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株主総会の季節である。「ものを言う株主」とかがある種の流行で、ダメ元覚悟であれこれ提案したくなる人もあるのだろう。電力各社の株主総会で、「北陸電力を除く8社で脱原発を求める提案があった」と報じられている。という事は、「日本
の電力会社の中で唯一原発を持たず、持つ予定も当ても無い沖縄電力にも”脱原発を提案する株主”が居た」という事であり、これだけでもお里が知れるというか、育ちが判るというか、少なくとも「真面目に脱原発を目指しては居ない」のは明白であ
る。
ま、「福島原発事故を経てなお原発推進論者」たる私(ZERO)ならずとも、そんな「脱原発提案」をまともに取り上げる電力会社のあろうはずもなく、当然の如く「全脱原発提案却下」となった訳だが、脱原発を至尊至高の原理として何者よりも勝ると考えている(と推定される)脱原発原理主義者としては「ゆゆしき事態」なのだろう。朝日新聞が、みょうちくりんな主張を繰り出している。
【朝日社説】原発と経営―実は気づいてませんか
原発を持つ電力会社の経営陣のみなさん。今年の株主総会も「脱原発」を求める株主の声を一蹴しましたね。むしろ、「一日も早い再稼働」への執着を鮮明にされました。
9社のうち8社が、火力発電の燃料費の増大などで赤字。7社が過去の利益を蓄えた「別途積立金」の取り崩しに追い込まれ、3社は積立金が底をつきました。ゆゆしき事態です。
原発活用を打ち出す安倍政権のもとで、一気に「元どおり」を狙いたい。遠い将来より、まずは目先の利益、というところでしょうか。
思えば、みなさんはずっとそうでした。地震・津波対策も、放射性廃棄物の処分も、核燃料サイクル事業の吟味も、みんな後回し。原発は「国策」なんだから、いざとなれば国が考える、いや、考えるべきだ――。
3・11後も一向に経営姿勢が変わらないのを見るにつけ、そんな思考がしみついているのでは、と邪推したくなります。
でも、本当は気づいているのではないですか。もう昔には戻れない。原発を抱え続けるのはしんどい、という事実にです。気づいていないとしたら、それこそ驚きです。
東京電力の崩壊は、いざという時に政府は守ってくれないことを証明しました。みなさんがせっせと献金してきた政治家も、事故直後はだんまりを決めこみました。
一方、事故を経て規制は格段に厳しくなりました。今後は基準が改定されるたび、すべての原発への適用が求められます。寿命間近で出力の小さい原発にまで、です。存続にこだわると費用はどんどんかさみます。
廃棄物問題の先送りも、もはや限界です。使用済み核燃料棒の保管場所からして足りない。それゆえに原発を動かせなくなる事態が迫っています。
しかも、安倍首相は電力システム改革を断行すると明言しています。きのうまでの国会で法案は成立しませんでしたが、方向性は変わりません。発電部門と送電部門が切り離され、競争が激しくなれば金食い虫の原発を維持するリスクはもっと大
きくなるでしょう。
釈迦(しゃか)に説法ながら、先を読み、自らを柔軟に変えてこその企業経営です。どうも、過去の経緯にがんじがらめになっている気がしてなりません。
もう少し時間が必要でしょうか。みなさんの中から早く、真の意味での経営合理性を掲げ、「いち抜けた!」と方針転換されるところが出てくるのを期待しているのですが。
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「倫理」よりはマシかも知れないが
さて、如何だろうか。
主張している事は、ほぼ1点に尽きるだろう。
【1】 原発を抱え続けるのはしんどいから、電力各社は脱原発しろ。
上記【1】「しんどい」の意味は幾つかあるようで、列挙すると以下の通り。
① 福島原発事故後の対応に見るように、政府は原発推進の責任を取らない(※1)
② 原発に対する規制が厳しくなった。
③ 核廃棄物の問題もある。
④ 今後、発送電分離が実現され、競争が激しくなり、電力会社の経営環境は厳しくなる。
かように「しんどさ」を数え上げて、上掲朝日社説は以下の2パラグラフを〆としている。
1〉 釈迦(しゃか)に説法ながら、先を読み、自らを柔軟に変えてこその企業経営です。
2〉どうも、過去の経緯にがんじがらめになっている気がしてなりません。
3〉 もう少し時間が必要でしょうか。
4〉みなさんの中から早く、真の意味での経営合理性を掲げ、
5〉「いち抜けた!」と方針転換されるところが出てくるのを期待しているのですが。
上記1〉「釈迦(しゃか)に説法ながら」と、一応アリバイ作りの限定詞はあるものの、一体朝日新聞社説氏と言うのは、何様なんだろうね。確かに、東京新聞社説もアメリカがスリーマイル事故以来初の原発新規建造を決めた際に「コスト高を訴える」と言う暴挙にして愚挙を為していた。朝日新聞社説も、さすがは脱原発原理主義の同じ穴のムジナ、と評するべきだろうか。
私(ZERO)が上記東京新聞社説を「暴挙にして愚挙」と非難するのは、ほかでもない。新規原発建造を決めた米国電力会社が、新規原発の利害得失・コストとリスクを「考えない訳が無い」から、だ。それをもちろん勘案して、スリーマイル事故も福島原発事故も(※2)踏まえた上での「新規原発建造」である事は、賭けても良いぐらい。いまさら東京新聞如きに「コ
スト高」を言われる筋合いはない、から。
上掲朝日社説は、上記東京新聞社説の直球勝負の脱原発原理主義に比べれば、相当に巧妙だ。なにしろ、上掲社説中に、
