技術のコストは別にして、だ。ああ、その損失によっては必要な「太陽と風」の発電量はさらに増えるが、な。

 上記9〉「"太陽と風の年"」とは、聞こえは良かろう。だが、その実態は「停電元年」となろう。それを言葉で誤魔化すのは、「明らかな嘘」と断じるべきだろう。
 
 かくも嘘まみれの主張が上掲東京社説である。東京新聞の主張である。
 さてその主張の信憑性・信頼性・説得力は、如何許りか。

【注釈】

(*1) 私の自然エネルギー推進論―フクシマ後も原発推進の立場から
http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html

 

精神論のみ

 前項までの記述でその「信憑性・信頼性・説得力」を地の底まで落としている上掲東京新聞社説であるが、その〆はやっぱり狂気と独善に満ち溢れている。
 
10>◆フクシマを心の地図に
11>  ドイツでは、再生可能エネルギーへの転換が着々と進んでいます。
12> 総電力の約二割を賄い、温室効果ガスを一九九〇年比で二割以上減らしています。
13>  市民自ら電力会社を設立し、再生可能エネルギーでつくった電力だけを地域へ供給するという、エネルギー自治も進んでいます。
14>  なぜでしょう。
15>  スリーマイルとチェルノブイリとフクシマを、心の地図にしっかりと、刻みつけているからです。
 
 さて、最後の最後、〆の一文上記15>と「欲しがりません、勝つまでは」と言う戦時中の標語との間に、一体どれほどの差異があるだろうか。その精神論のみに頼った非合理性は、ほぼ同等であり、真剣みや真摯さと言う点では上記15>東京新聞の方が遥かに劣ろう。
 
 四の五の抜かすなら、その「心の地図」とやらで、1kwでも発電して見せやがれ。
 
 如何に、東京新聞。
 如何に、国民。

 

.私の原発推進論&「自然エネルギー推進論」

① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
 
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術は、無い。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
 
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
 
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
 
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
 
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
 
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
 
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
 
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
 
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。