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「AK」というと「B48」と続けるのが世上流行の様であるが、私(ZERO)の様な人間(*1)にとって「AK」と言えば「アブトマット・カラシニコバ」即ち「カラシニコフ自動小銃」である。
ミハイル・カラシニコフが第2次大戦後まもなくに設計しソ連軍に正式採用されたAK-47突撃銃(軍用自動小銃)は、突撃銃と言うジャンルが歴史に登場して(*2)まだ数年と言うのに「究極の突撃銃」とも呼ばれるほどに高い完成度を見せる傑作軍用小銃である。その最大の特徴は、可動部品の少なさと大きく取った隙間による高い信頼性。これは同時に製造のし易さと安さも意味するから、オリジナルのソ連/ロシア製からライセンス生産(一応)の東欧や中国製、はては怪しげなパチモン(*3)まで数多の国で作られて、「人類最多生産銃(*4)」とか「悪魔の銃(*5)」なんて異名まで奉られている。
その傑作軍用自動小銃AK-47の設計者、ミハイル・カラシニコフ氏が死去されたそうだ。享年94歳。合掌。
<注釈>
(*1) 「どのような人間か」は、先ず置こう。
(*2) 世界最初の突撃銃は、MP43かその前身Mkb42、或いはコンセプトとしてFG42であろう。何れも第2次大戦中のドイツ軍の銃だ。
(*3) 「中国製カラシニコフ」だって、私だったら遠慮したいが。
(*4) これは多分本当で、恐らくは空前絶後だろう。
(*5) 銃は道具。使うは人。使う人次第で銃は、神にも悪魔にもなりえよう。
AK47の設計者、カラシニコフ氏死去
2013年12月24日 09:13 発信地:モスクワ/ロシア
http://www.afpbb.com/articles/-/3005550
.ロシア首都モスクワ(Moscow)のクレムリン(Kremlin)宮殿で開催された、自身の90歳の誕生日を祝う式典に出席するミハイル・カラシニコフ(Mikhail Kalashnikov)氏(2009年11月10日撮影)。(c)AFP/NATALIA KOLESNIKOVA
.スライドショーを見る .【12月24日 AFP】世界各国の政府が採用し、紛争地帯でも広く使用されている自動小銃「AK47」の設計者、ミハイル・カラシニコフ(Mikhail Kalashnikov)氏が、長い闘病生活の末、23日に死去した。94歳だった。同氏の勤務地だったロシア中部ウドムルト(Udmurtia)共和国政府が発表した。
同氏が開発した銃は、今日では時に無差別殺人の代名詞とみなされることもあるが、同氏はかつてソ連の国民的英雄であり、ソ連軍の象徴的存在としてたたえられていた。ロシア政府によると、ウラジミール・プーチン(Vladimir Putin)大統領は訃報を受け、同氏を「類まれな」設計者とたたえ、遺族に「心からの哀悼の意」を表したという。
象徴的な自動小銃の開発で名声を博したとはいえ、カラシニコフ氏は自分の銃が世界中の紛争地帯で使われる兵器になるとは夢にも思っていなかったという。露首都モスクワ(Moscow)のクレムリン(Kremlin)宮殿で開かれた同氏の90歳の誕生日を祝う式典では、「私は母国の領土を守るための武器をつくった。時に不適切な場所で使われたこともあるが、それは私の責任ではない。政治家の責任だ」と語っていた。。(c)AFP/Stuart WILLIAMS, Anna SMOLCHENKO
AK47は、「カラシニコフの自動小銃(Kalashnikov's Automatic)」の頭文字と、最終的な型が開発された1947年の数字を組み合わせて命名された。「カラシニコフ銃」と呼ばれこともある同型銃は、世界中でこれまでに1億丁以上販売され、イラクやアフガニスタン、ソマリアをはじめとする紛争地帯でも多く使われている
「悪魔の銃」の設計者は、悪魔か?
