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 いや、まあ、「人の振りして我が振り直せ」とか、「心、此処にあらざれば、見るとも見えず」とか、故事ことわざと言う奴ぁ適用を誤ると全く頓珍漢になる事もあるが、何のかの言っても故人の知恵であり、教えなのだと、改めて感心させてくれるのが、下掲する毎日新聞「小泉脱原発発言礼賛社説」だ。
 
 「脱原発発言」と表記したのは、とてもじゃないが「脱原発論」と呼べるほどの論理も説得力も無いから。そんな「小泉脱原発発言」を絶賛する毎日社説なモノだから、それはもう・・・

 
【毎日社説】社説:小泉氏の原発論 首相は耳傾け決断を
毎日新聞 2013年11月13日 02時30分
http://mainichi.jp/opinion/news/20131113k0000m070128000c.html
 「総理の持つ大きな権力を、多くの国民が協力できる壮大で夢のある事業に使ってほしい」。小泉純一郎元首相は日本記者クラブで記者会見し、「原発ゼロ」の持論を改めて展開、安倍晋三首相への期待を語った。
 「今、総理が決断すればできる。郵政民営化の時より条件はよく、恵まれている」。小泉流の主張には説得力があった。安倍首相には、ぜひとも、耳を傾けてほしい。

 小泉氏の「原発ゼロ」主張に対しては、「ゼロを補う代案を出さないのは無責任で楽観的」といった批判がある。確かに、火力発電のたき増しによるコストはかさみ、二酸化炭素も増えている。懸念があることは否定できない。
 しかし、「政治で一番大事なのは方針を出すこと。そうすれば必ず知恵が出てくる」という小泉氏の反論はそのとおりだろう。オイルショックをきっかけに環境技術で世界をリードするなど、過去の歴史をみても、困難があればそれを解決する技術や方法が生み出されてきた。

 「原発依存度を下げる」といいつつ再稼働を推進する中途半端な政策を続けると、再生可能エネルギーや二酸化炭素の排出抑制への投資が進まず、原発から脱却できなくなる。本気でイノベーションを起こそうと思うなら、「原発に頼らない」という大方針こそが有効だ。「今すぐ原発ゼロ実現を」という踏みこんだ主張も、そうした点で理解できる。

 使用済み核燃料の最終処分場がないまま原発を動かしてきた「トイレなきマンション」問題も深刻だ。小泉氏はフィンランドの最終処分場を視察し、日本での場所決定は無理と感じたことも、「原発ゼロ」主張の理由としている。

 「処分場にめどをつけることが政治の責任」という反論はあるが、フィンランドの安定した地盤は日本とはまったく違う。大震災と原発事故で、自然の脅威を知り、原発技術への信頼が失われた日本で、最終処分場選定が非常に困難であることは確かだ。それがわかっていて核のゴミを増やしていくことの無責任さを考えないわけにはいかない。

 もちろん、原発ゼロを実現しても既存の使用済み核燃料は残る。その最終処分については現世代がめどをつけねばならない。ただ、原発ゼロを前提に核のゴミは増やさないと確約されていれば、解決のめどが立ちやすくなるのではないか。

 「本音を探れば自民党の中でも原発ゼロへの賛否は半々」と小泉氏は言う。安倍首相への遠慮から本音が言えないとしたら不健全だ。国民が声を出しつづけることも大切で、「原発ゼロ」論をきっかけに本音の議論を深めたい。
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原理主義とは、狂気の沙汰に他ならない。脱原発原理主義も然り

 さて、如何だろうか。
 是非とも問いたいのだが、小泉元首相も、毎日新聞社説氏も、本当に自分の言って居る事/書いて居る事を理解しているのだろうか。理解しているのだとしたら、正気を保っているのだろうか。
 
1〉 「政治で一番大事なのは方針を出すこと。そうすれば必ず知恵が出てくる」
2〉という小泉氏の反論はそのとおりだろう。
3〉オイルショックをきっかけに環境技術で世界をリードするなど、
4〉過去の歴史をみても、困難があればそれを解決する技術や方法が生み出されてきた。
 
と、小泉元首相も、毎日新聞社説氏も、「脱原発は政治が決断さえすれば済むと断言されているのだが、タイトルにもした通り、その論理に従うのなら、我が国は大東亜戦争に勝っていた筈ではないか。
 
