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年頭にあたっては各紙社説も気合が入るのか、今年の抱負とか未来への意気込みとか、大所高所に立ち大上段に振りかぶったような社説が並んでいる。それはそれで「まあ結構な事」ではあろうが、当ブログで再三「脱原発原理主義」と糾弾している東京新聞が、「大所高所に立ち大上段に振りかぶったような社説」を書いちまうと言うと、まあ、目も当てられない。
以下に掲載するのは、そんな「大所高所に立ち大上段に振りかぶったような」東京新聞社説。即ち私(ZERO)に言わせれば「目も当てられない」社説だ。
さて、御一読頂く前に、一つ設問しておこう。
【問題】 以下の文章を読み、「嘘」を抽出せよ
以上の設問を念頭に、下掲東京新聞社説を御一読あれ。
【東京社説】年のはじめに考える 福島への想い新たに
2014年1月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014010402000132.html
時間を押し戻そうとするかのような北風が、年の瀬を駆け抜けました。三度目の年頭。もう一度、心に深く刻まなければなりません。福島を忘れない。
オランダの首都アムステルダムの街を歩くと、三つ並んだ十字の印を至る所で見かけます。
赤い地の真ん中に、黒っぽい横線が一本、その上に白い十字が横に三つ並ぶのは市の旗です。
そして、二頭のライオンに挟まれて、十字が縦に三つ並ぶのが市の紋章です。
◆十文字が意味するもの
三つの十字の意味はと言えば、その昔、街を襲った三つの災い、洪水、火災、感染症を表しているそうです。起こりうる災いの怖さを子々孫々まで語り継ぎ、常に備えを怠ることがないように、あえて十字を掲げています。
江戸時代からオランダに多くを学び、近代化の礎にしたこの国も、災厄を歴史に刻む方法までは、教わらなかったと言うのだろうか。首都東京の中心が、忘却の波に沈み始めているようです。
福島の事故現場は収束に向かうどころか、混迷を深めています。
爆発を免れた4号機では、傷ついていない核燃料の取り出し作業が始まりました。
しかし、1~3号機から溶け出した燃料は所在さえつかめません。原子炉格納容器の外に溶け落ちた恐れもある。無事故でも一基百年といわれる廃炉、解体への道は、緒に就いたとも言い難い。
汚染水は年末年始もお構いなしに流れ出ています。
熟練の作業員は、被ばく線量が限度に達して次々に現場を離れ、作業の質は低下する。
自治体に丸投げされた、有事の際の避難計画作りは一向に進みません。計画はできたとしても、目に見えない放射線からどこへ逃げれば安心なのか。
使用済み核燃料の捨て場所は、どこにも見つからないでしょう。リサイクルの計画も夢物語の域を出ていません。
十字、いやバツ印をいくつ付ければいいのでしょうか。
これだけ多くの災いの種を抱えているにもかかわらず、政府は前政権の「二〇三〇年代原発ゼロ」から一転、原発を「重要なベース電源」と位置付けました。
ベース電源とは、二十四時間、しかも安価に稼働させられる電源です。震災前は、原発と揚水発電以外の一般水力。そして石炭火力がそうでした。◆原発こそ不安定では
電力需要時に足りない分を補うのが、ピーク電源と呼ばれるLNGや石油火力です。
原発は、出力調整が極めて難しく、一度運転を始めたら、二十四時間最大出力で、突っ走るしかありません。
今、国内に五十基ある全ての原発が、再び停止しています。
天候に左右されやすく、出力が不安定な風力や太陽光には、ベース電源の重責を担えないといわれています。
だとすれば、無限大の安全管理が必要な、扱いにくい原発こそ、最も不安定な電源なのだと考えなければなりません。
原発を動かさないと、LNGや石油火力の燃料費がかさみ、電力会社は年間三兆六千億円の負担増、百万キロワット級の原発一基を稼働させれば、温暖化の原因になる二酸化炭素(CO2)を、一年で0・5%減らせるとされています。
原発は、本当に割安なのか。
政府によれば、福島の賠償と除染、さらに廃炉や汚染水対策に、少なく見積もって約二十兆円の費用がかかります。
東電の負担なら電気料金への転嫁、国が持つなら税金です。結局つけは国民に回ります。どれだけお金を使っても、福島の人たちの暮らしや風景は、もう元へは戻せません。
現在十六基の原発が、原子力規制委員会に再稼働の申請を出しています。政権は今年を、再稼働の年にしたいのでしょう。
原発は金のかかる危険なものだということに、国民の多くはもう気づいているはずです。
温暖化対策ならば、再生エネルギーの普及の方が王道です。私たちは"太陽と風の年"をめざしましょう。
◆フクシマを心の地図に
ドイツでは、再生可能エネルギーへの転換が着々と進んでいます。総電力の約二割を賄い、温室効果ガスを一九九〇年比で二割以上減らしています。
市民自ら電力会社を設立し、再生可能エネルギーでつくった電力だけを地域へ供給するという、エネルギー自治も進んでいます。
なぜでしょう。
スリーマイルとチェルノブイリとフクシマを、心の地図にしっかりと、刻みつけているからです。
嘘とは言いかねるが、大いに誤解を招く表現
さて、如何だろうか。
大凡「嘘」と言うモノは、報道やジャーナリズムとは対極の位置にあるモノと言えよう。そりゃ神ならぬ身の人が為す事ゆえ、誤報・虚報は減らす事は出来ても根絶は出来まい。だが、少なくとも判明した誤報・虚報は正直に訂正すべきなのが、真の報道と言うモンであり、ジャーナリズムと言うモノだろう。
