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毎日新聞記者と言う人種は、「戦後平和教育の精華」なんじゃなかろうかてぇ記事(※1)は、以前にアップした。無論、朝日新聞や東京新聞、あるいは沖縄二紙=琉球新報&沖縄タイムスの記者も「戦後平和教育の精華」ぶりは負けていなさそうでなのであるが、どうも私の目につく範囲では、毎日新聞記者記者の「戦後平和教育の精華」ぶりが、一党地を抜いている様だ。
言うまでも無かろうが、此処で言う「戦後平和教育の精華」と言うのは、相当な悪口である。その最上級が「鳩山由紀夫」であると言っても過言ではなさそうな位。因みに「鳩山由紀夫」と言うのは、大凡考えられる限り最大級の悪罵と、当ブログでは定義している。
<注釈>
【毎日】記者の目:フォークランド諸島の教訓=國枝すみれ
毎日新聞 2013年06月12日 02時02分
今春、フォークランド(アルゼンチン名・マルビナス)諸島を訪れた。風が刺すように冷たい世界の果てだった。
1982年、英国とアルゼンチンは島の領有権を巡って戦い900人以上の死者が出た。誰も軍事衝突が起きるとは思っていなかった。両国政府の誤算や、弱腰と批判されることへの恐れなど、さまざまな要因が重なった結果だった。沖縄県・尖閣諸島の領有権を主張する中国と対立する日本も、対応を誤ればまったくの人ごとではない。領土戦争を経験した両国の帰還兵や島民は今、何を考えているのか。その声に耳を傾けてみた。
開戦当時を振り返ってみよう。アルゼンチンのガルティエリ大統領は、高まる軍政批判をそらすため、英国が実効支配する諸島に上陸した。「英国は反撃しない」と信じ、戦争になるとは思わなかった。島民さえ合意すれば主権をアルゼンチンに引き渡す用意があった英国のサッチャー首相は驚いた。派兵を決めたのは「力をかければ英国は屈する」と思われたくなかったからだ。
当初、両国民に戦争の現実感はなかった(※1)。アルゼンチン兵の多くは徴用された若者で軍人ではなかった(※2)。「家に帰りたい」と泣く兵士もいた(※3)。ところが両国は主権にこだわり、調停は次々に失敗した。戦死者が出ると妥協はより難しくなった。戦いは74日間に及び死者だけが増えた。
◇喪失感や罪悪感 傷いまだに深く
代償は大きかった。戦後31年を経ても諸島では地雷除去作業が続き、心身に後遺症を抱える帰還兵や遺族の苦しみは続いている。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのラケル・ウガルデさん(78)は、戦死した長男ダニエルさん(当時20歳)のIDタグのかけらを31年間肌身離さない。ウガルデさんの夫は、喪失感から立ち直れないまま、97年に死亡した。夫は息子が埋葬されたとみられる諸島の墓地を録画したビデオテープを毎日10回以上も見ていた。「また見ていたのね」「見ていない」。ウガルデさんに隠れてビデオを見る夫との間で、そんなやりとりがいつも続いていた。
死者を背負って生きているのは帰還兵も同じだ。アルゼンチン中部ロサリオで、帰還兵フリオ・マスさん(51)は生き残ったことへの罪悪感に苦しんでいた。戦争では敵の銃弾だけでなく飢えで死亡した兵士も多かった。マスさんは帰還後、結婚して子どもも生まれたが、「彼らが生きていれば、今ごろ、子どもと暮らしていた」と思うといたたまれないという。「なぜ、やつが死んで自分が生き残ったのか」。米国で取材したイラク帰還兵と同じ言葉だった。
帰還兵仲間の一人は、政府から無料住宅を支給された日に自殺した。「気持ちは分かる。家があれば残された家族は何とかなる、と思ったんだ」。マスさんも何度も自殺を図った。孫が生まれた3年前、やっと決意して自殺用の拳銃を川に投げ捨てた。
◇領土問題解決に通用しない「正論」
