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古い政治ジョークがある。まだ冷戦華やかにして、米ソが対立基調であった頃のジョークだろう。
アメリカ人がソ連人相手に自慢する。「私は自由の国に住んでいる。私がホワイトハウス前で『合衆国大統領のばか野郎!』と叫んでも、逮捕される事はない。」 対するソ連人も負けじと言う。「我が国だって自由だ。私が赤の広場で『合衆国大統領のばか野郎!』と叫んでも、逮捕される事はない。」
『合衆国大統領のばか野郎!』の部分は他の表現もあろうが、ジョークの意図は説明するまでもないだろう。要はアメリカを「筆頭」とする自由主義国家に於いては言論の自由が保障されており、現政権批判した事で逮捕されることは(基本的には)無いという事であり、それが当時のソ連を筆頭とする全体主義国家とは大いに異なる、という事である。
幸いなことに我が国は、冷戦時代も今も自由主義国家であり、一定の言論の自由は保障されている。従って日本人で日本政府を非難するのも自由であり、非難する言説には事欠かない。であるならば、人民日報とその親玉・中国共産党政権にとって好不都合な日本政府批判を主張する日本人学者というのも、いくらでもいる。
半島は韓国も、体制上は一応民主主義国家であり、言論の自由を標榜している。尤も、「親日家」というのが相当な悪口で、このレッテルを貼られると下手すりゃ財産没収なんてこともありうるような体制では、とても「言論の自由」「学問の自由(1)」が「ある」とは言い難い国(2)。とは言えそんな「不自由な言論空間」故に「対日批判は勝手放題、というより半ば強制される」状態。やはり、人民日報とその親玉・中国共産党政権にとって好不都合な日本政府批判を主張する韓国人学者というのも、「いる」と言うより「大量生産されている」と言った方が良かろう。
であるならば、「(中国共産)党の口舌=宣伝機関」たる人民日報に「日本人学者と韓国人学者の主張が掲載された」と言えば、凡そその中身は知れてしまう。
①【人民網】日本の「軍事大国化」は歴史の後退
人民網日本株式会社事業案内 更新時間:13:00 Jun 18 2013
http://j.people.com.cn/94474/8288793.html
日本の自民党は昨年末の衆議院選で多数議席を獲得し、民主党から政権を奪回した。これは民主党政治の誤りに対する有権者の懲罰であると同時に、小選挙区制度の欠陥の賜でもある。(文:五十嵐仁・法政大学教授、人民日報掲載)
首相に返り咲いた安倍晋三氏は「危機突破内閣」を組織し、一連の経済政策を迅速に打ち出したが、国家の長期目標については明らかにしていない。「美しい国」「戦後レジームからの脱却」を明確に打ち出した首相初当選時とは大違いだ。安倍政権は民衆にすぐに悟られないよう、長期目標を巧妙に隠している。だが政策が徐々に打ち出されるに従い、安倍氏の真の目的が明らかになってきた。政治面では軍事大国化の推進と日米軍事同盟の強化だ。これは外交、安保政策の後退といわざるを得ない。
外交面では安倍氏は「戦略外交」「価値観外交」「国益を主張する外交」「日米同盟を基軸とする外交」を打ち出している。その具体的措置として、11年ぶりの防衛費増額、防衛大綱の改定、自衛隊の対処能力の強化、国家安全保障会議の設置などが挙げられる。
人事面では、安倍内閣の顔ぶれは「タカ派」の色彩が濃厚だ。閣僚19人のうち多くが「日米防衛協力指針」を見直し、日米の軍事協力を強化し、自衛隊を国防軍にすることを主張している。アルジェリア日本人人質事件の機を利用して、日本人輸送のための自衛隊の海外派遣を解禁し、「自衛隊法」の目的を見直そうとしている。
世論面では、自民党は憲法改正に必要な要件を衆参両院の3分の2以上の賛成から過半数の賛成へと緩和する憲法第96条の改正を支持するよう国民を誘導している。これは「戦争発動の権利を放棄」した憲法第9条の改正が最終的狙いだ。
教育面では、自民党の「教育再生実行本部特別部会」は教科書検定基準としてアジア各国への配慮を定めた「近隣諸国条項」の見直しを決定した。
安倍氏の軍事大国化政策は時代の潮流と世界の情勢に合致せず、日本社会の問題を解決できないのみならず、逆に複雑化させ、日本の国際的地位を低下させ、経済成長に影響を与える。
中国の巨大市場に対して、日本は貿易で米国と欧州を上回るべきだ(※1)。だが日中、日韓関係は領土紛争のために緊張している。安倍氏は就任後、問題を解決できないだけでなく、周辺関係の緊張を高めている。安倍氏による軍事大国化の推進が、技術と資源の浪費をもたらすのは必至だ。
質の高い労働力は日本経済成長の重要な要素だが、これは戦後民主主義教育の結果だ(※2)。自民党政権は教育に政治介入し、軍国主義を象徴する教育を強制的に推し進めようとしており、教職員組合のこれまでの共通認識を破壊し、教育思想をねじ曲げた。安倍氏の最大の問題は日本が発動した戦争に対して反省を欠いている点だ(※3)。これは安倍氏の歴史認識発言や自民党の憲法改正案から見て取れる。
戦後民主主義教育の目標は平和と民主主義を愛する人格の育成だ(※4)。安倍氏が制定を望む新憲法は日本民主主義の形成を損ない、周辺国との関係を破壊し、日本を国際社会で孤立させる。また、グローバル化に必要な創造力と独立性を備えた「地球市民」の育成にとってマイナスだ(※5)。