6〉遠い将来より、まずは目先の利益、というところでしょうか。
とあるから、原発再稼働が「目先の利益」となり、上掲社説中にもある電力各社の原発停止に伴う経営悪化ともども、「原発再稼働の利点」を認めており、それがために上記4〉も「真の意味での経営合理性」としており、上記6〉「目先の利益」としての”経営合理性”と対比/対置している。要は、「脱原発すれば長期的にはお得ですよ」と主張し、「原発再稼働は短期手利益でしかないですよ」と誘導している訳だ。「こっちの水は甘いぞ」とね。
なーにが、甘いんだか。
上記①~④の主張にしても、「福島原発事故の影響」と言い得るのは、②と④のみ。③「核廃棄物の問題」は別に福島原発事故が起きて急に問題になった訳ではない。以前から問題であり、今でも問題だが、「福島原発事故の影響」としては、そのあおりで中間貯蔵施設の問題が急浮上したことと、核燃料サイクル研究への風当たりが強くなったことぐらい。それらは確かに問題ではあるが、中間貯蔵施設を拡大しないという選択をしても、核燃料サイクル研究を放棄しても、デメリットばかり多く、メリットは殆ど無い。「脱原発への一歩」と言う意味なら、あるかも知れないが、それだけだ。
上記④は、「福島原発事故の影響」とはいえ、ドサクサ紛れの感が強い。「方向としてそういう方向にある」と言う朝日社説の主張に、今のところ「そうらしい」と同意せざるを得ないが、「それが正しい」とは全く思えない。エネルギー政策の本質は、見通せる将来にわたって「電力の安定供給」だ。この「安定供給」の中には「安価に供給」の意味も含むから、発送電分離や新規参入自由化もエネルギー政策の一環足りうることは認めるが、安定供給に対する明確な責任と言う意味では、今の地域割り一社独占体制より弱まることは、まず間違いない。
上記①の「政府の無責任」は・・・そりゃ「民主党の無責任」ではないのか。かつては首相自ら「原発輸出」を己が成果と誇っていた筈が、今じゃ元首相が「脱原発運動家」に堕し、「2030年台までに原発ゼロを実現するようあらゆる資源を投じる」を以って「骨太のエネルギー政策(※3)」と称するようになったのは、福島原発事故当時政権与党であった民主党だ。だが、自民党は、原発再稼働を容認して先の衆院選挙を戦い、勝ち、今再び参院選を戦おうとしているぞ。
さはさりながら(※4)、朝日新聞社説主張の通り今後ますます経営環境が悪化するものとして、現状でも経営状態が悪化している各電力会社が「脱原発を決める」事が、経営改善に資するだろうか??
とーんでもない。
今、電力会社が「脱原発を決める」という事は、火力発電所に必死に食わせている燃料代は引き続き必要という事でもあれば、現在原子炉の中にあり、原発再稼働すれば莫大な電力を生む核燃料も放棄ないし二束三文で買い叩かれねばならない。この先何十年だか使えた筈の原子炉は廃炉となって価値を一切産まなくなり、それどころかこれから廃炉処置をしていかねばならない。無論、廃炉処置は原発を稼働し続けてもいずれは必要になる/なった処置であるが、「脱原発を決める」という事は、「一斉の廃炉措置が必要になる」と言う事だ。
さらに言えば、稼働停止した原発は、稼働中の原発よりも事故リスクは低いだろうが、「事故リスクは低い」と言うだけで、決して「無い」訳ではないし、おそらくは十年単位を要する廃炉課程の中には、相応に「事故リスクがある」課程もあろうから、「脱原発・全原子炉廃炉」は「核廃棄物なし」でもなければ「原子力事故リスクなし」でもない。
原発も放射能も、リスクは定量的に評価すべきであるし、特に原発は「発電の一手段」なのだから、発電力・発電量・発電可制御性などのメリットと合わせた評価しなければ意味が無い。「再生可能エネルギー」としてやたら脚光を浴びる太陽光や風力が、発電コストで原発の3倍以上、稼働率は太陽光で1割、風力で2割、かつ発電量は制御不可能であり、電力供給としては不安定要因(※5)であることを考慮しなければ、意味が無い。
で、今のところ地域割り一社独占体制であり、各地域での電力安定供給に一位的・一義的に責任を負う各電力会社が、原発再稼働のコストとリスク、メリットとデメリットを、勘案しない/しなかった訳が無い。
「経営状態が悪いので、背に腹は代えられない」と言う判断は、あり得るかも知れないが、もしそう判断したならば、朝日社説の言う「真の意味での経営合理性」なんざぁ、「部外者の戯言」でしかないだろう。
推察するに、朝日社説は何も「電力会社に経営合理性を説く」気はサラサラ無いのだろう。
当該朝日社説の目的は、広く国民一般に、「脱原発に”真の”経営合理性がある」と思わせる事。だから数字皆無の定量評価で「浪花節」しか出て来ない。
だが、それは、社説ではなく、プロパガンダであろう。
<注釈>
(※1)ああ、確かに菅直人と、奴がまだいる民主党は、ものの見事に「脱原発」政党になったな。だが、政権与党ではなくなったぞ。
(※2) 少なくともすでに起こった事象として
(※3) 「電力安定供給」のめどが無いモノを、「エネルギー政策」などと呼べない。況や「骨太」なんて形容詞が、つくものか。
(※4) 国民が「常に正しい選択をする」なんて全く期待できないことでもあるし。
(※5) そのくせ、今の法律では発電量全量を電力会社が全量効果買い上げ、だ。「電力新規参入自由化」したら、この「再生可能エネルギーによる高コスト要因」は、どの電力会社が背負うのか、あるいは分担するのかね。そりゃ方法はあるだろうが、ね。