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「サスケ」「カムイ伝」などの忍者漫画で知られる白戸三平の短編漫画に、「武田の五つ」の異名を持つ忍者の物語がある。天才的な腕前を持つカムイ(※1)とも互角に戦える「武田の五つ」の秘密は、隠している生まれついての三本目の腕。彼は腕三本を持つ奇形だったのだ。
「俺は、この体故に、忍びとなった…」の呟きと共に三本目の腕が明らかになる衝撃のラストシーンと、「子供のころ見た前足が三本ある奇形の蛙がヒントになった。」と言う作者解説と相まって、忘じ難い作品である。
「腕が三本の奇形」を含め、奇形と言うのはある割合で発生するモノで、原発事故が無い天然放射線のみ環境下でも発生するモノではあるが、この仏紙の「風刺」は、頂けない。
<注釈>
(※1) それ故に、長編「カムイ伝」の主人公なのだが。
.福島風刺の仏紙、「ユーモア感覚ない」と日本の批判を一蹴
2013年09月13日 08:27 発信地:パリ/フランス
http://www.afpbb.com/article/politics/2967941/11340374
仏紙が掲載した風刺画について報じる日本の新聞記事(2013年9月12日撮
影)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI
【9月13日 AFP】福島第1原発事故の問題を抱える日本が2020年夏季五輪の開催地に選出されたことを風刺する漫画を掲載し、日本側からの怒りを買っている仏週刊紙「カナール・アンシェネ(Le Canard Enchaine)」は12日、「一切の呵責(かしゃく)を感じることなく風刺画の責任を負う」と述べ、日本人にはユーモアのセンスがないと嘆いた。
問題の漫画の一つは、損壊した原発の前の土俵で3本の腕や脚がある力士が向かい合い、その横でスポーツ解説者が「すごい、福島のおかげで相撲がオリンピック競技になった」とコメントしているもの。もう一つは、プールの前で防護服を着用し放射線測定器を手にした2人が、ウオータースポーツ会場は福島に建設済みだ、と話している。
これに反発した日本政府は、同紙に対して正式な抗議文書を送付すると表明している。
日本政府は、福島での事故と汚染水の問題は制御できており、五輪には影響しないと繰り返し強調してきた。日本はこれまでにも、海外メディアで報道される意見に対しては敏感な対応を示し、大きな惨劇をもたらした災害が風刺の対象となることに対して怒りをあらわにしてきた。
菅義偉(Yoshihide Suga)官房長官は記者会見で、「このような風刺画は、東日本大震災で被災した方々の気持ちを傷つける」と述べた上で、「汚染水問題について、誤った印象を与える不適切な報道」とも指摘、同紙に対し日本政府から正式に抗議する構えを明らかにした。
これに対し、同紙のルイマリ・オロー(Louis-Marie Horeau)編集長は、「われわれには悪意のないように思える風刺画」に対する日本からの反応に「ただただ困惑している」として、「ユーモアを表現しているからといって、被災者の皆さんを侮辱していることにはならない。ここ(フランス)では、悲劇に対してはユーモアを持って立ち向かうものだが、どうやら日本ではそうではないようだ」と語った。(c)AFP
.二重の差別と醜悪なユーモア感覚
さて、如何だろうか。
先述の通り、「腕三本」「足三本」を含め、奇形と言うのは原発や原発事故抜きの環境下でも出現しうるものであり、放射線環境はたとえ高レベル放射線環境であろう(※1)とも、「奇形の発生率を高める」だけである。逆に言えば、今後福島原発周辺で「奇形児が生まれた」と言う事例が仮に発生したとしても、「その奇形児は福島原発事故の影響だ」とは、絶対に断言できない。「奇形発生率が著しく高く」なった場合、その増加分は「福島原発事故の影響」と考えうるから、「ある特定の奇形児は、福島原発事故の影響である、可能性が高い」と言えるのみ。この事は「ガンの発病」や「白血病の発病」など、放射線と因果関係を考えられるほとんどの事象に当てはまる事だ。
而して、先行記事「WSJ+肥田美佐子記者=やっぱりダメ らしい http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38377002.html」でWSJ紙にインタビューされた二人の学者と国連報告が認める通り、「福島原発事故による福島在住者への影響は、あるだろうが、計測出来ない位小さいだろう。」とされている。平たく言えば「実害はない」という事であり、三本足だの三本腕だのの奇形が著しく増えるなんて事は、「実際上、無い」と断言出来る。
然るに、上掲記事に取り上げられたフランスは週刊紙「カナール・アンシェネ
(Le Canard Enchaine)」に掲載された「風刺漫画」は、三本腕・三本足と言う奇形と「フクシマ」と化学防護服を結びつけているのだから、次の二つの事を、少なくとも示唆している。
[1] フクシマは、原発事故の影響で奇形発生率が著しく高まるほど放射線の影響を受けている。
[2] 「フクシマの奇形」は、原発事故による放射線の影響だ。
上記[1]は、先述の通り全くのデマであり、そのデマを流すことは風評被害の助長に他ならない。また、左様なデマの表明は、被災地福島に対する差別意識の公言に他ならない。