 「戦争を始める/開戦する」と言うのは、これはもうこれ以上のモノは希有なぐらいに重大な政治決断だろう。何しろ戦争だから、国家の存亡に直結している。その点では「エネルギー政策の一方針」でしかない「脱原発方針」何ぞよりも重大だ。

 大東亜戦争と言う困難によって、それを解決しよう=勝とうとする技術や方法は、確かに生み出された。開戦前に遡れば零式艦上戦闘機や、空母を中心とする機動部隊、人類史上最重の戦艦大和級を挙げられようし、開戦後に限っても紫電改の自動空戦フラップや神風攻撃=体当たり特攻を挙げられよう。

 だが、負けた。一時は世界最強を誇った空母機動部隊は壊滅し、最盛期12隻を数えた戦艦群は唯一隻長門を残すのみ(*1)。主要都市と多くの中小都市は、米軍の戦略爆撃で灰燼に帰された上での、完膚なきまでの敗戦だ。
 
 上記4〉「過去の歴史をみても、困難があればそれを解決する技術や方法が生み出されてきた。」及び上記1〉「政治で一番大事なのは方針を出すこと。そうすれば必ず知恵が出てくるのような脳天気な「政治主導」、否、精神論を、大東亜戦争の敗戦は、許さない筈だ。少なくとも「そうはならない可能性」を、数多の英霊達と戦争犠牲者たちの血を以って示しているのだから。
 
 再三繰り返す通り、エネルギー政策の根源は「電力の安定供給」であり、ここで言う「安定供給」には「安価な供給」の意味を含んでいる。脱原発も原発推進もエネルギー政策の一方針であるが、この二つのいずれかを選ぶにしろ、それ以外の「第三、第四、第五…の選択肢」を選ぶにしろ、エネルギー政策は「電力の安定供給」を達成できなければ、「エネルギー政策」と呼ぶにさえ価しない。エネルギー政策は「電力の安定供給の目途を示す」のが当然であり、少なくとも、「電力の安定供給を阻害しない目途」が必要である。
 
 然るに「小泉脱原発発言」と来た日には・・・ 野党の支持が得られようが、国民世論の支持(*2)が得られようが、そんなモノは1KWとて発電しはしない。然るに我が国のエネルギー政策を「脱原発と政治決断」すると言うのは、愚挙にして暴挙であるばかりでなく、究極の人気取り・大衆迎合・ポピュリズムであろう。
 もし仮に、小泉元首相の「脱原発発言」が「タダの人気取り、大衆迎合」では無く、衷心から出たものだ、とするなば・・・今度は誠に恐るべき精神論である。
 
 脱原発なんて主張は我が国では似非科学か宗教、原理主義に依らないと成立しないのではないかと、疑えて来る。ま、東京新聞も毎日新聞も、脱原発原理主義と当ブログで断じて久しいから、毎日新聞社説氏が上掲①社説の様な「精神論」を開陳するのは、異とするには足らない。が、小泉元首相も左様な似非宗教に「ハマった」となると、新ためて人類の愚かさに思い致さない訳にはいかないな。
 
 で、小泉元首相。貴方は、大衆迎合なのか?脱原発原理主義なのか?
 
 どちらにしても、ロクなもんじゃないがね。

 

<注釈>

(*1) その長門を、海軍休日には世界中に7隻しかない16インチ砲戦艦という事でSeven Sistersと謳われた長門を、戦後核実験の標的艦として供出しなければならなかった。それが、敗戦=戦争に負けるという事だ。
 
(*2) 脱原発なぞ我が国では愚挙にして暴挙だが、それを「国民世論が支持してしまいかねない」事は認めよう。国民世論が支持しようが、愚挙且つ暴挙である事に、変わりは無い。
 忘れちゃいけないな、先々回の衆院選挙で、民主党政権への「政権交代」を、それも「憲政史上最多の政権与党議席数」で実現したのは、その国民世論だぞ。 
 
 

私の原発推進論&「自然エネルギー推進論」

① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
 
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術は、無い。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
 
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
 
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
 
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
 
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
 
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
 
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
 
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
 
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。