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 弊ブログが相当な「辛口」である事は衆目の一致する処であろうから、信じてもらえないかも知れないが、私(ZERO)は「他人の悪口を言う事」は、嫌いだ。特に「陰口を叩く」のは大嫌いで、批判非難するのならば、面と向かって叩きつけてやる方が、遥かに建設的だと考えている。
 弊ブログが相当に「辛口」であるのは、非難批判すべき対象がこの世に数多あるから。であればこそ、弊ブログ記事の一部は、何らかの形で批判対象に対し送付した「公開質問状」を記事にしている。

 とは言え、斯様に非難・批判対象たちに送付した「公開質問状」の記事は少数派で、大半の「辛口」記事は弊ブログに「公開」されて居るばかりであるから(※1)、「結果として陰口になっている批判的記事」も「多い」と言わざるを得ない。

 今回取り上げるのは、朝鮮日報社会部次長殿が書いた(らしい(※2))コラムであるが、これまた、批判しない訳にはいかないなぁ。

<注釈>

(※1) 記事としては、ね。自説・持論としては、日ごろから公言・断言している。

(※2) ゴーストライターなどの代役に書かせたのでない限り。 



【朝鮮日報コラム】韓国人を「カッ」とさせるもの

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/09/20/2013092000013.html
割り込みや無秩序、うるさい子どもたち
「カッ」となる出来事、大半は解決可能


▲鮮于鉦(ソンウ・ジョン)社会部次長
近所のバス停のすぐ前にベンツが止まった。一人の男性が出てきてドアをロックし、忙しそうに歩いていった。バスを待っていた人たちはぽかんと見詰めるだけだった。そのとき、バス停に近づいてきた老人が声を上げた。「おい、ここに車を止めたらみんなどうやってバスに乗るんだ」。驚いた運転手は戻ってきて車を移動させた。老人は有名な詩人だった。「空をかじったら雨が降ってきた…」。心が空のように澄んでいるので、世の中のことにより厳しいのだろうと思った。


数年後、バス停の風景に変化が起きた。近くの信号機の上に違法駐停車を取り締まる監視カメラが設置された。停留所の前に駐車する車は減少した。誰かが知らずに駐車すると、古株の露天商がからかうように「ほら、あそこにカメラがありますよ」と言った。人の迷惑を顧みない人ほど、自分が金を払うことについては敏感なものだ。皆慌てて車を移動させる。システムのおかげで詩人が怒らなくてもよくなった。


衣料品販売のユニクロのレジで次のような光景を見た。一列に並んで待っているのに、出口から入ってきた夫婦が割り込んだ。「こちらに並んでいる人がいますよ」とある老人が声を上げた。驚いた夫婦は移動した。知らん顔でレジにいた店員はただにっこり笑った。すると老人は店員に言った。「今、あなたに注意したんですよ」


客はミスをすることもある。一列に並ぶことを求めながら客のミスを放置した店員は問題ではないだろうか。ユニクロは衣類だけでなくサービスも日本のシステムを韓国に輸入した。日本ではささいな割り込みトラブルでも客に任せておくことはない。ユニクロは持ち込んだシステムを客に守らせようとしたが、システムの管理法を店員に教育していないようだ。


以前、災害の取材に訪れたときのことだ。救援物資を求める人たちで現場は大騒ぎとなっていた。配分方法を決めないまま荷をほどいたためだ。公務員は腕を組んで見ているだけだった。このときも老人が出てきた。「あなたは何をしにきたんだ」。老人はかっとなり、興奮して胸ぐらをつかんだ。そこでようやく公務員は皆を列に並ばせ、物資を公正に配分した。誰かが「この世の中は怒らないと動かないよ」と言った。

日本人は怒りをよく我慢するという。しかし必ずしもそうではない。東京・渋谷の繁華街は、夜になると酒に酔った人たちで修羅場のように変化していた。このような地域が7-8年前、警棒を持った近所の老人たちが酔っ払いを叱りながらパトロールすると、様子が変化した。老人たちが「がんこおやじ」という名前でメディアに紹介されるや、不良青少年はこの地域に足を運ばなくなった。


韓国人はよく怒るという。しかし必ずしもそうではない。渋滞で車が列を成しても、横断歩道の真ん中まで車が頭を突っ込んでも、食堂で子どもたちが公園にいるかのように走り回っても、隣家の犬のものと思われるふんが家の前にあっても、こうした問題を処理するべき人たちは遠くの山を眺めているだけでも、「そんなもんだろう」と我慢する忍耐力の持ち主なのではないだろうか。仙人だけが住むというヒマラヤの労働者も、韓国に来れば怒ってデモをするのだとしたら、これは国民性の問題ではなさそうだ。「我慢すればがんになる」といわれるが、それほどひどい状況なのだろうか。


