応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/

 仄聞するところによると、軍隊蔑視・軍事忌避と言うのは、何も戦後平和教育の成果ではなく、平安時代にまで遡れる「日本人の精神的風土」なんだそうだ(※1)。「死」や「死に結びつくもの」を忌避する「穢れ思想」が昂じて、死刑を執行する事(※2)さえ殆ど行われなかった平安時代には、「死体に触れる」事から解体業・皮革加工業を生業とする者を「穢多非人」として被差別階級化し、それが巡り巡って「部落差別」にもつながっている、そうだ(※3)。
 そうは言っても「解体・皮革加工」どころか「死そのものを生業とする」武士階級がその後に台頭し、武家の棟梁が「幕府」を作って国政を預かる「武士の世」になるのだから、「日本人の軍隊別紙・軍事忌避」も時代によって強弱があり、戦国時代や戦時中には相当に弱まる/弱められると言う事だろう。

 大東亜戦争敗戦以来約70年。我が国は幸いにも「戦争に巻き込まれる」事もなく、冷戦時代には「国防バブル」を謳歌して、「平和ボケ」などと言うある意味大変な贅沢が大手を振って罷り通ってきた。別けても社民党なんかは「平和ボケ」の代表格で、憲法9条が最大の抑止力大の大人が素面で公言してしまうような「党」である。ソリャ私(ZERO)何ぞとは「ハナッから宗教が違う」のは自明だし、つい先ごろまで恐るべきことに政権与党の座にあった民主党も似たようなもの、なのも承知なのだが、それにしてもコイツは・・・


<注釈>

(※1) 出典は・・・井沢元彦著「逆接の日本史」、だったかな。 

(※2) これは当時、「戦争を実行する事」に次ぐ、「国としての意思の強制執行」だった。 

(※3) 「平安時代の解体業者・皮革加工業者」から「現代の部落差別」まで、少なくとも「真っ直ぐ繋がる」とはとても思えないし、現代の「部落差別」の責を「平安時代の被差別化」に求めてさらには「現代日本政府」に求める事が至当・妥当とは、もっと思えないが。
 「差別」と言うのは、究極の処、「最後の国境線」と同様に「人の心の問題」であり、政府や公権力のできることは、限定的と知る可きだろう。 



① 海兵隊基地は「人殺し基地」 社民・山内氏が暴言
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130611/plc13061120480017-n1.htm
2013.6.11 20:46 [社民党]
 社民党の山内徳信参院議員(比例代表)は11日の参院外交防衛委員会で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設について「辺野古新基地建設は人殺しをする戦争目的の飛行場建設だ。(米国の)海兵隊の使う基地は人殺しのためのものだ」と述べた。

山内氏はまた、「辺野古移設を断念しなければ日本政府は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ」と主張した。これに対し、小野寺五典防衛相は「自衛隊も、米軍も基本的に安全保障のための役割を担っているのであり、決して他国の人の命をあやめるためにあるとは思っていない」と反論した。

7月末に任期満了を迎える沖縄県出身の山内氏は今期限りの引退を表明しており、11日の委員会では特別委60分の質疑時間を与えられた。


【参考】山内徳信参院議員ブログ
http://www.blogs.yahoo.co.jp/tokushin_yamauchi?

② 社民の「米軍は人殺し」発言 民主・柳田氏が理解示す
2013.6.20 21:10 [民主党]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130620/plc13062021120009-n1.htm
 社民党の山内徳信参院議員が参院外交防衛委員会で「米海兵隊の使う基地は人殺しのためのものだ」と発言した問題があり、民主党の柳田稔元法相は20日の同委員会で「そういう声も沖縄にあるんだな。真摯(しんし)に受け止めなければならないと感じた」と理解を示した。
 沖縄出身の山内氏は11日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を「人殺しをする戦争目的の飛行場建設だ」と述べた。

 柳田氏は、佐藤正久防衛政務官が山内氏に発言の撤回を求めたことを問題視し、「議員が委員会の場で発言するのは憲法で認められている」と山内氏を擁護。柳田氏は菅直人政権の法相当時、「(国会答弁は)2つ覚えておけばいい」との国会軽視発言で辞任に追い込まれた。


