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解析:石破テロ発言から特定秘密保護法案反対へのプロセス

 さて、如何だろうか。
 
 冒頭で宣言した通り、まずは「石破発言」から「特定秘密保護法案反対」に至るまでのプロセスを、上掲三紙社説に従って追ってみよう。【】は上掲記事に振ったパラグラフ番号だ。
 
(1) 自民党の石破茂幹事長が、国会周辺での法案への抗議活動をとらえ「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と自身のブログに書いた。 朝【2】毎【1】東【3】
 
(2) 上記(1)石破発言は、合法的なデモ活動をテロになぞらえた批判だ。 朝【6】毎【2】【5】 東【5】【6】
 
(3) 上記(2)批判は、自分たちと異なる意見や価値観を持つ人たちに抱く嫌悪感の現れだ。朝【9】毎【11】~【13】
 
(4) 特定秘密保護法案は、テロの定義が曖昧で、「主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」する行為も、テロに該当するかのように読めてしまう。 朝【12】【13】毎【17】東【10】
 
(5) 石破氏は元防衛相であり、防衛省には特定秘密保護法下で大きな権限を持つ。故に特定秘密保護法は危険だ。朝【14】~【16】
 
(6) この法案の審議、説明は不十分だ。 毎【8】~【10】
 
(7) 石破発言には、公共や公益を重くみる姿勢が強くにじみ出て居り、それは自民党憲法改正草案にも通底する。これは民主主義とは相容れない。 毎【15】~【18】
 
(8) 上記(1)石破発言は、安倍内閣が国民の声に耳をふさぎ、特定秘密保護法案の成立を強行しようとしている事の現れだ。東【9】
 
(9) 正当なデモがテロと認定されてしまうようでは、民主主義とは言えない。故にこの法案は廃案とすべきである。東【11】~【12】
 
…三紙の社説を一度に並べて箇条書きにするから少々混乱するが、上記(8)東京新聞社説の「国民の声(*1)に耳をふさぎ上記(3)「自分たちと異なる意見や価値観を持つ人たちに抱く嫌悪感「ほぼ同義」と考えれば上記(1)-(2)-(3)or(8)-(4)までは朝日、毎日、東京新聞(ほぼ)共通の主張で、その後の結論・締め括りを朝日は上記(5)、毎日は上記(6)~(7)、東京新聞は上記(9)としている、と、整理できる。
 
 これで大分スッキリした。スッキリして、整理は出来たが…やっぱり論旨が無茶苦茶だな。「無茶苦茶」と言う意味は、論理的なつながりが薄弱もしくは無い事を指す。
 
 共通部分から行こう。まずは事実認識では三紙とも共通であり、石破氏のブログ記事。その文言は上記(1)に引用した朝日社説が最も原文に忠実=引用部分が長いが、大差は無い。ブログ記事は国会答弁や記者会見程には公共性・公然性は高くなかろうが、「国会議員(と公称して)のブログ記事」であり、ブログの本質上全世界(*2)一斉同時公開であるから、一定の文責は負わねばなるまい(*3)から、問題視/問題化するのは良しとしよう。
 だが、上記(1)朝1〉~2〉にある通り、石破氏は、「単なる絶叫戦術」を「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と批判したに過ぎない。これを上記(2)「合法的なデモ活動をテロになぞらえた批判」と批判する事からして、些か牽強付会の感があろう。合法的なデモの相当部分は「単なる絶叫戦術」では無さそうであるし、現在進行形の国会周辺での特定秘密保護法案反対デモが「単なる絶叫戦術」でなければ(*4)石破氏が「テロになぞらえた批判」をしたかどうか大いに疑問の余地がある。
 
 大体、石破氏の「テロになぞらえられた批判」は「単なる絶叫戦術」に向けられたものだから、合法/非合法/主義主張は、少なくとも直接的には関係無い。極言かも知れないが、「特定秘密保護法案に賛成する単なる絶叫戦術デモ」と言うモノがあるならば、それは上記(1)朝2〉に掲げられた「石破発言」の批判対象たりうる。従って、上記(2)から上記(3)へは、少なくとも論理的なギャップないし接続の悪さがある。こちらは相当あからさまに、牽強付会と言うべきだろう(*5)。
 
