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小泉元首相の「脱原発発言(*1)」ってのは、余程脱原発原理主義者共(*2)のお気に召したらしい。東京新聞が10/30に「小泉元首相 まっとうな脱原発論だ」に社説に取り上げ、毎日新聞は10月5日に「小泉氏のゼロ論 原発問題の核心ついた」、11月13日に「小泉氏の原発論 首相は耳傾け決断を」と社説を掲げ、何れも当ブログに格好のネタを提供してくれた。
これに負けじ、と思ったかどうかは知らないが、朝日新聞も社説で「小泉脱原発発言」を絶賛している。とあれば、これを当ブログで取り上げないと言う法があろうか。(イヤ、ソンナ事ハ出来ナイ【反語・修辞的疑問文】)
<注釈>
(*1) これを「脱原発論」ならぬ「脱原発発言」としたのは、以前記事に書いたとり「論」と呼べるほどの論理性も説得力も持っていないから。「核のゴミ問題があるから脱原発」と言い出しているが、「核のゴミ問題」は福島原発事故と直接の関係が無い。問題と言うなら3.11以前からすでに問題である。さらには、「脱原発」して「核のゴミが一斉大量発生」したら、それこそ大問題だ。
(*2) 東京新聞、朝日新聞、毎日新聞、沖縄二紙、と、美事なまでに左翼新聞どもが揃っている。コヤツらを「脱原発主義者」ならぬ「脱原発原理主義者」と呼ぶのは、再三繰り返す通り「脱原発を至尊至高の原理に祀り上げて、それ以外の一切を犠牲にしろと主張しているから。犠牲の筆頭は、電力の安定供給である。
【朝日社説】原発ゼロ―最後は国民の意志だ 11/14
【1】 「私は、即ゼロがいいと思います」
【2】 このところ脱原発発言を繰り返している小泉元首相が、先日の日本記者クラブでの会見で言い切った。長らく政権中枢を担った人物から出てきた明確なメッセージである。
【3】 主張はシンプルだ。放射性廃棄物の最終処分場をつくることができない、だから原発は動かせない。この一点に尽きる。
【4】 原子力発電を推進する人たちは、小泉氏に様々な角度から反論をぶつけている。
【5】 「代替エネルギーの見通しもなく脱原発を言うのは無責任だ」「火力発電に頼ったままでは燃料費がかさみ、電気料金の再値上げが避けられない」
【6】 しかし、「これからの日本において、『核のゴミ』の最終処分場のめどをつけられると思うほうが、楽観的で無責任すぎる」という小泉氏の直言に反論するのは難しい(*1)。
【7】 朝日新聞の先週末の世論調査では、小泉氏の主張を支持する人は60%に上っている。自民党支持層でも58%だ(*2)。
【8】 安倍首相は「可能な限り原発への依存度を下げる」と言う一方で、「いまゼロと約束することは無責任だ」と強調する。
【9】 政権は、使用済み核燃料を処理して再利用する核燃料サイクル事業も継続する方針だ。だが、青森県六ケ所村の再処理工場が操業できたとしても、使うあてのないプルトニウムがいたずらに増えるだけ。事業の矛盾は明らかだ(*3)。
【10】 私たちは、10万人を超える住民がいまだ避難生活を強いられる大惨事を経験した。にもかかわらず、政権や経済界は何事もなかったかのように3・11以前への回帰を模索している(*4)。
【11】 そんな姿勢に多くの人はいら立ち、街頭やネット上で異議を唱えてきた。それでもなお耳を貸そうとしない政治に、人々の不満はますます募る。そこをすくいとったのが、一連の小泉発言だ(*5)。
【12】 小泉氏は首相在任中に、「自民党をぶっ壊す」といった「ワンフレーズ」を多用し、国民はそのわかりやすさを圧倒的に支持した。小泉氏はこの支持を背に、自民党内の反対でいったんは葬られた郵政民営化の実現にこぎ着けた。だからこそ、いまは逆に政権の側がいら立ちや戸惑いを見せているのだろう。
【13】 小泉氏から突きつけられた「原発ゼロへの決断」に、安倍首相はどうこたえるのか(*6)。
【14】 首相の背中を最後に押すのは、「原発をなくしていく」という国民の強い意志であることを、忘れてはなるまい(*7)。
<注釈>