官房長官(当時)が「自衛隊は暴力装置」と公言して御咎めなしの党だから


 さて、如何だろうか。

 上掲二本の記事から、改めて社民党・山内と民主党・柳田の発言を拾うと、以下の通りだ。

山1〉 「辺野古新基地建設は人殺しをする戦争目的の飛行場建設だ。
山2〉 (米国の)海兵隊の使う基地は人殺しのためのものだ」

山3〉 「辺野古移設を断念しなければ日本政府は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ」

 いや、まあ、「宗教が違う」とハナッから判って居ても、やっぱり呆れる他ないな。

 軍隊が「人殺し」を訓練するのも、「戦争目的」なのも、至極当然の事である。軍隊は「戦争目的」で「人殺し」訓練をするからこそ、国防にも資すれば、抑止力ともなる。「戦争目的」でない上「人殺し」訓練もしない「軍隊」は、到底「軍隊」とは呼ばれない。そんな集団は、国防の役にも立たなければ、抑止力にもなりはしないのだから。せいぜいが「救世軍」になれるかどうか、と言う処。街頭で募金活動でもして居るのがお似合いだろうさ。

 そんな上記山1〉~山2〉「ぶっ飛び軍隊蔑視」上記山3〉「辺野古移設反対論」との論理的つながりも実に酷いモノだ。上記山3〉で言う民主主義国家ではないと言うのは「地元沖縄県民の反対を圧しての辺野古移設」を指すのだろうから、こちらは未だ「論理的関連がある」。国防は国の職掌で、既知配置は兵力の配分で、兵力の配分は安全保障上の必要から決まると言う、安全保障上の常識に目を瞑れば、だが。まだ、繋がるだけマシだ。
 上記山3〉「文明国家ではない。野蛮国家だこちらが特に論理的に繋がらない。なにしろここで「文明国家ではない。野蛮国家だ」と断じる根拠は、「戦争目的で人殺しをする軍隊を擁しているから」としか読めない、解釈できない。
 ところが、世に「文明国家」とされる、主として先進国、所か大凡「国」と認められた集団に於いて、「戦争目的で人殺しをする軍隊を擁していない」例は、皆無と言ってい良いぐらいだ。従って、上記山3〉で言う「文明国家」と言うのは、何処のどんな国を指すモノやら、サッパリ判らない。憲法前文世界にならあるのかも知れないが、それは「この世には文明国家なんて存在せず、野蛮国家のみである」と言う事だ。

 ああ、ひょっとしてコスタリカか?「内戦の道具になる」と言う実に情けない理由で「常備軍を廃止」した(※1)。だが、あの国は、警察が装甲車を持っているし、賭けても良いが「人殺しの訓練」も実施しているぞ。「戦争目的ではない」とは、建前上言えそうだが、それも「内戦は戦争ではない」と考える限りだ。

 以上からすると、社民党・山内の日本政府は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だと言う批判は、せいぜいが日本はコスタリカになれと言う主張でしかない。さて、耳を傾けるほどの価値があろうか?

 一方、上記山1〉~山3〉に対する民主党・柳田の発言は、以下の通り。

柳1〉 「そういう声も沖縄にあるんだな。真摯(しんし)に受け止めなければならないと感じた」

・・・間違いと気違いは何処にでもあるのだから、ソリャ沖縄にだって気違いぐらいいるだろうさ。問題は、沖縄に居ようが本土に居ようが、「気違いの戯言」を「真摯に受け止める」なんて事が、如何に無駄で虚しい事か、と言う事だ。尤も、民主党・柳田と言えば、未だに議員ではあるがロクでもない元法相(※2)にしか過ぎないから、「真摯に受け止め」たところで大した事は出来まい。つまりは真摯に受け止める」と言うのは、単なるリップサービス・おべっかに終わる公算大である。「幸いにも」と言うべきだな。
 「法相の答弁は、二つ覚えておけば良い」と言う暴言で法相を辞任させられた柳田だ。それ以前から法相失格は明白だったくらいだから、今更リップサービスの「暴言(※3)擁護」を論ったとて、大した益はあるまい。

 ただ、社民党・山内の明言した軍隊差別・蔑視に同調して見せた点に、かつて官房長官であった仙谷の「自衛隊は暴力装置」発言に通底するものを見るべきであろうし。また、「日本は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ」と言う日本批難には、「日本国旗を2枚つなげて民主党旗に作り替え、それを民主党HPに掲載した」事実と符合するものを感じざるを得ない。

 つまりは、私が以前出した民主党に対する宣戦布告(※4)は、未だ有効有益である、と言う事だ。


<注釈>

(※1) これ即ち、「軍隊が私兵でしかない」と言う事。まあその点は、支那も似た様なものではあるが。 

(※2) まあ、それを言うならば、民主党議員でまともな奴はとんと覚えがなく「民主党の大臣」と来たら実害弊害ばかりで全く功績が思い出せないんだが。 

(※3) 社民山内の上記山1〉~3〉の発言は、海兵隊のみならず我が自衛隊を含む全世界の全軍隊に対する差別・蔑視の公言である上に、我が国に対する暴言である。特に後者は、「民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ」と断言しているんだ。他に解釈のしようがないだろう。