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廃虚と化したデトロイト(後編)─交通手段の消滅が貧困を加速
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303836304579126392674868418.html?mod=WSJJP_hpp_MIDDLENexttoWhatsNewsFourth

「自動車の街」なのに、皮肉にも貧困でマイカーが持てない。公共交通機関と言えば、地下鉄は無く、バスも間引き運転ばかり。通勤手段がままならないまま、仕事を確保できずに一層の貧困に陥る──。デトロイトでは、今日も、そんな「負の連鎖」が止まらない。

 廃屋が連ねるデトロイトの街を車で走ると、しきりに遠方をのぞき込みながら、街角でたたずんでいる人たちに出くわす。来るとも来ないとも分からないバスを待っている人たちだ。低所得層にとって唯一の足である市営バスは、財政難による路線閉鎖や本数削減で、まったく頼りにならない。
 
 貧困層が働き続けるための「最大の障害は『自動車免許』だ」。低所得層を対象にした住宅・就職支援団体サウスウエスト・ソリューションズで「労働力開発プログラム」の上級マネジャーを務めるメアリー・フリーマン氏はこう話す。
 自家用車を手に入れても、自動車保険を払えず、違反チケットを切られる。それでも、仕事に行くために運転を続け、ついには免許証を取り上げられてしまう。

 「交通手段(のなさ)が計り知れない悪影響を与えている」。同じ「労働力開発プログラム」のディレクター、リンダ・ウエスト氏も、こう指摘する。

 市政府と民間資金の財政的援助の下で、サウスウエスト・ソリューションズが核になって他の団体と主催する、いわゆるニートの若者たちを対象にした何カ月にも及ぶ就職支援コース「Earn and Learn(アーン・アンド・ラーン=稼ぎながら学ぶ)」には、2011年の開始以来、主に18~24歳のアフリカ系米国人の男性を中心に1086人が参加してきた。しかし、通うのが大変で、参加者数は最初の段階で3分の1に減ってしまい、何度も再募集せざるを得ない事態に追い込まれた。仕事とも学校とも無縁の「disconnected youth(社会から隔絶された若者)」がデトロイトで再出発を図るには、交通機関の不備やバス代の負担など、ハードルが多すぎる。

 同団体では、庭の手入れや植樹の仕方などを学ぶ「造園コース」なども実施し、エネルギー産業やエコロジー分野での職業訓練や雇用も斡旋(あっせん)している。だが、バスを3回乗り継ぎ、2キロ半近く歩かないと職場にたどり着けない人たちも少なくない。

 犯罪歴のある人や小学校6年生レベルの学力さえない人も多く、就職は至難の業だが、自分で努力することは可能だ。「一方、交通機関ときたら……。ひどすぎる。悪循環だ」と、ウエスト氏は声を大にして言う。

 ニートの若者たちを教育と職業研修、両面でサポートし、仕事へと直結させ、社会の一員として自立させる就職支援コース「アーン・アンド・ラーン」では、一日8時間、週5日の4週間の集中講座で学力を引き上げ、身だしなみや職場での行動規範、通勤手段の解決など、ソフトスキルも指南。入会時のテストに基づき、中学2年生レベルの学力をつけられるよう指導したり、一般教育修了検定(GED)や準学士号の取得を勧めたり、技術研修を行ったりする。

 4週間の研修後は「補助金付き雇用」期間へと移行。雇用主が参加者を一人雇うごとに補助金を受け取る契約の下で、参加者は半年間、大手小売りやリサイクル会社などの提携企業で見習いとして働き、経験を積む。その間もサウスウエスト・ソリューションズによる監督やテストが行われ、半年後、勤務評定が良ければ、晴れて正式採用される可能性が高い。同団体は、コース参加者の約半数に当たる570人の「補助金なしの正式雇用」を目標としているが、交通機関など、壁も立ちはだかる。

 「私たちが、彼らを実りある生活にリコネクト(再接続)する道を見つけられないとしたら、デトロイト市には到底無理だ」(ウエスト氏)。
 だが、希望の光は、容易には見えてこない。2000年6月に6.3%だった失業率は、10年6月には23.4%と、スペイン並みの高率を記録。今年4月に16%にまで下がったが、5月には0.3ポイント上昇し、6月は横ばい。7月には2.5ポイントもハネ上がり、18.3%を記録した。

 「実質的な失業率は40%くらいだろう」と、デトロイトのウェインステート大学で労働研究センターなどを統括するマリック・マスターズ経済学部教授は推測する。「デトロイトの将来がどんなものになるのか、私には分からない。未来は明るいと言いたいが、そうは答えがたい。10年後、この街は大きく変わっているのか……。分からない」

 デトロイトのダウンタウンから車で15~20分離れた、同市に四方を囲まれている1万2000人足らずの小都市ハイランドパークは、デトロイトの上をいく。金融危機真っただ中の09年には、失業率が35%を記録。現在は22~23%にまで下がったが、連邦政府が定める貧困ライン以下の生活を送る住民は4割近くに上る。
 「仕事も人も郊外に移動し、残ったのは、都市の大規模な衰退だけ」。米労働総同盟産業別組合会議(AFL-CIO)傘下の就職支援団体「ミシガン・ヒューマンリソーシズ・デベロップメント・インク(ミシガン人材育成社=HRDI)」の地域マネジャー、シェリル・サンフォード氏は言う。

