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つまり「安倍政権の”価値観外交”は中国にとって都合が悪い」
さて、如何だろうか。
仮に、上掲人民網日本語版の言っている事が全て正しいもの、だとしよう。『日本の戦前は軍国主義の歩みで、戦後も連綿として軍国主義勢力が存在し、その一部が今安部政権として権力を握ったモノ』、だとしよう。
1〉 日本の全面的な「右傾化」という明確なメッセージが国際社会に向けて発せられたことは間違いない。
2〉 同様に安倍政権の推し進める歴史修正主義路線に鼓舞されて、極右政治屋が大いに放言し、
3〉 日本政界の極めて歪んだ価値指向を世界の人々に教える結果となった。
4〉 いわゆる「価値観外交」が世界を欺き不当な名声を得ようとする政治トリックに過ぎず、
5〉 国際社会と民主主義、自由、人権に対するこの上ない愚弄であることは火を見るよりも明らかである。
と、上掲記事前半にある。ソリャ中国共産党政権にとっても、人民網にとっても、結構な事で歓迎すべき事だろう。『日本の戦前は軍国主義の歩みで、戦後も連綿として軍国主義勢力が存在し、その一部が今安部政権として権力を握ったモノ』であり、それが全世界に明白に示されたのだから、これ以上に歓迎すべき事態はちょっと想像し難いぐらいだ。その「日本の軍国主義」が、安倍首相の唱える価値観外交=「民主主義、自由、人権の普遍的価値」に反するからこそ上記(5)「愚弄」であり、上掲記事タイトルにも在る『典型的な「人格分裂」』でもあろう。
私は「魂の自由を愛する者」だ。それ故に、我が国が不完全とは言え(※1)民主主義体制を取っている事を誇りともすれば幸いともしている。であるから、上掲人民網記事の言う通り『日本の戦前は軍国主義の歩みで、戦後も連綿として軍国主義勢力が存在し、その一部が今安部政権として権力を握ったモノ』であるならば、「安倍首相の唱える価値観外交」が上記5〉「民主主義、自由、人権に対するこの上ない愚弄」である事に同意する。また安部首相がその「価値観外交」を唱えることで上記4〉が認める通り「名声をえる」と言う事にも同意する。
即ち、私(Zero)は「価値観外交の意義」を上記4〉で人民網自身が認める通りに大いに認めるし、『日本の戦前は軍国主義の歩みで、戦後も連綿として軍国主義勢力が存在し、その一部が今安部政権として権力を握ったモノ』ならば、安倍首相の唱える「価値観外交」は、虚偽欺瞞とならざるを得ない事も認める。
だが、無論、私(Zero)は、「私の歴史観」シリーズに何本化記事にした通り、『日本の戦前は軍国主義の歩み』とも思わないし、『戦後も連綿として軍国主義勢力が存在する』ぐらいは未だし(※2)も『日本軍国主義の一部が今安部政権として権力を握った』とも考えない。大東亜戦争は、少なくとも一面「人種差別撤廃の為の戦い」であり、ある時期以降は不可避とさえ言える。而して「大東亜戦争を我が日本が回避した」別世界が今の世界より「良い世界である」とは全く思えない。
また一面大東亜戦争は「反共産主義戦争」でもあった。その大東亜戦争における日本の敗北による最大受益者の一人が中国共産党政権でもある。
従って、私(Zero)は、安倍首相の唱える価値観外交に同意するし、その「価値観外交」が掲げる「民主主義、自由、人権の普遍的価値」に対し、天地俯仰に恥じる処を感じない。
無論これは、人民網及びその背後にいる中国共産党とは「宗教が異なる」私(Zero)の個人的感想でしかない。
だが、上掲記事・上記1〉~5〉に示される通り、『日本の戦前は軍国主義の歩みで、戦後も連綿として軍国主義勢力が存在し、その一部が今安部政権として権力を握りつつ』その軍国主義と相いれない「価値観外交を安倍政権が唱えている」事が全世界に明白に曝されているのならば、中国共産党として、人民網として、大いに慶賀こそすれ、何の文句があると言うのか。
だが、その謎は、上掲記事後半でモノの美事に氷解する。
6〉 安倍政権発足から半年余り。日本の外交活動はこれまでの政権よりも主導性、積極性が明らかだ。
7〉 だがこれには、いわゆる「共有する価値観」を強調し、外交の場で必ず「自由、民主主義、人権」を口にするという注視すべき傾向がある。
8〉 安倍政権は、まるで「自由、民主主義、人権」が日本の登録商標であり、
9〉 日本と他国との関係における問題は本質的に価値観の争いであるとの印象を与えるべく力の限りを尽くしている。
