打ち首の、覚悟すらなく直訴して、常識なしの醜態曝す3―山本太郎、園遊会での陛
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「正義」の押し売り。そは独善也
さて、長々引用したが、如何だろうか。
先ずは長文のインタビュー全文を掲載した産経に謝意を表するべきだろう。質疑は聞き返しと繰り返しの重複が多く、質疑番号ばかり増える上質とは言い難い質疑応答だが、お蔭で「原典・原文」にあたる事が出来る。尤も、「原典・原文」にあたったところで、新たな発見はあまりなく、回答者もさることながら、質問者のレベルに疑念を持たざるを得ないが。
先ずは長文のインタビュー全文を掲載した産経に謝意を表するべきだろう。質疑は聞き返しと繰り返しの重複が多く、質疑番号ばかり増える上質とは言い難い質疑応答だが、お蔭で「原典・原文」にあたる事が出来る。尤も、「原典・原文」にあたったところで、新たな発見はあまりなく、回答者もさることながら、質問者のレベルに疑念を持たざるを得ないが。
回答者たる山本太郎は、「「反原発」だけを標榜して議員に当選した元芸人」としか知らない。ひょっとすると「芸人としては未だ現役」なのかも知れないが、問題は現職の議員という事であり、上掲記事にもある通り今回園遊会に招待されたの国会議員と言う肩書故だ。
なにしろ「反原発を標榜している」山本太郎であるから、「福島原発事故を経てなお原発推進論者」たる私(ZERO)とは主張が異なり、「宗教が違う」のもハナッから判り切っている。だが、上掲記事の背景になった、「山本太郎が園遊会にて天皇陛下に「福島原発事故の惨状」を直訴し、書状を手交した」と言う事象は、そんな「意見の相違」何ぞはるかに超えた大問題である。
まず第一に、既に多方面から指摘されている通りこれは「天皇陛下の政治利用」である。上掲記事【Q7】~【A14】、【Q31】~【A42】にて山本太郎は「天皇陛下の政治利用では無い」と縷々弁明しているが、その根拠は、
①山本太郎自身に「政治利用しよう」と言う意図が無い。
②政治利用する心算ならば、手紙全文を公開するはずだが、そうしていない。
の2点しか挙げて居らず、弁明にも何にもなっていない。上記①「政治利用の意図」があろうがなかろうが、「異例の直訴」は実施され、上掲記事はじめとする各種報道がなされているのだから、「世間の耳目を集める」と言う政治的意図は美事に達成されている。
更には、天皇陛下に直訴して手交した手紙の内容は、上記②「手紙全文公開はしていない」と言っても上掲記事【A3】及び【A43】にてその内容は相応に述べている。
なるほど触れている限りは定量的評価も論理性もなさそうだから、【A33】~【A35】にて山本太郎自身が「政治的主張と言うより、"思い"」と言う主張も故なしとはしないが、「原発に対する不安」や「福島原発事故作業の惨状」について述べているのだから、シュプレヒコール程度以上の政治的意図・主張は込められていよう。その主張もまた、今回の「直訴」を通じて「衆目を集めた」事になる。
更には、天皇陛下に直訴して手交した手紙の内容は、上記②「手紙全文公開はしていない」と言っても上掲記事【A3】及び【A43】にてその内容は相応に述べている。
なるほど触れている限りは定量的評価も論理性もなさそうだから、【A33】~【A35】にて山本太郎自身が「政治的主張と言うより、"思い"」と言う主張も故なしとはしないが、「原発に対する不安」や「福島原発事故作業の惨状」について述べているのだから、シュプレヒコール程度以上の政治的意図・主張は込められていよう。その主張もまた、今回の「直訴」を通じて「衆目を集めた」事になる。
即ち、「山本太郎が、少なくとも結果として、天皇陛下を政治利用した」事には、疑念の余地も弁明の余地も無い。
尚且つ、その山本太郎が天皇陛下へ「手紙を渡す」形で直訴した理由が、当人の主張によると【A6】【A14】【A42】に述べている通り、「人が人に対して伝えねばならない事」として、地位も出自も君臣の別も吹き飛ばしたがため、と言うのだから…まったく、原理主義者とは度し難い。偶には原理主義では無い、「真面な脱原発主義者」ってのは居ないのかね。無論、山田太郎なんぞに「真面な脱原発主義」なぞ、期待すべきも無いが。
ある種の「教義」を原理に祀り上げ、至尊至高のモノとしてしまうから原理主義。そうなれば常識も道徳も倫理もあったものじゃぁないのだが、「園遊会で天皇陛下に手紙を渡す事」を、それも「思い」だろうがなんだろうが政治的意図テンコ盛りの手紙を、解説付きで手渡す事を、「失礼かもしれない【A44】」などと言いつつ「禁じられているとは知らなかった【A44】」と嘯くのだから、山田太郎が冒頭で触れた「常識を知らない大人たち」である事にも、弁明の余地はあるまい。それもこれも、「脱原発原理主義者」ならば「当たり前の事」ではあるが。
それにしても不可解なのは、【A28】にて足尾銅山鉱毒事件に於ける田中正造氏の直訴を、山田太郎が「知っている」と抜かしている事。明治天皇陛下に田中正造氏が直訴した際に、「死を覚悟していた」事はまず間違いない。これに対し、「園遊会で天皇陛下に手紙を渡す事は、失礼かとは思ったが、禁じられているとは知らなかった」などと脳天気に抜かす山本太郎には「死の覚悟」何ぞ微塵も無い。「田中正造氏が明治天皇陛下に直訴した」という事だけを「知って」いて、「陛下への直訴」という事の持つ重大性を全く認識していなかった、という事だろうか。幾ら「原理主義は必然的に"常識なし"に至る」とは言え、程があろうに。
ところで、かかる山本太郎が国会議員と言う立場にあり、園遊会に招待されたのは、一定割合の選挙民がその「清き一票」をこの山本太郎に投じたから、だ。
では、その「清き一票を山本太郎に投じた選挙民」に問おうではないか。
貴方らの「清き一票」は、山本太郎がその殆ど唯一の主張である「反原発」を強烈にアピールする、斯様な「今上天皇陛下に対する直訴」として結実した訳であるが。それで貴方らは嬉しいかね?満足かね?
ま、山田太郎と同じ穴の貉の脱原発原理主義者も多かろうから、「選挙民満足度」は高いのかも知れないが、な。
一番好意的に解釈しても…陛下相手に愚痴こぼしてるんじゃねぇよ。タコ。
「戦争を知らない子供たち」
北山修作詞・杉田二郎作曲
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
若すぎるからと 許されないなら
髪の毛が長いと 許されないなら
今の私に 残っているのは
涙をこらえて 歌うことだけさ
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら
誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
きれいな夕日が 輝く小道を
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
戦争を知らない 子供たちさ