 閑散としたハイランドパークの大通りに面する同オフィスには、15~20台の公共コンピューターを使って就職活動をしたり、コンサルティングや研修を受けたりする人たちが、市内やデトロイトなどから一日200~300人詰めかける。この日もデスクは満席。20~30代と見られる男女が、コンピューター画面を食い入るように見つめながら、求職情報を集めたり、履歴書を送ったりしていた。表情は真剣そのもの。私語一つない。

 ミシガンHRDIは、タイヤメーカーなどの小規模サプライヤーと提携し、主に組立工場の作業員などの仕事を紹介している。景気回復とともに雇用は増えてきたが、金融危機前のレベルには戻っておらず、賃金も、時給換算で2~3ドル下がったままだ。

 大半の利用者には扶養家族がいるため、ミシガン州の最低賃金(時給7.4ドル)以上を稼げる製造業の仕事を希望する人が多い。しかし、現在では、高卒の学歴やコンピューターの知識など、組み立て工員の採用条件も厳しくなっていることから、スキルや資格に欠ける「雇用ミスマッチ」が壁になることもしばしばだ。

 「製造業での豊富な経験があっても、テクノロジーに対応できるスキルがないと競争できない。初心者レベルの時給から始める覚悟がないと。発想を変える必要がある」と、サンフォード氏は言う。

 一方で、こうしたハンディは多々あるものの、それを乗り越えて自分の人生を取り戻したデトロイター(デトロイト市民)もいる。前出「アーン・アンド・ラーン」で4週間の心肺機能蘇生(CPR)研修を受け、4500ドルの助成金を取得、現在は歯科助手の勉強にも励むナミーシャ・ノーデンさん(32)だ。20代のころ7カ月ほど刑務所に入った経験を持つが、「研修で人生の幅が広がった」と笑う。

 何が起こるか分からない時代に備え、「jack-of-all-trades(何でも屋)」として手に職を付け、配管工のボーイフレンドを助けながら、自分たちの会社を立ち上げるのが夢だ。「自分を叱咤(しった)激励して前に進んでいる。前科はあるけど、歯科医になりたい」と、ノーデンさん。障害があって働けない父と、一家の大黒柱として働く母が住む実家を訪ねるたびに、通りに街灯がともっていないのを目にし、悲しくなるという。

 「お金があれば、周りの雑草を切ったり、街灯をつけたりして、困っている人たちを助けられるのに……」

 一方、デトロイトには退役軍人も多い(米国勢調査局2012年調べ、3万9265人)。数年の路上生活を経てサウスウエスト・ソリューションズの造園コースで学び、現在は、退役軍人用住宅で暮らしながら、サウスウエスト傘下の非営利団体で造園や植樹の仕事をするダリル・ハミルトンさん(57)も、その一人だ。

 ハミルトンさんは、高校卒業後、ベトナム戦争が終結した1975年に18歳で海兵隊に入隊。7年ほど従軍した後、郵便局のトラック運転手として、年収7万5000ドルを稼ぐまでになった。

 だが、娘二人が十代だったころ、妻がドラッグに手を染めたのをきっかけに、ハミルトンさんは、うつ病になった。アルコール中毒や、退役軍人の多くが苦しんでいるといわれる心的外傷後ストレス症候群(PTSD)も併発。ある日、給料が減ったことに腹を立て、上司にゴミ箱を投げつけ、仕事を辞めた。以来、中流層の生活から一気に転落し、離婚も経験した。

 その後、ホームレスになり、廃屋で雨風をしのぎながらスープキッチンで空腹を満たしては、病気になると退役軍人局(VA)運営の病院に駆け込む日々を送った。だが、元妻の助けで、どん底からはい上がり、昨年、シェルターに入居。サウスウエスト・ソリューションズに救いを求め、今年1月、現在の共同住宅に引っ越した。

 研修修了後、昨年6月に働き始めたころは時給10ドルだったが、今では共同リーダーとして、3人を監督。時給も3ドル上がり、月1300ドルを稼いでいる。連邦政府からの住宅補助金や月額250ドルの障害者手当のおかげで、貯金も800ドルになった。クレジットカードを持てるよう、信用履歴の改善にも奮闘中だ。

 「朝起きてバスで仕事に行き、食事も、体にいいものだけ。(タクシー運転手だった)当時の半分の稼ぎもないが、健康だし、幸せだ」と、ハミルトンさんは話す。ビールも、今ではたまに1本飲むか飲まないかだという。「もう年だからね」と、はにかむハミルトンさんにとって、時折訪ねてくる娘や孫たちとのトランプ・タイムは、至福のひと時だ。

 ミシガン州全体でひと桁しか受からないという難関の造園関係の資格試験にも挑戦している。そんなハミルトンさんの夢は2つ。造園の会社を興すことと、コンピュータープログラミングの勉強をすることだ。「将来は、ウェブデザインの仕事もできるかな……」

 デトロイトの未来へのバスは、やって来るかどうかさえ分からない。それでも、明日を信じ、懸命に生きる人たちがいる。
 
 

肥田美佐子記者を使うには・・・

 さて、如何だろうか。
 
 正味の処、「銃社会アメリカ」をレポートした際の根源的な勘違いや、低レベル放射線の影響に関するインタビューに見られた強烈な予断と回答の乖離(*1)などは上掲記事には見られない。それどころか、取材事実の羅列と言う点では、一定の価値がある、「まともな記事」だ。
 どうやら、「予め定める(らしい)取材意図と、取材する事象の間に乖離が生じない場合は、真面なレポート記事となり得る」のが肥田美佐子記者、らしい。
 そりゃデスクの責任重大だぞ。WSJ紙。

 

<注釈>

(*1) それがそのまま、インタビュー記事見出しと中身の乖離になっていた訳だが。