アルゼンチン人は、敗戦後の今も諸島は自国領と信じている。アルゼンチン政府は英国支配が続く諸島を経済封鎖している。だが、戦争で解決すべきだとは思っていない。帰還兵のホセ・ラスチアさん(50)は領土戦争はもちろん、現政権による経済封鎖にも反対だ。「島民を脅すのではなく、週3回新鮮な野菜を空輸して親アルゼンチン世代を育てれば良い。今は英国文化の中で暮らす島民も、3世代ぐらい経れば考えが変わるかもしれない。力では勝てない。力の反対は協力と説得だ」
「戦争はこりごり」なのは島民も同じだ。ティム・ミラーさん(60)は「英国がアルゼンチンに主権を返還すると同時に、アルゼンチンが諸島の独立を受け入れて諸島政府に主権を渡す、というのはどうかな」と両国のメンツを立てるアイデアを出した。
帰還兵や島民は分かっている。両国民が自分たちの意見が正しいと信じる領土問題で、互いに「正論」を主張し合っても解決しない。必要なのは柔軟で現実的な発想だ。
3年前に諸島沖で英国の石油会社が油田開発を始めてから、両国関係は冷えこんでいる。それでも双方に、今、再び戦うという選択肢は、ほぼない。外交の場では派手な批判合戦をしているが、31年前の経験から学び、諸島の英駐留軍もアルゼンチン軍も縮小し続け、南大西洋の軍事的緊張は低下している。
日本と中国もフォークランド諸島の教訓を基に東シナ海の緊張緩和に力を尽くすべきだ。(メキシコ市支局)
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<注釈>
(※1) これは嘘だろう。アルゼンチン軍はイギリスを舐めていたんだろうが、イギリスはフォークランド諸島に敵前上陸に出発したのだ。(※2) 馬鹿じゃないか?徴用されて軍隊指揮下に入って軍服来てれば、徴用だろうが志願だろうが軍人だ、馬鹿者。(※3) これは「あるアルゼンチン軍の惰弱さ」を表わす現象であって、「アルゼンチン人の平和主義」などと解釈する奴は、馬鹿だ。「家に帰りたいと泣く兵士」なぞ、例え徴兵であろうとも、「国の恥」であろうが。
なんたる単純。なんたる平和ボケ
さて、如何だろうか。
「戦争は悲惨だぁ!だから、主権争いなんかせずに、緊張緩和しろと言うのが、フォークランドの教訓だぁ!平和万歳ぃぃぃぃl!」以外に、何か言っているだろうか。
1〉 日本と中国もフォークランド諸島の教訓を基に東シナ海の緊張緩和に力を尽くすべきだ。
と言う上掲社説最後の一文に、それは端的に表れている。「戦後平和教育の精華」と呼ぶにふさわしい平和ボケぶり、平和原理主義ぶりと言うべきだろう。平和=緊張緩和が自己目的化して、原理に祀り上げられ、主義も主張も「棚上げ」にされ、戦争は絶対悪視されている。イギリスはフォークランドの主権を美事に取り返し、それを維持している、なんて視点は欠落ないし恐ろしく軽視されるから、そもそも「イギリスがアルゼンチンに対し隙を見せなければ、フォークランド紛争は起こらなかった」と言う視点には、触れもしない。
2〉 「英国は反撃しない」と信じ、戦争になるとは思わなかった。
と、アルゼンチンに思わせてしまったのがそもそもの失策。端的に言って「イギリスおよびイギリス軍が、アルゼンチンに侮られた」失敗こそが「フォークランドの教訓」であるなんて、欠片も思いやしない。
そりゃ「フォークランドの教訓」として「戦争の悲惨さ」を挙げるのも良かろうさ。それもまた教訓たり得る事は私(Zero)も認めよう。
だが、「戦争の悲惨さ」なんてのは言ってみれば当たり前。今更強調された処で、それが戦争抑止になる可能性なんざぁ、憲法9条よりは幾らかマシかも知れない、程度だ。況や、言論の自由も思想の自由も無い一党独裁国家・中国共産党政権相手に、「戦争の悲惨さ」なんざぁ、何の抑止力たり得ようか。
フォークランドの教訓は、緊張緩和なんかではない。英軍の戦争抑止失敗、「イギリスが隙を見せ、侮られた事」こそが「フォークランドの教訓」だ。
而して、我らが尖閣諸島は、フォークランド楝とは異なり住民も住んでいなければ、常駐部隊も無い。中国本土から距離があるのは救いだが、「日本が侮られる」条件は、尖閣諸島の方が揃って居ると考えるべきだろう。
Parabellum!戦いに備えよ。
我らは、支那に、舐められてはいけない。