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偏見と言うものは、厳に注意しなければならない。
「偏見は差別につながるモノであり、差別は悪い事だから」と言う綺麗事の建前論(※1)もさることながら、究極のところ「偏見」とは一種の決めつけ・思考停止であり、冷静冷徹客観的な判断を阻害するモノであり、つまるところ「偏見を持つ者自身にとって損である」と考えるから。とは言え、ある意味「パラダイム」なんてのも「偏見の一種」と言えなくもない(※2)のだから、この世にある人と言う人には「偏見は付き物」と思うべきであり、私(Zero)自身とて例外ではない。
私(Zero)自身が「偏見(かも知れない)」と考えていることの一つが、タイトルにも取り上げた「WSJ(Wall Street Journal)紙+日本人女性記者=駄目」と言う「公式」であり、その事例はアメリカ銃社会事情や、オキュパイ運動顛末記事、或いは軍の広報活動に対する頓珍漢な批判記事などとして当ブログでも取り上げている。
急いで付け加えるならば、「日本人女性記者によるWSJ紙記事」は、当ブログで取り上げたもので網羅された訳ではなく、私(Zero)自身も全記事を読んでいる訳でもないから、あくまで上記「公式」は実証・検証されたものですらない。
だが、こんな記事を見つけると…タイトルの通り、「WSJ(Wall Street Journal)紙+日本人女性記者=駄目」と言う「偏見(と思しき公式)」にも、信ぴょう性・信頼性・「自信」が強まってしまう。
<注釈>
(※1) 建前論には建前論の存在意義があるし、「差別反対」「差別嫌い」と言う意味ならば、私も人後に落ちる心算は無い。が、「平等とは、差別・区別が現にあると認める事」と言う立川談志師匠の言葉(それが、どれほど真面目本気かは、疑問ではあるが )も、大いに首肯してしまう。「差別のない社会」と言うのは、言葉は綺麗だが「核兵器のない世界」よりも非現実的だと、思えてならない。
(※2) あるいは『一つの”常識”が、時代状況によって実情に合わない”偏見”と化してしまう』事が、パラダイムシフトである
【WSJ】日本、防衛白書でナショナリスト的な調子高める
By YUKA HAYASHI
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324368204578596692415324324.html
【東京】 日本政府は9日発表した防衛白書で、中国との領土をめぐる緊張の高まりや北朝鮮の挑発的態度を指摘し、国家の安全保障への脅威が高まっているとし、軍事能力の拡大と米国との連携の一段の強化が必要だと強調した。
安倍晋三政権で初となる防衛白書の中で、政府は地域安保面で日本が直面する課題と、これらにどう対応するかについて、過去数年よりもよりナショナリスト的な言葉遣いをし、より警戒的な調子を示した。
小野寺五典防衛相は白書の前書きで、日本の安保環境におけるさまざまな課題と不安定要因は「顕在化、先鋭化、深刻化」しているとし、日本は「国民の生命と財産、領土、領海、領空を断固として守り抜く」と述べた。
安倍首相は昨年12月、東シナ海の諸島をめぐる中国との紛争と北朝鮮の核兵器計画の脅威など地域の挑発に対して断固たる態度を取ると約束して、再び首相の座に就いた。同政権の分厚い白書は、地域安保問題と日本独自の防衛能力および戦略を分析している。
安倍政権は過去11年で初めて防衛予算を増やし、前年度比0.7%増の4兆6800億円とした。また、今後10年間の防衛戦略の方向を定める長期の防衛計画大綱を見直している。新大綱は年末までに発表されるとみられる。
白書はこの内容について詳細を記していないが、自衛力としての日本の軍隊の性格を変える可能性のある、現在検討中の二つの新しい分野を示した。それは外国の敵基地への先制攻撃能力と、米海兵隊に似た水陸両面で活動する新たな戦力の創設だ。
白書の論調が大きく変化したのは、中国の軍事面での影響力と領土問題における攻撃性の高まりを扱った部分だ。白書は、中国が「既存の国際秩序と相容れない独自の主張に基づき、力による現状変更の試みを含む高圧的とも指摘される対応を示しており、その中には不測の事態を招きかねない危険な行動もみられるなど、今後の方向性について不安を抱かせる面もある」としている。
日本の今年度の防衛予算は11年ぶりに増加した
今年1月に東シナ海の問題の諸島周辺で起きた中国軍艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃管制用レーダー照射に関連したこの部分には、昨年の白書に比べてはるかに対立的な表現がみられる(※1)。以前の白書は、中国は「高圧的とも指摘される対応を示すなど、今後の方向性について不安を抱かせる面もある」としていた。
中国国営新華社通信によると、同国外務省の華春瑩・副報道局長は北京での記者会見で、白書について、「中国脅威論」を不当に強調したものだと批判した。同副局長は「日本がもっと適切な態度を取り、政治的信頼を改善し、地域平和と安定を高めるために努力するよう希望する」と述べた。
同副局長は領土紛争に関して、中国は常にこうした問題は対話で解決すべきだと言っているとし、「同時に中国はいかなる国にも領土を侵害させない」と強調した。
