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タイトルに取り上げた「雷峰」と言うのは大陸は支那では有名な「模範的人民解放軍兵士」。「献身的で自己犠牲を厭わない人柄」で、22歳の若さで亡くなったそうだ。「学雷峰(雷峰に学べ)!」なる標語になって記念館だの記念物だのあれこれあるらしいんだが、さて「何をやったのか?」となると、日本語でちょっと調べたぐらいじゃ判らない。因みに「学雷峰(雷峰に学べ)!」なる標語になったのは、毛沢東の時代ってんだから半世紀ほども前の話だ。
まあ、自己犠牲の精神というものは、洋の東西思想の左右を問わない普遍的価値あるモノだから、「雷峰の犠牲的精神に学ぶ」のには私(ZERO)とて異存はない。
が、自己犠牲の精神を発揮する尊敬すべき人たちは、我が国には神代の昔から現代まで、数多あるのだぞ。
勇気をありがとう 踏切事故で亡くなった村田さんの死悼む献花続々
13.10.2 22:52 [鉄道事故・トラブル]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131002/dst13100222540009-n1.htm
事故現場の踏切ではJR東日本が献花台を設け人々が絶え間なく献花に訪れた=2日、横浜市緑区中山町の川和踏切(小林佳恵撮影)
横浜市緑区のJR横浜線踏切で1日、倒れていた男性(74)を助けようとした会社員、村田奈津恵さん(40)が電車にはねられ死亡した事故で、危険を顧みず救助に向かった奈津恵さんの勇気ある行動に称賛の声が集まっている。控えめな性格だが、困っている人を見ると放っておけない強さを持っていたという奈津恵さん。「自分だったらできない」「親より先に逝ってしまうなんて…」。現場近くの人々は口々に奈津恵さんの行動をたたえ、その死を惜しんだ。
■自分にはできない
事故から一夜明けた2日、現場にはJR東日本が献花台を設置し、多くの人が花束を手向け、奈津恵さんの冥福を祈った。
事故に居合わせたという緑区の無職女性(62)は、「親よりも先に逝ってしまうなんて…」と奈津恵さんを悼んだ。「でも、いいことをしたんです。ご苦労さまでした」と、静かに手を合わせた。
現場近くの高校3年の女子生徒(17)は「身近でこのようなことがあったので駆けつけました。自分だったらこのような行動はできないと思います」と、友人とともに合掌。近くの会社に勤務しているという高野千穂さん(42)は「来年の今日も忘れずに来たい」と思いを語った。
■面倒見の良い性格
父の恵(しげ)弘(ひろ)さん(67)によると、奈津恵さんは三人姉妹の次女。小さい頃から絵を描くことや読書が大好きだったという。現在も両親と暮らしており、4、5年前から恵弘さんの不動産業を手伝い始めた。仕事に本腰を入れ始めたのは約1年前から。宅建など不動産関係の資格も取得し、恵弘さんはその度に「なっちゃん、よく頑張ったな」と声を掛けていたという。事故にあったのも、恵弘さんとともに修繕した物件を見に行った帰りだった。
奈津恵さんは控えめな性格だが面倒見が良く、酔った高齢者などが道端に倒れていると、介抱して住所や名前を聞き、家族に連絡してあげたこともしばしばあったという。
「(困っている人などを)見て見ぬふりをできない子でした。私より早く死んでほしくなかった」。恵弘さんは、娘を失った悲しみをこらえながらこう語った。母の春子さん(66)は自宅で「『痛かったね』『お帰り』と声を掛けてあげたい」と涙をこらえながら話した。春子さんは「(献花は)本当にありがたいと思います。周囲に気を使う子だった。男性を見過ごせなかったのだと思う」と語った。
奈津恵さんと交流があった人たちも、思い出すのは彼女の心の温かさだ。犬の散歩中によく出会ったという男性(76)は「『わんちゃん』と声を掛けて犬をなでてくれたりした。犬が大好きな人でした」と話す。事故の1時間前に奈津恵さんと恵弘さんに会っていたという男性(78)は「優しい娘さんでした。涙が出るほど悔しい」と肩を落とした。
■秘めた正義感強く
仕事で奈津恵さんと顔を合わせていた不動産業の男性(57)は、「おとなしそうな彼女がそういう行動に出たのは驚きました。内に秘めた正義感があったのでしょう」と語った。
奈津恵さんが助け出そうとした男性は鎖骨骨折などの重傷で入院中。神奈川県警に「直前から記憶が飛んでいて、気付いたら救急車の中だった」と説明しているという