マンションの騒音問題で放火や殺人まで犯すおかしな人たちの肩を持つわけではない。独裁に対する抵抗のように、何らかの巨大悪に向かって憤怒しようというわけでもない。われわれが1日に何度もカッとなったりいらいらしたりするのは、大部分が意識やシステムを多少修正し、責任者がまめに動いてくれれば解決できるささいな物事なのではないだろうか。先進国の人たちがカッとならないのは、心が広いからではない。カッとなるようなことが起きないようシステムを細かく設定し、細心の注意を払って管理しているからだ。


鮮于鉦(ソンウ・ジョン)社会部次長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

「韓国人が怒るのは、政府・社会が悪い」Reeeeeeeeeally?!

 さて、如何だろうか。

 くどい様だが上掲コラムは、半島でも「東亜日報と並んで韓国で最も歴史が長い新聞社であり、尚且つ韓国最大の発行部数を誇る。(出典:ウイキペディア)」朝鮮日報の、それも社会部次長様の書いたコラムである。日本語に翻訳する段階で何らかの変成・変質を生じる可能性は否定できないが、朝鮮日報内で相応に推敲もチェックも重ねられたであろうコラム原稿が…この体たらく、である。

 「この体たらく」と私(ZERO)が評する理由の一つは、「中身の薄さ/無さ」だ。なにしろ上掲コラム・日本語にして二千字弱で「主張したい事」は殆ど最後の2パラグラフ(※1)に尽きており、さらに煎じ詰めれば章題にもした通り、韓国人が怒るのは、政府・社会が悪い」だけ。思わせぶりな上掲コラムタイトル「韓国人を「カッ」とさせるもの」は、読者の興味を引っ張るための手段なのであろうが、姑息と言うかなんと言うか…ただでさえ中身の薄い/無いコラムが、このタイトルの為に更に希釈されている。上掲コラムタイトルを「韓国人を「カッ」とさせるのは、政府・社会だ」とでもして置けば、「当該コラムを読んで無駄な時間を取られる人」も減るだろうに。

 「この体たらく」と私(ZERO)が評する二番目の理由のは、ほぼ唯一と言って良い上掲コラムの主張「韓国人が怒るのは、政府・社会が悪い」に呆れ返ったから、だ。

 なにしろ上掲コラムの最後の〆に曰く。

1〉 われわれ(韓国人)が1日に何度もカッとなったりいらいらしたりするのは、
2〉大部分が意識やシステムを多少修正し、責任者がまめに動いてくれれば解決できるささいな物事なのではないだろうか。
3〉先進国の人たちがカッとならないのは、心が広いからではない。
4〉カッとなるようなことが起きないようシステムを細かく設定し、細心の注意を払って管理しているからだ。

 上記2〉及び4〉「システム」と呼んでいる「カッとなる/ならない原因」は、上掲コラムから例を探すと「監視カメラ」「ユニクロのレジ」「公務員」などであるから相当に広い定義だが、具体的には「政府・社会」として置けば概ね網羅出来よう。が、要は「カッとなっている当人以外」の外部要因であり、「他人様、よそ様」である。平たく言えば、僕が怒ってるのは、僕のせいじゃないヤイ!という事であり…ガキかよ。

 先進国の様にシステムがしっかりしていれば、国民がカッとなる事は少ない。  韓国人がカッとなる事が多いのは、システムが不備で、先進国ではないからだ。と言う主張は、それなりに建設的ではあろうし、何より「盲目的に反日ではない(※2)」点は評価できるが…本当かぁ?

 ヒマラヤに住む仙人も、ソウルに来ればデモをする」のならば、「ソウルの韓国人が東京に来る」とどうなるか、興味津津と言う処だ尤も半島人=韓国人の事だから、「東京のシステムが完璧だ」という事さえ「カッとなる」原因になってしまいそうだが。


<注釈>

(※1) より正確には、最後の1パラグラフだけで済む。最後から2番目のパラグラフは、「ヒマラヤに住む仙人でも、ソウルに来るとデモをする」と言う比喩以外は、支離滅裂の感が強い。
 それを言うなら、最後のパラグラフが無かったら、上掲コラムは「一体何を言いたいのかサッパリ判らない」コラムになっただろう。
 否、ひょっとして、「最初は訳の判らないコラムだったのを、最後のパラグラフを追加して、何とか形にした」のだろうか? 

(※2) どころか、「日本のシステム」は褒めてさえいる。