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 なにしろ東京新聞にとって、オスプレイ(日本にだけ)配備反対」と言うのは「脱原発」と並んで「新聞社が義務として言わねばならない事なんだそうだ。左様なコラムを掲載し、脱原発については「脱原発原理主義」としか評しようが無いほどの「熱意」と言うより「狂気」と「無責任」に満ちた東京新聞なのだから、「オスプレイ(日本にだけ)配備反対」についてもロクな事は言い出すまい、とは十分予想できる処である。

 十分予想できるのだから、こんな社説が掲載されても、異とするには足らないんだが・・・それにしてもまあ・・・

【東京社説】オスプレイ 民意顧みぬ配備強行だ
2013年7月31日

 沖縄県の米軍普天間飛行場に追加配備されるMV22オスプレイ十二機が山口県の米軍岩国基地に搬入された。仲井真弘多知事ら沖縄県民の多くが配備強行に反対している。なぜ民意を顧みないのか。

外国軍である米軍機が日本の空を自由に飛び回る。その軍用機は安全性に疑念が残るから、配備をやめてほしいと基地周辺住民が再三求めても聞き入れられない(※1)。これが安倍晋三首相が思い描く「主権」国家なのか。

垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、八月上旬にも岩国基地から普天間飛行場(宜野湾市)に移動し、配備済みの十二機と合わせて二十四機態勢が整う、という。

住宅地に囲まれ、かつて米国防長官が「世界一危険」と認めた普天間飛行場に、開発段階から実戦配備後まで墜落事故を繰り返す軍用機を、なぜ配備できるのか(※2)日本政府もなぜそれを許すのか(※3)

事故の危険性が指摘される飛行方法を米軍施設上空に限定し、人口密集地上空の飛行は避けるなどの日米合意も守られていない(※4)

仲井真知事は九日、菅義偉官房長官らに追加配備の見直しを要請した。沖縄県議会も十一日、全機撤収を求める意見書と抗議決議を全会一致で可決している(※5)。二十一日の参院選では、配備に反対する糸数慶子氏が当選したばかりだ。

日米両政府は直近の民意がオスプレイ配備反対であることを、重く受け止めるべきではないか(※6)

米国内ではオスプレイの低空飛行訓練計画に周辺住民から懸念が出て、中止や見直しが行われたという。米国内では住民の意見に耳を傾け、国外では聞く耳を持たないというのでは二重基準だ(※7)

これでは自由と民主主義を「人類共通の価値観」と位置付ける米国が世界の民主化の先頭に立とうと意気込んでも、信用されまい(※8)。

米太平洋空軍のカーライル司令官は、空軍仕様のオスプレイCV22の、嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)や横田基地(東京都福生市など)への配備に言及した。

CV22は陸軍特殊部隊の輸送など特殊作戦機として運用されるため、MV22に比べて事故率が高いという(※9)。昨年六月には米国内で訓練中に墜落事故を起こしている(※10)。

危険な軍用機が日本中を飛び回り、その配備も止められない(※11)。オスプレイは沖縄にとどまらず、「国の在り方」にもかかわる重い課題だ。日本国民全体が自らの問題として考えなければならない時機に来ているのではないか。


<注釈>

(※1) 外国軍の装備に、何で基地周辺住民の「声」が「反映」されるんだ? 

(※2) これも事実を並べて嘘を吐く見本だな。事故件数だけ数えるならば、配備数が多く飛行時間の長い航空機の方が「危険に見える」に決まっている。 

(※3) 航空機の危険性は「事故率」で定量的に評価できるし、軍用機の価値は「安全性ばかりではない」と知っているから、だ。つまりは、バカでも原理主義者でもないから、だ。 

(※4) なんだこの訳の判らない抽象表現は。言いたい事があるならば、ハッキリ言うが宜しかろう。大体、「普天間基地の周囲は人口密集地」であるならば、離着陸のたびに「人口密集地上空の飛行」するのは当たり前だ。ホバリング飛行だけが飛行ではあるまい。 

(※5) あいも変わらず「オスプレイは危険だから、沖縄配備だけ反対」と言う。これ即ち「オスプレイ搭乗員や沖縄以外の基地周辺住民は知った事ではない」と公言してはばからない非人道的なまでに利己的な意見書や決議だ。些かなりとも正気があれば、誰が耳を貸すものか。 

(※6) それは、沖縄県民の民意でしかない。仮に沖縄県民全員が一人残らず「オスプレイ沖縄配備だけ反対」の意思表示をしたとしても、それは「一地方の総意」でしかない。オスプレイと言う新型機をどこに配備するかは、一義的には米軍、ひいては米政府の裁量であり、二義的に日本政府が関わるが、「沖縄県民の総意」は、参考意見にしかならない。
 況や、「県民大会決議」や「建白書」が、「オスプレイは危険だから、沖縄配備だけ反対」=「オスプレイ搭乗員や沖縄以外の基地周辺住民はいくら死のうが知った事ではない」と公言して居ては、そんな意見を参考にする方がどうかしている。