(*1) それこそ正に「政治家が決断すべき処」だ。政治や主張は、それだけでは1kwも発電なぞしない。(*2) 世論調査で政策が決まるなら、国会・議会は要らない。(*3) 日本が脱原発したとて、海外に売る手だってあろうが。矛盾なんぞしていない。第一、核燃料サイクルは「現状で核のゴミを減少させられる唯一の技術」。一方で「即時原発ゼロ」は「核のゴミの一斉大量発生」だ。こちらの方が、矛盾していようが。(*4) 3.11東日本大震災と福島原発事故で、「原発のリスクが上がった」訳では無い。完全に「3.11以前に回帰した」としても、「原発リスクは3.11以前のレベルに戻る」だけ。「安全神話崩壊」と言うのは、「目に見える、気になるリスクが上がる」だけで、リスクそのものが上下する訳では無い。況や、3.11の教訓を生かした運用をするならば、原発リスクは3.11以前よりも低減出来る。(*5) つまりは、見事なまでの大衆迎合と言うだけではないか。(*6) Ignore Him.(*7) で、この社説で「世論を焚き付けよう」って訳だ。美事なまでの扇動者ぶりだな。
自分で言って居る事が判っているのだろうか。
さて、如何だろうか。
なんとも凄まじいな。元々の小泉脱原発発言からして「政治家が決めれば、知恵は後から出て来る」と言う他力本願と言うか、「言えば出来る」と言うか、老い先短い引退議員の無責任発言にしても説得力の欠片も無い発言だった。それを持ちあげる東京新聞、毎日新聞の持ち上げ方も凄まじかったが、朝日も負けてはいない。毎日新聞が小泉元首相の他力本願に全面賛同した精神論を開陳していたのに対し、上掲朝日社説は「朝日新聞の世論調査結果」を根拠に
1〉 そんな(安倍首相の原発擁護)姿勢に多くの人はいら立ち、街頭やネット上で異議を唱えてきた。
2〉それでもなお耳を貸そうとしない政治に、人々の不満はますます募る。
3〉そこをすくいとったのが、一連の小泉発言だ。
2〉それでもなお耳を貸そうとしない政治に、人々の不満はますます募る。
3〉そこをすくいとったのが、一連の小泉発言だ。
と、「世論の体現者」として小泉元首相を持ち上げた挙句に、
4〉 首相の背中を最後に押すのは、「原発をなくしていく」という国民の強い意志であることを、忘れてはなるまい。
と、煽る、煽る。
まあ、気楽なもんだ。これで「"世論"と小泉元首相」に迎合して安倍首相が「脱原発に舵を切る」なんて事になってしまい、その結果弊害続出したとしても、「それは、その時の、「原発をなくしていく」という国民の強い意志だった。」と言い逃れる事が出来る。先々回の衆院選挙前に散々「政権交代!」と煽って民主党政権誕生に一役買って見せたが、反省もへったくれも気配すら見せないのがマスコミと言うモノであり、その代表例が朝日新聞であるから、「いつもの事」ではあるのだが。
それにしても、「国民の強い意志」と来たもんだ。なるほど、そいつを持ち出せば、大概の事が「実現」出来るだろう。極端な話、今後一切電力を使わないと「国民の強い意志」で決めれば、脱原発どころか脱発電所が可能になろう。
そこまでは極端だと言うならば「発電量に合わせた社会」と言う手もある。太陽光や風力はじめとする「発電量制御不可能な再生可能エネルギーに依存した社会」だって、構築は可能になる。無論、そんな社会では、電車はとても時刻表通りには動かないし、電気炉による製鋼も不可能に近いほど不経済になろうが、そこは「国民の強い意志」で乗り切れるだろう。ああ経済成長だの、経済発展だのも、現状のレベルとは全く異なるモノになるから、「貿易立国」として成立するかどうかも怪しくなる。という事は、人口が減少傾向になった我が国とは言え、餓死者が相応に出る事態も「国民の強い意志」で甘受出来るのだろうな(*1)。
「欲しがりません勝つまでは」と、何が違うんだ。タイトルにもしたが。
さて、左様な『「原発をなくしていく」という国民の強い意志』が確立してしまえば、なにしろ我が国は民主主義体制をとっているのであるし、私(ZERO)の様な「福島原発事故を経てなお原発推進論者」が「我が国で脱原発なぞ、愚挙にして暴挙」と幾ら訴えても無駄で、我が国は「脱原発に舵を切る」事になるだろう。先々回の衆院選挙で、「政権交代」が実現し、民主党政権が誕生したように、な。
如何に、国民。
<注釈>
(*1) 「全原発即時廃炉」と言う「小泉脱原発発言」でかような惨状が現出すると主張しているのではない。「国民の強い意志」を持ち出せば、斯様な事態も「実現可能」と言っているのだ。
追伸
それにしても、「言えば出来る」の小泉流盲目的楽観論の尻馬に乗るだけの毎日社説と言い、世論調査を根拠に「国民の強い意志」を求める朝日社説と言い、他人の褌借りるばかりで、新聞社としての主張はないのかね。
日本の社説も、相当劣化していないか。半島を馬鹿に出来ないな。
私の原発推進論&「自然エネルギー推進論」
① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術は、無い。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。