「社説」に代表される「新聞社としての主張」は、報道ではないがジャーナリズムとは無縁では居られまい。また、それが曲がりなりにも「主張」である以上、虚偽や誤認に基づけば、少なくとも「虚偽や誤認と判明した際に」大いにその主張の信憑性・信頼性・説得力を低下させるものだろう。
従って、「その主張には、虚偽/誤認がある」と言う指摘は、その主張に対する強力な批判であり、反論でもあろう。
その上で、上掲東京新聞主張を読むと、例によって「脱原発原理主義全開」の主張では致し方ない処だが、原発及び福島第一原発事故に対する誹謗中傷批難に満ち溢れ、その相当部分は「嘘とは言いかねるモノの、大いに誤解を招く表現」である。
例えば・・・
1> 1~3号機から溶け出した燃料は所在さえつかめません。原子炉格納容器の外に溶け落ちた恐れもある。
…これは事実である。が、「だから何?」と言わざるをえまい。福島原発事故が発生してから、まだ3年も経っていない。先行するチェルノブイリ事故やスリーマイル事故と比較しても、「事故後3年も経ていない現時点」で「溶け出した燃料は所在さえつかめません」と言うのが批判・非難・扇動の材料とは言われまい。況や東京新聞の認識は、上掲東京新聞社説にある通り「無事故の原発を廃炉・解体するのに一基百年といわれる」と言うモノだ。無事故の健全な原発の廃炉・解体に百年かける心算の東京新聞が、事故を起こした福島第一原発の3年目に、何を期待していると言うのか。
2> 汚染水は年末年始もお構いなしに流れ出ています。
…これも同様に「だから何?」だ。観測用の井戸水から放射性物質が検出されているから、「汚染水が流れ出している」とは推定出来るし、汚染水の流出に年末年始の休業がある訳が無い。だが、間接的には福島沖の海水の、直接的には福島産の海産物の放射性物質濃度に有意な変化が無ければ、学術的な意味しかない。そんな変化があった日には、東京新聞から号外ぐらい出てきそうだが、号外すらないという事は、左様な変化すらない、という事。観測用井戸水の放射性物質濃度は、核燃料の所在や汚染水流出ルートの手掛かりたりうるが、それ以上の意味は、無い。
詭弁
「詭弁:主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論。」とウイキペディアにある。上掲東京社説に於ける「命題」とは「脱原発論=原発批判」であろう。
3> 熟練の作業員は、被ばく線量が限度に達して次々に現場を離れ、作業の質は低下する。
…よくもまあ、他人事のようにこんなこと書くね、東京新聞。東京新聞が主張する「脱原発」は、ほとんど自動的に「日本原子力産業の終焉」を意味する。いくら東京新聞が「廃炉事業ぅぅぅぅぅぅ!」と力んだところで、国が脱原発を宣した瞬間に民間企業が原子力事業撤退を決めたドイツの事例(*1)がそうなる事を明示している。而して終焉を迎える日本原子力産業では、少なくとも「熟練日本人作業員」は減っていく一方で増えはしない。下手すりゃ全く居なくなって、事故後の福島第一原発どころか全国の全原発の廃炉・解体は外国頼みという事になる。
であると言うのに、「脱原発」を声高に主張する東京新聞が、「被ばく線量限度に達した熟練原発作業員の戦線離脱による作業員レベル低下」を批難して見せるのである。交代要員も熟練作業員とする事で作業レベルを維持向上するためには、熟練作業員の要請が不可欠であり、それはほとんど自動的に「日本原子力産業の維持」即ち「原発再稼働・新設」を意味する。無論「原発再稼働・維持」は東京新聞の金科玉条「脱原発」とは対極にある。
従って、上記3〉だけでは嘘とも詭弁とも断じ難いが、上掲社説はじめとする一連の社説記事にて脱原発を吹聴し続ける東京新聞が、上記3〉を以って原発の危険性を訴えるのは、詭弁であろう。
4> 天候に左右されやすく、出力が不安定な風力や太陽光には、ベース電源の重責を担えないといわれています。
5> だとすれば、無限大の安全管理が必要な、扱いにくい原発こそ、最も不安定な電源なのだと考えなければなりません。
5> だとすれば、無限大の安全管理が必要な、扱いにくい原発こそ、最も不安定な電源なのだと考えなければなりません。
…正直な処、上記4〉と上記5〉が「だとすれば」なんて順接で何故つなげられるのか、サッパリ判らない。上記4〉は当ブログで再三主張している処であるだけに、益々判らない。上掲社説の中で東京新聞自身「原発は最大出力で24時間連続運転可能」と認めているだけに、上記5〉「無限大の安全管理が必要な、扱いにくい原発」を「最も不安定な電源」と断じて仕舞う論理は全く判らない。「原理主義者とはそう言うモノ」と言ってしまえばそれまでだが、夜間は1kwも発電できない太陽光や無風のときは発電できない風力よりも原発の方が上記5〉「最も不安定な電源なのだと考えなければなりません。」と主張出来るとは。
だが逆に、「脱原発原理主義」として徹しきれないからこそ、上記5〉「無限大の安全管理」「扱いにくい」なんて詭弁・屁理屈付けての原発批判になっている。そこに「東京新聞の仄かな理性の煌めき」を私(ZERO)は見出すのだが、如何なものだろうか。
【注釈】
(*1) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退
http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html