そりゃ再三繰り返す通り、この世に差別はあるのが当然。「無い」/「無くなった」と思う方がはるかに危険なのであるが、「差別を公言」されるのは適わない。しかもこの差別の対象は、被災地・福島である。正直なところこれだけで、フランスは「カナール・アンシェネ」なる週刊紙を、軽蔑するに十分な理由だ。
上記[2]もまた、差別意識の表れである。こちらは「奇形に対する差別」だ。冒頭で触れた白戸三平の漫画に登場する忍者「武田の五つ」はフィクションであるが、現実に奇形(※2)は発生してきたし、今後も発生するだろう。くどい様だが、原発や核兵器なんざこの世にまだ無い頃にだって、奇形は発生したのだ。「奇形の発生率」と言う統計的数値で以って「放射線や、そのほか以前にはなかった要因との因果関係」を論じる事は出来ても、「福島の(新たな)奇形」を「福島原発事故による放射線の影響」と直結するのは、その奇形当人や周囲の者以外には「差別」でしかありえまい(※3)。
以上からすると、上掲記事に取り上げられた問題の週刊紙「カナール・アンシェネ」掲載「風刺漫画」は、章題にした通り、二重の意味での差別意識表明である。これは、「社会の公器」たる可き報道機関としては、大問題、ではあるが・・・週刊紙「カナール・アンシェネ」が報道機関とは限らないので、この意味で問題視できるか否かは不明だ。なにしろ同紙は、
1〉 「一切の呵責(かしゃく)を感じることなく風刺画の責任を負う」と述べ、
2〉 日本人にはユーモアのセンスがないと嘆いた。
と、上掲記事で表明しているから、上記[1]~[2]の差別意識表明は全く問題視していないらしい。
ところで、上記[1]~[2]の差別意識表明たる問題の「風刺漫画」を見て笑う「ユーモアのセンス」とは、どんなものだろうか?【Q1】
あるいは、問題の「風刺漫画」を見て笑うユーモアで、福島原発事故とその風評被害と言う「悲劇に対して立ち向かう」福島被災者とは、どんな人だろうか?【Q2】
そもそも、問題の「風試漫画」を見て「笑える」人はどれほど居る?【Q3】…ああ、半島や大陸には、相応に居そうではあるか。【A3】
ユーモアと言うモノが、非常に高度高尚な知的なモノであり、「ユーモアのセンス」こそは「最も重視すべき知的財産」とするイギリス人だか佐藤大輔だかの説に首肯できるものを感じる私(ZERO)ではあるが、「ユーモアのセンスがある」は「どんなジョーク・風刺にも笑える」笑い上戸と言う意味ではあるまい。確かに私(ZERO)の「ユーモアのセンス」は、日本人の中でも「良い方」ではあるまいが、上記[1][2]の「差別意識表明」を無視したとしても、問題の「風刺漫画」を見て笑ってしまう日本人と言うのは、ちょっと想像を絶する。
逆に、上記[1][2]の差別意識の発露として、問題「風刺漫画」を笑ってしまう人と言うのは、想像できる。先述の通り半島や大陸には相応に居るであろうと想像できてしまうし、フランス人が斯様な「風刺漫画を笑うユーモアのセンスがある」と言う「カナール・アンシェネ」紙の主張には、「フランス人は半島人・支那人並みか?」と言う疑義を生じてしまう。ああ、「中華思想」では相通じるものがあるか。
だが、そうだとすると、左様な「ユーモアのセンス」なんざ持つのは私(ZERO)ならお断りだ。差別意識の発露としての「笑い」と言うのは、如何に哄笑であろうとも、嘲笑に他なるまい。そりゃ他人を嘲笑するのは、当人は気持ち良いかも知れないが、「ヘイトスピーチでストレス解消」と大差が無い。とても「ユーモアのセンス」が本来持つ高尚・高等さは、感じる事が出来ない。それが「ユーモアのセンスの無さ」であるならば、私(ZERO)は「そんなユーモアのセンスは要らない」と、断言しよう。
その一方で、上記【Q2】の答え、「問題の風刺漫画を見て笑う福島被災者」と言うのは、逆説的だが想像出来てしまう。実際に福島原発事故で避難を余儀なくされ、「絶え間ない」と言いたくなるほどの風評被害(※4)を受けている福島被災者が問題の風刺漫画を見て、「なんだ、へたくそな絵だな。それに腕3本なんて甘いなぁ。私なら四本描くね。」と笑い飛ばしていたら…確かに、その人は「悲劇に対して立ち向かって」いるし、「問題風刺漫画を見て笑って」も居よう。だがそれは、「問題風刺漫画を見て笑うユーモアのセンスを以って悲劇に対して立ち向かっている」のだろうか?
私(ZERO)は、違うと思う。その人は「笑うほどのユーモアのセンスを以って悲劇に立ち向かっている」のでは、ないと思う。「悲劇に立ち向かう強さがあるから、笑える」のであり、「ユーモアのセンス」は、原因では無く、結果であろうと、思われる。
問題の風刺漫画を見て笑う福島被災者の笑い顔は、大抵の泣き顔を粉砕できるぐらい、「悲しい」ものであろう。
如何に、フランス週刊紙「カナール・アンシェネ」。
如何に、ルイマリ・オロー(Louis-Marie Horeau)編集長。
<注釈>
(※1) 無論、生存不可能な高レベル放射線環境下では、奇形何ぞ発生しようもないが。「奇形が発生する」ことは、少なくとも繁殖可能な環境下でなければならない。(※2) 三本足や三本腕と言うほど顕著な例は希有ではあろうが。(※3) 奇形当人や周囲の者にとっては、「被害者意識」たりうる。その当否の程は、また別の議論だが。(※4) その一例は、先日の韓国による「被災地水産物禁輸措置」である。