。
踏切で救助死 「痛かったね」と母 現場に多くの献花
2013.10.2 22:14 [鉄道事故・トラブル]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/topics/affairs-14697-t1.htm
事故現場の踏切ではJR東日本が献花台を設け、人々が絶え間なく献花に訪れた=2日、横浜市緑区中山町の川和踏切(小林佳恵撮影)
横浜市緑区のJR横浜線踏切で男性(74)を助けようとして電車にはねられ、死亡した会社員村田奈津恵さん(40)の母春子さん(66)が2日、自宅で取材に応じ、「『痛かったね』『お帰り』と声を掛けてあげたい」と涙をこらえながら話した。
現場の踏切近くには2日、献花台が設けられ、多くの花が手向けられた。春子さんは「本当にありがたいと思います。周囲に気を使う子だった。男性を見過ごせなかったのだと思う」と語った。神奈川県警によると救助された男性は鎖骨を折るなどの重傷。搬送先の病院で県警の事情聴取に「事故の記憶がない。気付いたら救急車の中だった」と話しているという。
弟橘媛から村田奈津恵さんまで。さらに続く者。
さて、如何だろうか。
先ずは踏切内の男性を救助して命を落とした村田奈津恵さんのご冥福をお祈りする。彼女が救助しようとした男性は、負傷はしたモノの命に別状はない様だから、「以って瞑すべし」とは言い難いが、「自己犠牲の精神を発揮した甲斐はあった」とは言い得よう。
上掲記事には、「自分だったらこのような行動はできないと思います」と言う女子高生のコメントも報じられている。正直なところだろう。私(ZERO)自身、同様の状況で同様な行動を「出来る」とは断言し難い。
だが、「出来るようでありたい」とは願うし、「出来る人」は尊敬する。上掲記事にしても、故人に対するコメントとは言え(※1)、村田奈津恵さんに対する好意と敬意に溢れており、「見ず知らずの老人の為に死んでしまうとは、馬鹿な奴だ。」なんてコメントは無い(※2)。
遡れば、我が国の歴史・伝統はには自己犠牲の精神を発揮した者が数多ある。神代の昔には、己が身を人身御供として夫・日本武尊のため荒海を鎮めた弟橘媛(おとたちばなひめ)があり(※3)、日清戦争に木口小平ラッパ卒(※4)、日露戦争に広瀬中佐(※5)、大東亜戦争には神風はじめとする特攻隊(※6)から玉砕した数多の守備隊まで、「自己犠牲精神の体現者」は文字通り枚挙に暇が無い程だ。
従って、少なくとも自己犠牲の精神に関する限り、我が国には「雷峰」なんざぁ数多居る。今回踏切事故で亡くなられた村田奈津恵さんもその一人、という事だ。
而して、数多の先人たちが発揮した自己犠牲の精神が、我が国を守る抑止力の一端である(※7)事も、忘れるべきではないだろう。
「ならば、行って我らの正統な遺産を要求しようではないか。
我々の伝統に敗北の概念はない。今日は恒星を、明日は銀河系外星雲を。
我々を止められる力など、この宇宙には存在しないのだ。 」―ダンチェッカー教授@J.P.ホーガン作「星を継ぐもの」―
<注釈>
(※1) 我が国では、「死者に鞭打つ」のは相当に嫌われる行動だ。「死ねば誰でも仏様」と言うのが、普通の日本人の考え方/感じ方だろう。(※2) 無論、内心そう思っている者はいるかも知れないし、単に「報じられない」だけかも知れない。(※3) 「弟橘媛の入水」を、史実と主張する心算は無い。だが、かかる神話・伝説が、「古代日本人の自己犠牲精神に対する敬意」の表れである事に、疑い・疑問の余地は無い。なにしろ我が国の歴史は、遡っていくと「神代の昔」になってしまうのだから、伝説・伝承であって史実ではない部分が当然ある。その「史実でない」部分とて、古代日本人の願い・祈り・想いを伝えるモノである事は、間違いようが無い。「民族の受け継ぐべき歴史」には、そんな「史実ではない、伝説・伝承」も含んで、然るべきだろう。(※4) 「死んでもラッパを放しませんでした」と、戦前は修身の教科書にあったそうだ。
(※5) 旅順港閉塞戦で戦闘中行方不明となった杉野兵曹長を探し続け、ついに諦めて離脱する際に敵弾を受けて戦死した。日本初の軍神。(※6) 航空機による体当たり攻撃である神風特攻隊の他に、人間魚雷・回天や、爆装ボート・震洋などが実戦配備された。(※7) 特に、「雷峰」以降には自己犠牲精神がトンと見られないような国に対しては、大きな抑止力となる。