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狂気と無責任


 挙句の果てに、こんな暴論まで飛び出す始末だ。

12〉 日本のエネルギー政策に最も必要なのは、未来の安全と安心だ。

…わかった。じゃぁその「未来の安全と安心」とやらで、電気炉を稼働させて製鋼し、鉄道を動かして見せやがれ。海を割って道をつける事よりは、簡単だろう?

 脱原発原理主義も大概にしやぁがれ。エネルギー政策の目的は、見通せる将来にわたって「電力の安定供給」以外の何物でもない。脱原発も原発推進も、再生可能な自然エネルギー普及も、発送電分離も、電力市場自由化も、エネルギー政策の一手段であり、目的である「電力の安定供給」に資するか、少なくとも阻害しない限りにおいて実施されるべきもの。況や「未来の安全と安心」なんざぁ、言葉はきれいだが1kwも発電する訳ではない。そんなものが「エネルギー政策に最も必要なもの」何ぞに、なる訳が無い。それを「なる」と断言するのは狂気の沙汰。正気ではない。まあ、その狂気こそが「脱原発原理主義」と私(ZERO)が断じる所以なのであるが。

 上掲社説の〆こそは、狂気と無責任の極みであろう。

13〉 その先には再生可能エネルギーの普及、そして進化という新しいゴールが待っている。

 正に狂気だな。

 さすがに「今の再生可能エネルギーではマズイ」とでも思ったか、「進化」なんて言葉をアリバイ作りに入れているが、太陽光や風力の発電量が制御不可能な出来高である事はどう進化しようが変わりが無いし、「冷たい計算式/推算式」シリーズで検証した「太陽光で稼働率約1割、風力で約2割」と言うのは日本の立地条件で決まり、これまた「再生可能エネルギー技術」が進化したとて向上は望み薄。一体何十年後、否、何百年後に上記13〉「新しいゴール」を設定しているというのか。

 電力需要は、今そこにある現実だ。我が国に原発の殆どが稼働停止されている現在、我が国の弾力需要を賄っているのは、基本的には火力だ。節電努力も結構だが、それは「電力需要の圧縮」でしかない。太陽光はじめとする「再生可能エネルギーの普及」も、ある処までは何かの足しではあるが、水力以外の再生可能エネルギーは、電力供給の1%を担っていたのが1.4%に増えただけ。まあ、これだけ占める割合が少ないからこそ「電力供給の不安定要因」となる事は避けられているが。

 上記13〉「再生可能エネルギーの普及、そして進化という新しいゴールと言うのは、大容量高効率畜放電技術(※1)の目途すらついていない現状においては、「夢」と呼ぶさえ儚過ぎる。「狂気と無責任の産物」と評するのが、至当であろう。


<注釈>

(※1) これが開発され、普及すれば、太陽光や風力が発電力として役に立つ可能性が出て来る。「私の自然エネルギー推進論」http://www.http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html で論じたとおり。