(※7) 米軍が、米政府に従い、米国民の意見に耳を傾けるのは当たり前だ。なぁんだって米軍が「日本の民意」に「耳を傾ける」なんて思えるんだ?況や「オスプレイは危険だから日本配備にだけ反対」なんて主張は、「オスプレイ搭乗員や、日本以外の基地周辺住民はいくら死のうと知った事ではない」と言う公言だ。そんなことを公言する「日本の民意」に、何で米軍が従うものか。 

(※8) 詭弁。 

(※9) なんだこりゃ。MV-22の、下手な民間航空機会社が裸足で逃げ出す「事故率の低さ」には全く触れず、「CV-22はMV-22より事故率が高い」ってやぁがる。「事実を並べて嘘を吐く」見本だな。 

(※10) 事故率がゼロではなく、飛行をしている以上、いつかはどこかで事故が起きるさ。「事故が無い航空機」は、通常、「飛ばない/飛ぶことが少ない航空機」だけだ。 

(※11) オスプレイは米軍制式採用機で量産されており、今日も明日も世界中に配備され飛び回っていますが、何か? 



民意は絶対か?

 さて、如何だろうか?

 いくつか記事にした処であるが、私(ZERO)は我が国が曲がりなりにも民主主義体制下にあることを歓迎しているが、「民主主義は絶対善だ」なんて欠片も思わない(※1)。民主主義がまっとうに働く限りは「次善である」ぐらいは期待しうるからこそ、「我が国の民主主義体制」を歓迎し、支持できるのである。先々回の忌まわしき衆院選挙の結果、「政権交代」が実現し、おぞましき民主党政権が(※2)成立した際には、危うく「我が国における民主主義体制」に絶望しかけたが、それでも辛うじて「失望」レベルに踏みとどまり、国外亡命も革命もしなかったから
こそ、今日の安倍自民党政権時代を迎えられた。とは言え、先々回衆院選挙結果のために「我が国に於ける民主主義体制に絶望しかけた」事は紛れもない事実であるから、「民意」なんて移ろい易くも無責任なモノに「全幅の信頼を置く」なんて事は、到底出来ない。民主主義の根底に「民意の反映」がある事は認めるが、民主主義体制は「民意を反映すれば良い」と言うモノでは無い。それは「民意の暴走」と呼ばれるべきモノだろう。

 即ち、私(ZERO)は、「我が国が民主主義体制である事」は支持するが、「民意の絶対視はしない =”民意は、絶対ではない”と考えている」という事だ。
 仮に「民意を絶対視」したとしても、「民主主義体制」と言うのは一国の体制しか意味しない。「日本に駐留する外国軍隊の装備」が直接「日本の民意」例えば住民投票か何かで「決定する」なんて事が、ある訳が無い。常識的に考えれば、判る事だ。

 況や、上掲社説で言う「沖縄県民の民意」は、昨年の県民大会決議にせよ、今年の建白書にせよ、オスプレイは危険だから、沖縄配備だけ反対」と言う非人道的なまでに利己的な主張だ。この主張を「非人道的なまでに利己的」と断じるのは、危険なオスプレイ」に対して「沖縄配備だけ反対」しかしていないからだ。
 オスプレイが墜落事故の可能性が高い危険な機体であると、仮にしよう。その墜落事故に必ず巻き込まれ、免れようが無いのは、誰だと思う?
 それはオスプレイに搭乗する米軍人。特にパイロットとコパイロットの二人は、射出座席も無いオスプレイと運命を共にする。それは無人地帯に墜落しようが洋上に墜落しようが変わりは無い。「オスプレイは危険」ならば、人道的に求めるべき事は「飛行停止」である筈なのに、「沖縄配備だけ反対」を求めるという事は、沖縄以外での墜落事故は知った事ではない」と言う明言であり、「オスプレイの搭乗員や、沖縄以外の基地周辺住民がいくら死のうと知った事ではない。」と言う公言だ。「非人道的なまでに利己的」としか、言い様が無かろう。

 沖縄県民が非人道的なまでに利己的である事は、あり得る事だろう。実際「オスプレイは危険だから、沖縄配備だけ反対」と明記した県民大会決議や建白書を書面で提出しているのだから、これが「沖縄の民意」と主張する限り、「沖縄県民は非人道的なまでに利己的である」と喧伝している事になる。

 非人道的なまでに利己的であるのは、沖縄県民の勝手だ。だが、そんな非人道的なまでに利己的な主張は、いくら「民意」だとて、無視されるのが理の当然で、「人の道」と言うモノだ。

 然るに、まあ、上掲東京新聞社説ときたら、「民意を顧みて、オスプレイ沖縄配備を撤回しろ」と、「非人道的なまでに利己的でも民意なんだから従え」と、こう主張する訳だ。

 尚且つオスプレイの、特に海兵隊型の優れた安全性は、その低い事故率で実証されており、最近は墜落事故も無いから日々安全性を実証し続けている。「オスプレイは危険だ」などと言う主張は「危険神話」とでも呼ぶべきモノ。その危険神話に踊らされた「民意」に従えと言うのだから、衆愚政治も極まれりだな。

<注釈>

(※1) それを言うなら、この世で「絶対」なんてものはそうそうあるモノではなく、「絶対値」と「絶対零度」ぐらいだろう。 

(※2) それも、憲政史上最多の衆院議席数を以って 

<参考>当ブログの民主主義関連記事