 上記(4)では「石破発言」からいったん離れ、特定秘密保護法案に於ける「テロの定義」の曖昧さを非難している。朝【12】~【13】にその条文と解釈の違いがまとめられているのは結構だが…
 
 <1> 特定秘密保護法案は「テロ情報」を含む特定秘密を漏えいした者を罰する法律であり、テロリストを罰する法律では無い。従って、「特定秘密保護法に於けるテロの定義」は「特定秘密の範囲指定」にしか機能しない。
 
 <2> 百歩、否、一万歩程譲って「特定秘密保護法案に於けるテロの定義」が問題だとしても、その条文は以前から変わっていないのだから、その問題と「石破発言に於ける合法的デモのテロ扱い」は「テロ」と言う共通項こそあるモノの、相関するのは其処だけである。「特定秘密保護法のテロの定義」を「政府主張とは異なる解釈」した上でさらに「絶叫戦術」を「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」に相当すると解釈しないと石破発言と特定秘密保護法案が結びつかない。上掲社説で朝日、毎日、東京新聞は、いとも容易くその解釈をして見せている訳だが…こりゃ「牽強付会」以上ではないか。
 
 以上の、私(ZERO)から見れば相当に無理矢理な理屈の上に立って、朝日は上記(5)の通り特定秘密保護法案を糾弾しているのだが…これって、石破氏に対する個人攻撃以上の、どれほどの意味があるのだろうか。なるほど石破氏は元防衛相で、現在も有力な与党議員。今後再び防衛相に就任する可能性も相応にあろう。が、
 
朝3> 石破氏の発言は、こんな可能性がないとは言えないことを、図らずも示した。
 
とは。良くもまあ、「単なる絶叫戦術」を「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と批判した「石破発言」からここまで膨らませたものと、感心してしまうほどだ。
 
 毎日だって朝日に負けては居ない。毎度おなじみと言うか、幾らでも何度でも言える上記(6)「審議不十分(*6)」に加えて、自民党憲法改正草案共々上記(7)「民主主義と相容れないってやぁがる。おまけにそこで私(ZERO)が当ブログで何度か引用しているフランスの哲学者、ボルテールの名言を引用し、今の安倍自民党政権及び国会を非難しているのだから、心穏やかではいられない。

 なるほど、機密保護法及び機密保護と、「知る権利」を完全なものとする「理想的民主主義」の間に「相容れない」とは言わぬまでも「相反する」モノがある事は私(ZERO)も認めよう。だが、国の、国としての生存・存続・安全保障の為には、国民の「知る権利」を不完全にしても機密保護しなければならない場合が、厳然としてある。それ故に古今東西数多の国には機密保護法があり、国民の「知る権利」を敢えて不完全なものとしている。理由は私(ZERO)に言わせれば明らかだ。国民の「知る権利」が完全であるならば、それは国家の安全保障にも関わる機密が国民ばかりではなく外国にも知られてしまうのだから、国の存続が危うくなるから、だ。機密保護法は、理想と現実の間で、国の存続と民主主義および国民の幸福を両立させうる妥協点、とも言えよう。
 
毎1> 石破発言には、公共や公益を重くみる姿勢が強くにじみ出ていることも注目される。
 
と、上掲毎日社説は非難するが、現状以上に「公共や公益をないがしろにし、私利・私益を追求する」事が「良い事」だと、毎日新聞は思っているのだろうか。それはある意味「民主的」ではあるのかも知れないが、そんな国は長く存続出来ないだろう。正直な処、存続して欲しくないぞ。
 
 朝日、毎日の全国紙に比べると、上掲③東京社説の主張はまた一段と底が浅いと言うか、頓珍漢と言うか。タイトルにもある通り「民主主義に於けるデモの重要性」を縷々述べた(*7)上で、
 