さて、如何だろうか。
先ずは軍事史、武器史にその名を遺した偉大な設計者の死に、御冥福を祈るべきだろう。カラシニコフ氏と私(ZERO)とでは、人種も宗教も異なるが、死者を悼み冥福を祈るのに障害になるほどの差異では無い。カラシニコフ氏がその銃器設計を以って祖国ソ連/ロシアに貢献したという事は、少なくともある部分ある時期は「私(ZERO)の敵」であったという事でもあるが、これとて障害にはならない。Mement Moriと言われるまでも無く、死の前に万人は平等である。
かてて加えて、「祖国に貢献した」という事は、「良き敵であった」という事でもあれば、「尊敬に値する敵であった」という事でもある。「真に戦う者同士は、真の敵同士ではなく、友達だ。」とは松本零士の教えでもある。尤も私(ZERO)が故・ミハイル・カラシニコフ氏と「友達に至る程、真に戦ったか?」と言うと、全然そんな事は無いのだが、一方的にこちらから尊敬する分には構うまい。
カラシニコフ自動小銃が「究極の突撃銃」とも「悪魔の銃」とも呼ばれることは先にも書いたが、銃として、道具としてはあまり好きではない。確かに信頼性の高さは抜群で、「引き金さえ引けば弾が出る」「弾が出なければ、殴れば直る」と言う点では伝説的な程の銃だが、精度・命中率の低さにも定評がある。銃は「弾丸を打ち出す道具」であり、海兵隊の誓いにもある通り、重要なのは命中弾数である。「我が愛銃」とするには、この点で大いにカラシニコフ自動小銃は不満だ。
一方で「悪魔の銃」なんて評価にも先述の通り大いに異議がある。況や、「悪魔の銃の設計者」を、或いはさらに「武器・兵器の設計者」を貶めるなんてのは、論外だ。この世に、この世界に軍隊が必要である以上、軍隊の装備する武器・兵器は必要であり(*1)、若き頃のカラシニコフ氏が痛感したように、「優れた武器が・兵器が、優れているからこそ、祖国を守れる」のである。「優れた武器・兵器を作ろう」と日夜研鑽努力している(と推定される)武器・兵器設計者を、尊敬こそすれど、軽侮すべきではない。まあ、軍事忌避者や平和原理主義者には、こんな事言っても馬耳東風であろうが。
もっと言うならば、日本では「死んでしまえば仏様」と言い、死者の罪科は基本的にその死を以って消滅させる事が出来、「死者に鞭打つ」と言うのは相当に毛嫌いされる所業だ。
ミハエル・カラシニコフ氏に、御冥福を。
<注釈>
(*1) さらに言うならば、武器・兵器が工業製品である以上、武器・兵器を製造し売り買いする兵器製造業や武器商人、軍需産業と言うのは、あって当然、無ければ不思議と言うモノだ。ああ、カラシニコフ自動小銃位簡易な兵器になると「アフリカの村の鍛冶屋」でも作れると言うが…真偽のほどは不明だが。
【ロイター】M・カラシニコフ氏死去、自動小銃AK47を設計
M・カラシニコフ氏死去、自動小銃AK47を設計
2013年 12月 24日 11:25 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE9BN02F20131224?sp=true
[モスクワ 23日 ロイター] -旧ソ連の銃器設計者で、カラシニコフ自動小銃AK47を開発したミハイル・カラシニコフ氏が23日、ロシア中部ウドムルト共和国イジェフスク市で死去した。94歳だった。同共和国の大統領報道官が国営テレビで発表した。
カラシニコフ氏は1919年11月10日、中南部アルタイ地方生まれ。11月17日以降、イジェフスク市内の病院に入院していた。死因は明らかにされていない。
同氏は20代だった1947年にカラシニコフ銃を開発し、49年にソ連軍に採用された。今でも改良されたモデルがロシアの軍と警察の主力銃器となっている。
カラシニコフ銃は扱いが簡単で比較的安価であることから、同国や社会主義国家のほか、世界各地の犯罪者や武装勢力などが使用。世界中に約1億丁あると推定されるカラシニコフ銃のおよそ半分は模造品とみられている。
世界で最も多くの人を殺している銃器といわれるカラシニコフ銃だが、同氏は銃が犯罪者や子どもの兵士たちに使用されていることに心を痛めていた。
90歳のとき、ロシアで最高位の勲章「ロシア連邦英雄」を受章している。