応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/

 先行記事(※1)や阿蘇地 曳人(あそちえいと)さんとの長文やり取りにて縷々述べたとおり、「共産主義と言うコンセプトは、既に終わっている」と言うのが私(ZERO)の考えだ。「世界初の共産主義国家・ソ連の崩壊・分裂」だけでもその証左としては充分だと考えるが(※2)、その根幹たる唯物論に、どうしようもないほどの薄っぺらさを感じるから、でもある。

 端的には、マルクスの宗教は民族のアヘンである。」と言う言葉に、その薄っぺらさが現われていよう。ここで言う「アヘン」とは、「権力者がその支配を誤魔化す為に被支配者に与える幻想」と言う意味であり、宗教は支配の道具」と断じている。
 無論、宗教が「支配の道具」として利用された事例は幾らもあるが、「支配の道具」なんて世俗的・政治的レベルに宗教と言うモンは留まるまい。より人間の根源的な部分、魂とか精神とか存在理由とかIdenteityとか呼ばれる部分に根差しているのが宗教だ。これは、理と言うよりも情。論理と言うより感覚の問題ではあろうが、それ故に逆に「議論の余地が無い」。そこに「科学的社会主義」なるモノを標榜し、相応に理論体系づけられた共産主義的唯物論/唯物史観と、共産主義だの社会主義だのが登場する遥か以前から連綿と続く「宗教ある者」「信仰ある者」「神を恐れる者」との間にある絶望的なまでのギャップがある(※3)。

 であるならば、未だ共産主義を標榜し、共産党一党独裁国家である中国こと中華人民共和国が、その唯物論的史観から斯様な浅薄な論説を掲げようとも、異とするには足らない。

<注釈>

(※2) と同時に、阿蘇地 曳人(あそちえいと)さんの唱える「新しい共産主義」に「究極・理想のサプライチェーンマネジメントとしての共産主義(と、Zeroは理解した)」に「見るべき処がある」事や、共産主義/社会主義と言うコンセプトが「過度の資本主義化・市場主義化」に対するアンチテーゼと言う役割を果たした事も認めるが。 

(※3) 言うまでもないだろうが、私(ZERO)が属するのは後者であって、前者ではない。
 無論、私は宗教と言う点では典型的な日本人であり、基本は日本神道の徒ではあるが、葬式は仏教で出す予定だし、神社にも仏閣にも教会にも参拝・礼拝する。「知性と理性こそ人類最強の武器」と予てより主張しているが、それと宗教・信仰・畏怖心の間に何の矛盾も感じない。
 大体、日本神道なんてのは、経典も無ければ布教も無い、原始宗教に近い骨絡みの「宗教」なのである。それ故に土着的であり、根源的であり、形として現れる事が少なくとも、影響力は持続的である。仏教もキリスト教も、そのほかもろもろの宗教も、日本人における日本神道を「凌駕した」なんて事態は、有史以来、無かったのではないか。 



.
【人民日報】「鐘声国際論評」日本の政治屋は「亡霊参拝」の茶番を止めよ
http://j.people.com.cn/94474/8355870.html

【】はZeroが振ったパラグラフ番号

 広島への原爆投下から6日で68年。本来歴史への深い反省に立って平和を祈念すべき日本が、「亡霊参拝」の喧噪の中にある。日本の右翼政治屋は敗戦の日の8月15日に靖国神社を参拝すると次々に放言。首相である安倍晋三氏もが閣僚は自らの考えに基づき決めてよいとメディアに主張し、参拝を求めも阻止もしない方針を表明した。(人民日報「鐘声国際論評」)

【1】 毎年8月15日には、侵略の歴史を顧みぬ「亡霊参拝」を日本の政治屋が繰り返すため、歴史の傷跡がえぐられる。この日が近づくたびに、日本の右翼政治屋は歪んだ戦争観と歴史観に駆り立てられて、根本的是非に関わる問題において手練手管を弄する。日本メディアの報道によると、現在までに稲田朋美行革相と古屋圭司国家公安委員長が敗戦の日に靖国神社を参拝すると公言。14日から外遊予定の下村博文文科相はすでに繰り上げ参拝したことを明らかにした。稲田氏は参拝の決定について首相官邸から了承を得たともしている。

【2】 「亡霊参拝」がアジアの人々の感情をどれほど傷つけるか、日本の政治屋は腹ではよく分かっている。問題は、政治の右傾化という現在の社会背景の下、こうした政治屋が政治的得点を稼ぐためには良識さえ顧みないことだ。安倍氏自身の一連の「垂範」も火に油を注いでいる。2012年の自民党総裁選の際、安倍氏は「首相の任期中に参拝できなかったことは痛恨の極み」と発言。2012年10月には自民党総裁として靖国神社を参拝した。今年4月の靖国神社の春季例大祭の際も、首相の名で供え物の「真榊」を奉納した。数日前には麻生太郎副総理があろうことか「ナチス式憲法改正」発言をぶちあげたうえ、「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の意の念を払わないのはおかしい。靖国神社を参拝すべきだ」と公然と言った。全くもって少しのはばかりもなしに人類の良識を挑発する恥知らずな段階にまで達したものだ。

【3】 歴史と現実は切り離せない。歪んだ歴史観は必ず歪んだ現実的行動を招く。日本では政治の右傾化基調が強まるに伴い、公然と歴史を否定し、侵略を美化し、人権を踏みにじる様々な言動が度々出現している。これに対して国際社会は懸念を、特にアジア諸国は警戒を抱かざるを得ない。