10〉 これは6年余り前の第1次安倍政権期に推し進めた「価値観外交」と全く同じだ。
と、上掲記事後半で先ず「価値観外交」を再定義し、それが第1次安部内閣と共通する事も示す。上記6〉~10〉の記載は、読みようによっては、否、普通に読めば「安倍首相の外交一貫性を示す」誉め言葉だろう。
だが、上掲記事末尾に来ると、「価値観外交」の看板「自由、民主主義、人権」そのものが、批難の対象になる
11〉 安倍政権は明らかに時代の潮流に逆行し、いわゆる「価値観外交」を推し進めることで、一体化しつつある世界を再び分断しようと企んでいる。
12〉 本質的に言って、いわゆる「価値観外交」は完全に冷戦思考の禍であり、13〉 その目的は冷戦時代のように世界の文明発展の多様性を抹殺し、イデオロギー、政治体制、社会制度上の異同を国家関係の親疎を決定する基準とし、世界を再び截然と対立する陣営に分断することにある。
上記11〉~13〉を読む限り、安倍政権と大日本帝国軍国主義の関係だの、軍国主義と価値観外交が相反する事も、全く関係なくなる。価値観外交は、価値観外交であるが故に上記12〉「冷戦思考の禍」上記13〉「世界の文明発展の多様性を抹殺」上記11〉「一体化しつつある世界を再び分断」と大非難されている。
さて、此処で正気に立ち返って、上掲人民網記事が「中国共産党のプロパガンダ・宣伝謀略」である、と言う視点に立てば、上記11〉~13〉即ち「日本軍国主義の悪夢」からも「安倍政権の人格分裂」からも独立した「安倍政権の価値観外交批判」の意味は、明白であろう。
即ち、章題にした通り。「安倍政権の価値観外交は、中国にとって都合が悪い」。
恐らくは、神代の昔まで遡る腐敗官僚体質(※3)に加えて、PM2.5から病死豚まで含む環境汚染によって頻発する反政府暴動を抱える中国共産党政権にとって、「日本国安倍首相の価値観外交」=「自由、民主主義、人権の普遍的価値強調」は、「天安門前夜の恐怖」を想起させるのだろう。
当たり前だが、天安門事件は、大東亜戦争より遥かに最近の事だ。「自由、民主主義、人権」は、中国共産党政権にとって、さぞや都合が悪かろう。
一方で、上掲人民網記事後半の結論「価値観外交に対する大非難」から照射するならば、前半で大いに盛り上げた「安倍政権に見る日本軍国主義の復活」と「軍国主義安部政権が唱える価値観外交の”人格分裂”」は、先述の通り殆ど意味を持たない。何故ならば、安倍政権が軍国主義だろうが、軍国主義と価値観外交が矛盾しようが、上記11〉~13〉の通り当該人民網記事が攻撃しているのは、「価値観外交」の唱える理念「自由、民主主義、人権」そのものであるからだ。
逆に安倍政権が、「日本軍国主義と決別」していたとしても、「価値観外交」は人民網の大非難を浴びたに違いない。上掲記事後半の論理に従うならば、だが。
上掲人民網記事前半は、安倍首相の唱える価値観外交と、安倍政権が全世界に公開した軍国主義思想とが矛盾する事を以って「人格分裂」と批難している。と同時に上記4〉の通り「価値観外交を唱えること」が「世界的な名声をえるモノ」と認めている。
上掲人民網記事後半は、一転安部首相の「価値観外交」を「冷戦思考の禍」などと大非難している。
以上からすれば、「価値観外交」と矛盾する( と上掲記事前半で人民網自身が認めた )「日本軍国主義」は、上掲記事後半の理論からすると賞賛されて然る可き筈だ。が、上掲記事はどう読もうとも、前半では「日本軍国主義」を非難し、後半では前半で一定の価値を認めていたはずの、軍国主義と反する「価値観外交」を大非難して見せている。
「典型的な人格分裂」は、上掲人民網記事である。それ即ち、中国共産党政権の「人格分裂」に他ならない。
全ては中国共産党の利益の為。論理も記憶も全ては党のため。ダブルシンクも極まれり、だな。流石は「1984」世界の支那だね。あるいは、「流石は、民主党の師匠」と言うべきか。
<注釈>
(※1) 神ならぬ身の人が為す事。国家だとか政治体制だとかは、常に不完全なものと覚悟しなければならない。その不完全を、僅かなりとも完全に近づけようと言う努力の表れが、政治思想であろう。
(※2) 我が国は自由主義国家であるから、大概の政治思想は、単なる政治思想としては、批難批判はされても存在を脅かされる事はない。それが例え、軍国主義であろうと、無政府主義であろうと。
(※3) 政府系新聞の世論調査で「人民の7割が腐敗官僚になりたい」と回答した事が報じられるようでは、中国以外ではめったにお目にかかれないほどの「世も末」だ。