白書は北朝鮮について、「弾道ミサイル問題は、核問題ともあいまって、国際社会にとってより現実的で差し迫った問題となっている」とし、「その動向が強く懸念される」述べた。
地域の敵対意識が高まって、日本は米国との防衛協力を強化しているが、白書はこの2国の関係が日本の防衛の柱の一つであり、アジア太平洋地域の安保の枠組みにおいて不可欠な基礎だと強調した。米国と日本は最近、自国防衛と地域安保の面で日本の役割を拡大することを目指して、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直しを始めた。
白書はまた、米国が政策の「軸足」をアジアに移そうとしている中で、同国の国防費の削減圧力が強まっていることに懸念を示し、「われわれは厳しい財政状況がこうした政策にどう影響するか注視している」と述べた。
今回の白書のもう一つの特徴は、自衛隊隊員による多くのミニエッセーが掲載されていることだ。これは自衛隊への注目度を高めることを狙ったものとみられる。
<注釈>
(※1) 交戦規定によっては即時反撃が許可される事態だ。しかもその射撃管制レーダー照射は、中国共産党政府の事前許可も無しに実施され、あまつさえ中国共産党政府は事後で「人民解放軍の暴走」を擁護強弁して見せたのだ。これで「対立的な表現」にならなかったら、どうかしていようが。
民主党政権じゃなくなったのだ。当然だろう。
さて、如何だろうか。
全体的に言えば「タイトルが一番インパクト大」と言うところ。それだけ「パンチの利いた見出し作りに成功」とも言い得るが、「羊頭狗肉で中身のない記事」とも言い得る。記事本文の大半は、今回防衛白書の「新味」を報じ、これに対する中国共産党政権の反発をそのまんま右から左に流す。〆はどういう訳か白書に盛り込まれた「自衛隊隊員による多くのミニエッセー」で、「これは自衛隊への注目度を高めることを狙ったものとみられる。」が〆の一文。「淡々と事実を報じた」と言いたいところだが、「インパクト大のタイトル」からすると、「憎々しげに書いている」と言う印象を免れないのだが、如何だろうか。
ちなみに、英語原文のタイトルは「Japan Raises Alarm Over Defense 」。直訳するならば、「日本政府は国防上の警報を発している」であり、邦題は”Raises Alarm”を「ナショナリスト的な調子を高める」と訳したようであるが…こりゃ少なくとも「相当な意訳」であり、場合によっては「大誤訳」とされかねないレベルだろう。
上掲記事日本語の冒頭近くに、
1> 過去数年よりもよりナショナリスト的な言葉遣いをし、より警戒的な調子を示した。
とあるから、上記「翻訳」は「誤訳」とはされないだろうが(※1)…上記1>「過去数年」と言うのは、忌まわしき民主党政権時代であり、あの忌む可き鳩山由紀夫が首相であった時代を含んでいる。「日本列島は日本人だけのものでは無い」と(※2)、日本国首相=自衛隊三軍最高指揮官の地位にありながら公言できてしまう奴バラが政権与党の地位にあったころと同じ「言葉遣い」であったならば、それは相当に「インターナショナリスト的」であろう。無論、ここでいう「インターナショナリスト的」と言うのは、決して「グローバル時代に応じた」だの「国際的」だのの言葉が持つ「良い意味」「褒め言葉」ではない。寧ろ「根無し草」「何を言いたいのか、考えているのかわからない」「早い話、気違い」とも言うべき「貶し言葉」だ。
かてて加えて、上掲記事突込みにも入れた人民解放軍艦艇による我が自衛艦に対する射撃管制レーダー照射事件を、勘案しない訳にはいくまい。交戦規定によっては即時反撃が許される、日中再戦争の火蓋を切ることにさえなりえた重大事件であり、「盧溝橋の一発」にも比肩しうる挑発行動。それを人民解放軍艦艇が中国共産党政府の事前許可も無しに実施したのだから、「人民解放軍の暴走」とも言うべき事態だ。さらに左様な重大な事件を、あろう事か中国共産党政府は、事後承諾し、強弁擁護して見せた。
斯様な事態を受けて、
2> 以前の白書は、中国は「高圧的とも指摘される対応を示すなど、今後の方向性について不安を抱かせる面もある」としていた。
と、前年度の表現を踏襲してしまうようでは、防衛白書の存在意義そのものが問われよう。我が国周辺の安全保障状況を的確に要約する事は、防衛白書の(少なくとも)目的の一つであるはずだ。
であるならば、防衛白書の表現が、以前よりも厳しいものとなり、「ナショナリスト的な調子を高める」のは理の当然であって、異とするには足らない。
それを、上掲WSJ記事は、中国共産党政権の「中国脅威論否定」主張を右から左に流し、「ナショナリスト的な調子を高める」とタイトルに仰々しく掲げ、「自衛隊員のミニエッセー」を「自衛隊への注目度を高めることを狙った」と、批判がましく報じる(※3)。これを「駄目記事」と判定するのは、非難が過ぎようか?偏見だろうか
<注釈>
(※1) それどころか、上記翻訳タイトルを含めて、記者自身の手による可能性すら、ある。(※2) その序でに「地球は人類だけのものでは無い」とまで抜かした事も、忘じ難い。誰だよ、こんな気違いを国会議員に、党首に、日本国首相に、しちまった奴ぁよ。
(※3) 文言だけからすると「批判的に報じている」と断じる事は難しい。それだけ巧妙に「批判している」と感じるのは、私(ZERO)の、それこそ「偏見」だろうか。