東1〉 正当なはずのデモ活動が「主義主張を強要した」としてテロに認定され、取り締まりの対象になってしまうとしたら、
東2〉そんな国家が民主主義体制と言えるのか。
東3〉 石破氏はデモに対する誤った認識を撤回し、自ら責任を明らかにすべきだ。
東4〉種々の懸念が指摘されるこの法案が、廃案とすべき悪法であることは、言うまでもない。
 
結論づけるのだから凄まじい。前述の通り、石破氏は「デモ活動をテロに認定」した訳では無い。いくら官房長官で国会議員とは言え、ブログに書いた記事で「テロに認定」なんて、出来る訳が無い。無論、前述の通り「特定秘密保護法を根拠にテロに認定」するのも無理ならば、「デモ活動を取り締まる」のはもっと無理だ。そんな被害妄想を膨らませて上記東2〉「民主主義体制と言えるのか。もへったくれも無いものだ。「貴方は、民主主義を論じられる状態に無い。」ってのは、ペリー・ローダンの科白だったか。

 挙句の果てが、特定秘密保護法案を上記東4〉「廃案とすべき悪法であることは、言うまでもない。」とは、牽強付会も我田引水も超越した超理論と言うか、「特定秘密保護法案反対原理主義」と言うか…原理主義者ってのはいくつもの原理を信奉する兼業原理主義に陥りやすいのかね。そりゃ趣味嗜好はそうなっているのかも知れないが、「至尊至高の原理」が複数あったら、矛盾を生じ様が。まあ、脱原発と特定秘密保護法反対とでは、干渉し難そうだから、当面大丈夫だろうが。
 
 以上の解析からすると、端的に言って、石破氏に対しても特定秘密保護法案に対しても、朝日、毎日、東京新聞三紙揃ってイチャモンや言いがかり以上の主張では無いようである。
 
 先行記事「アカ新聞揃って遠吠えhttp://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38641893.html」でタイトルにもした「アカ新聞の遠吠え」は、未だ止む様子は無い様だ。
 が、「遠吠え」以上のものには、全くなりそうもないぞ。
 
 国会周辺で「絶叫戦術ばかり」と石破氏に非難されているデモ隊の方は、どうなんだろうね。本当に「絶叫戦術ばかり」であるならば、ヘイトスピーチと同様頭の悪さレベルの低さの自己顕示でしかない。その意味では「テロリスト以下」。国会の議決に影響なんざ、されてたまるかよ。

 

<注釈>

(*1) 「どの国民だよ!」って突っ込みは入れたくなるね。世論調査もまた然り。せいぜいが「国民の声の一断面」でしかない。 
 
(*2) 一部例外あり。大陸だとか、半島だとか。 
 
(*3) ああ、氏素性は公開していないとは言え、その意味では弊ブログも大差は無いな。 
 
(*4) 実態は「単なる絶叫戦術」なのだろうと、推定はする。推定にしか過ぎないが。報じられないからね。 
 
(*5) マスコミはじめとする原理主義者共が良く見せる「自分たちと異なる意見や価値観を持つ人たちに抱く嫌悪感」については、一先ず置くこととしよう。 
 
(*6) 我が国は戦後もうすぐ70年になるのだが、この間に「機密保護法」に関して国会が議論したことが何回、何日在るか。殆ど70年間等閑に付して来たのは、「審議にすらならなかった」からではないのか。今さら「審議不十分」を唱えるならば、殆ど70年間になっていた「機密保護法を審議すらしなかった期間」を、少なくとも糾弾すべきであろう。 
 
(*7) とは言え、「国会を包囲するデモ隊の声」に従っていたら、1960年に日米安保は廃棄されてしまった筈。その結果は、最良でも我が国の独自核武装だろう、なんて、東京新聞が想像する訳ないか。「日米安保が無ければ、沖縄へのオスプレイ配備も無い。万歳!!」ぐらいなものだろう。