【4】 誤った歴史観は日本に平和的発展の道を歩ませ、地域の国々と「共に成長する」ことを後押しするのか?安倍氏は就任後の訪米で、日本は永遠に「二級国家」にはならない、「強大な日本が戻ってきた」と述べた。だが彼は日本が「普通の国」となるのを妨げているのが、決して他国ではなく、日本自身の誤った選択であること、つまり誤った歴史観のために日本と隣国さらには世界各国との関係の未来が全く見えないということを分かっていないようだ。近頃日本側は、中日首脳の対話に前提条件を設けているとして繰り返し中国を非難している。実際には日本側は逆ねじを食らわせているのであり、口先では聞いたふうな事を言う一方で、引き続き歴史と現実を無視し、幻想に溺れ、好き放題に騒ぎを起こしているのである。日本側は対話のスローガンをいたずらに叫ぶ一方で、両国関係の発展に影響を与える障害を取り除くための確かな努力を欠いている。これでどうやって双方の対話に必要な環境と雰囲気をつくるというのか?

【5】 日本の政治屋は「亡霊参拝」の茶番を止めるべきだ!8月15日はアジアの人々が日本軍国主義による蹂躙から解放された記念日だ。われわれは日本の右翼政治屋が歴史観を正し、トラブルを起こすことを止め、茶番を完全に終わらせ、日本の利益とアジア各国の利益のたゆまぬ融合という大きな趨勢に順応し、アジア諸国の協力拡大、共同自己強化、共同発展、互恵・ウィンウィンにプラスのエネルギーを注ぐことを希望する。
(編集NA)


 
.コラムこそ、新聞の真価かも知れな

 さて、如何だろうか。
 
 上掲記事①冒頭にある通り、上掲①記事は、「人民日報「鐘声国際論評」」である。言うまでもないが人民日報は中国共産党中央委員会の機関紙。押しも押されもせぬ「党の口舌=中国共産党の宣伝機関」である。「鐘声国際論評」と言うのは、多分「時評」と言うぐらいだから、コラムなのだろう。
 予てより当ブログでは、「社説こそ新聞社の顔にして、存在理由の一半」と主張し、その主張を「衆目の一致する処だろう」とさえ断じて来た。その理由は社説が「新聞社の主張」と自他共に認める( であろう )モノだから、だ。
 社説に対してコラムは、「新聞社としての看板を背負っての主張」でないだけに、論理性実証性などは社説ほどには求められない/期待されないだろう。だが一方で、「新聞社の主張」としては、いわば「新聞記者の勝手気まま」に出来る分、強く打ち出す事が出来る。であるならば、「社説よりもコラムの方が、新聞社の主張は読み取りやすい。」と言えそうだ。

 事実、上掲①人民日報「鐘声国際論評」は、「主張は鮮明・明白だが、根拠実証はからっきし」になっている。またコラム故に、それが許されるのだろう(※1)。その明白な主張はそのまま上掲①記事タイトルにもなっていて、

(1) 日本の政治家は、靖国神社に参拝するな

と、これ以上ない位に明白に主張している。無論、「右翼政治屋」なんて呼び方をしているし、閣僚の靖国参拝しか上掲記事①では非難していないが、「靖国神社参拝する政治家=右翼政治屋」であろう事は、想像に難くない。

 上記(1)の通り、主張は明白なのだが、その根拠は、と上掲①記事を再読しても、以下の数項目しか見当たらない。

拠<1> 靖国参拝は、「歪んだ戦争観と歴史観」に基づいている。パラグラフ【1】

根拠<2> 靖国参拝は、アジアの人々の感情を傷つける パラグラフ【2】【1】

根拠<3> 靖国参拝は、「右翼政治屋」が右傾化という現在の社会背景の下、政治的得点を稼ぐ為に実施している。パラグラフ【2】

根拠<4> 靖国神社参拝は、「人類の良識」に対する挑発だ。パラグラフ【2】

根拠<5> 「歪んだ歴史観」は、「歴史を否定し、侵略を美化し、人権を踏みにじる様々な言動」の原因だ。 パラグラフ【3】

根拠<6> 「誤った歴史観」のために、日本と隣国間、さらには世界との関係が「全く見えない」。 パラグラフ【4】

 上記根拠<5>~<6>は「歪んだ/誤った歴史観」の否定根拠であるが、上記パラグラフ【5】で「日本の右翼政治屋が歴史観を正し」と要求し、上記根拠<1>で靖国参拝の根拠ともされているのだから、併せて取り扱おう。

 上記根拠<1>~<6>の内、まだ「根拠」と認められるのは、上記根拠<2>「アジア人の感情」であろう。が、今やその「靖国神社参拝によって傷つくアジア人」なる者が、反日教育を連綿と続ける半島と支那ぐらいである事は、周知の事実となりつつある。これは上記根拠<6>とも相通じるが、今、日本の対外関係で「全く見えない」と言い得るのは、日中関係、日韓関係、日朝関係ぐらいで、やはり「反日教育を連綿と続ける半島と支那」だけだ。であるならば、少なくとも上記根拠<6>が「世界」を、上記根拠<2>が「アジア人」を、語る事は誇張であり、単純に言えば詐欺詐称だ。
 況や上記根拠<4>は、「人類の良識」と来たもんだ。「第2次大戦は反ファシズムの戦いであり、大日本帝国はファシストである。これが”人類の良識”だぁぁぁぁ!」との主張なのであろうが・・・

 上掲記事①及び上記根拠<1>~<6>を概観するに、幾つかの切り口がありそうだ。



<注釈>

(※1) 所詮は中国共産党の機関紙であり、謀略宣伝なのだから、「主張が全て」なのかも知れないが。