日本軍国主義の否定が戦後日本の民主主義社会の誕生を促した。だがこの成果は日本およびその他の国々の数千万人の犠牲と引き換えに得られたものだ。日本の指導者は誤った政策のもたらす結末をしっかりと予見すべきだ。安倍氏が誤りに早く気づけば、それだけ日本の払う代償は小さくなる。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年6月18日
<注釈>
(※1) 逆に言えば、現状において日本の対中貿易は限定的で、米国・欧州を下回っている。結構なことだ。それを「上回るべき」とする理由は?(※2) それは、「戦後平和教育の結果」ではない。(※3) 「東亜侵略百年の野望はここに覆った」ではないか。少なくとも、建前としての大東亜戦争には、天地俯仰に恥じる処は無い。(※4) で、その「戦後民主主義教育」に全く反省点が無い、と思っているのかね?(※5) 「地球市民」なんて奴バラは、十中八九根無し草の腑抜けで何の役にも立たない。典型例は、鳩山由紀夫であろう。再三繰り返す通り、当ブログでは「鳩山由紀夫」というのは、そのフルネームでおおよそ人知の及ぶ限り最大級の悪罵と認定している。つまりは、反面教師であり、「鳩山由紀夫のようになってはいけない」であるから、「地球市民を育てるなんざ、とんでもない」だ。
もう少しマシな学者が居ろうものを
さて、如何だろうか。
先述の通り、「中国共産党にとって好都合な日本政府批判をする学者」ならば、韓国人学者ならそれこそより取り見取り(※1)。日本人学者にだって掃いて捨てるほどあろうものを、選りによってこの程度の学者を掲載するかね。
上掲①の五十嵐仁・法政大学教授は、ウィキペディアによると「法政大学大原社会問題研究所所長」なんて御大層な肩書を持っているそうだし、上掲①も「文:五十嵐仁・法政大学教授」となっているから自ら書かれたか、インタビューに答えられたものと推察するのだが、以下の諸点が論理的に脆弱ないし破綻している。
(1) 「中国の巨大市場に対して、日本は貿易で米国と欧州を上回るべきだ」とする根拠を全く示していない。
おそらくは、これは五十嵐教授にとっての絶対善・大前提なのであろう。確かに頭数は多いが日本の10倍以上の人口で日本並みのGNPしか稼がず、何かきっかけがあれば反日暴動で夜逃げを余儀なくされるような「中国の巨大市場」が、特に日本にとって魅力的でないのは当然であろう。尖閣諸島をめぐる対立が始まる以前から、反日暴動はいくらも例があったし、通州事件が再現しないだけ見つけモノというものだ。いやそれだって、いつまでもつか、分かったモノではあるまい。
(2) 「戦後教育の成果」と「戦後平和教育の弊害」を、恐らくは意図的に、混同している。
「質の高い労働力は日本経済成長の重要な要素だが、これは戦後民主主義教育の結果だ」と言うのは、「戦後教育の成果」と言う点では肯定できるものだが、「平和と民主主義を愛する人格の育成」と「質の高い労働力」は、少なくとも直結しない。
それに我が国の識字率の高さ・文盲率の低さは殆ど伝統的なものであって「戦後教育の成果」ではない(※2)。
(3) 「戦後」を「戦前・戦中を否定するもの」としか規定していない。
そりゃ戦争に負けたんだ。反省もあるし、直すべき点もあろうさ。だが、「日本軍国主義の否定が戦後日本の民主主義社会の誕生を促した。」では「戦前・戦中の完全否定」であり、何物も継承されまい。
確かに占領政策によって戦後「平和」憲法を押し付けられ、大日本帝国憲法は無理やり断絶させられた。だが、「万世一系」の天皇陛下、National Ensignとしての旭日旗、四季の変化に富む国土と、われら日本人自身と、戦前・戦中・戦後に一貫するもの、一貫させるべきものは、いくらもある。
大東亜戦争敗戦しか「戦後の原点(※3)」が無いならば、そんな歴史は半島並みの薄っぺらさ(※4)しかなかろうが。
かと思うと、その半島の方の学者先生は・・・
へ続く
<注釈>
(※1) 殆ど半島を挙げての対日批判国家だからな。(※2) 我が国への文字の導入が、決して早いとは言えないことを考えると、実に不思議な話ではあるのだが。文字が導入されて早々に編纂された万葉集に、相当に広範な国民( と言う概念は、まだ相当希薄だったと思うが )から和歌が寄せられているという事実は、「文字普及以前に、和歌を詠むという習慣が相当に浸透していた」という事を意味するようだし、そうであるならば、「文字はなくとも文学はあり、それも広範に普及していた」事になる。もっとも、和歌を単なる「文学」と捉えるのは、多分誤りで、恐らくは呪文・呪術・宗教的色彩を帯びたものと考えるべきであろうが。それにしたって、宗教的儀式が文学に化けてしまった例を、私は他に知らない。「私(Zero)が知らないだけ」と言う可能性を、十分承知しつつ、だ。なにしろ私(Zero)は理系の人間で、文学史なんざ早々に忘却土に叩き込んじまったんでね。(※3) それが一つのEpoch Making Pointであった/ありえることは認める。だが、全面的な断絶点・特異点ではありえない。例えそれが、「焼け野原と化した国土」であろうとも。(※4) なにしろ、「ウリナラ半万年」を唱える同じ口で、「日帝支配が民族の原点」と言えるんだから、大したもんだ。この二つが「真実」ならば、半島は49世紀間も「日帝植民地になる準備をしていた」事になろう。