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「海外短波放送」なんて趣味が、今もあるのかどうか、私は知らない。かつてはマイナーながらも雑誌ぐらいは出ていたようだが、そんな雑誌を書店店頭で見かけなくなってから久しい(※1)から、かつてよりもさらにマイナーな趣味になってしまったのだろう(※2)。
「海外短波放送」が趣味として今も昔もマイナーである理由の一つは、恐らくは、それが「謀略宣伝放送」と見なされたから、であろう。ある国が態々(その国にとっての)外国語で放送しているのだから、その国にとって都合の悪い事は言わないのが普通。北朝鮮の平壌放送なんざぁ、ニュースの時間の冒頭で「何処其処のナントカ新聞は敬愛する金日成主席(当時)の写真を掲げています。」なんてフレーズを羅列する徹底した謀略宣伝ぶりで返って清々しいぐらいだった。「謀略宣伝放送」じゃあ、それを聞く聴視者が少なく、マイナーな趣味となるのも致し方ない。
だがしかし、この世のありとあらゆる報道は、大なり小なりある意味「謀略宣伝」であるのだから(※3)、「如何なる立場からの謀略宣伝か」が判明して居れば、「謀略宣伝」とて情報源たり得る。而して北朝鮮だの中国だのの、基本的に言論の自由が無い一党独裁国家の報道は、我らが自由世界以上にハッキリと国家主義的な「謀略宣伝」なのであるから、「如何なる立場から」かは殆ど自明だ。
であるならば、人民日報を母体とする「人民網日本語版」なんてのは、正真正銘掛け値なし「中国共産党政権の謀略宣伝」であり、それを承知・覚悟の上ならば、相応の情報源たり得る。
その「人民網日本語版」が、安倍首相の価値観外交を批判…と言うより罵倒して居る様だ。最近巷間流行の「ヘイトスピーチ」って奴に近い。.
<注釈>
(※1) 無論、私(ZERO)が見かけていないだけで、行くべき書店へ行けば在るのかも知れないが。
(※2) 今でもそういう趣味があるならば、だが。スポーツなんかと違って「同好の士」が居なくても済む趣味だから、「海外短波放送」がある限り、如何様にも生き残れようが。
(※3) たとえ報道機関が「不偏不党」を掲げ、努力しようとも。神ならぬ身の人が為す事、必ず偏向は、あるモノと覚悟しなければならない。 況や、「不偏不党」の努力すらもしない報道機関に於いてをや。
【人民網】典型的な「人格分裂」 安倍政権の「価値観外交」
http://j.people.com.cn/94474/8283261.html
--安倍政権の「価値観外交」の偽りのベールを剥ぐ(上)
近代日本は明治維新後、みだりに戦争を起こす軍国主義の道を一歩一歩歩み、中国を含むアジア各国人民に深刻な災禍をもたらし、日本人民にも深く害を及ぼした。日本軍国主義は第2次世界大戦中、人類史上最も野蛮で、最も残虐な犯罪を犯した。
戦後日本は極東国際軍事裁判など国際社会の正義の審判を受け、平和憲法を制定して国際社会に復帰した。本来なら日本は戦後、体制上のみならず価値観においても心から悔い改め、戦前の狂気じみた、自由、民主主義、人権を踏みにじる暗黒の歴史と決別すべきだ。だが遺憾なことに、徹底的に取り除かれるべきだった日本軍国主義は戦後、一部残存勢力が命脈を保ったうえ、政治権力の中心に返り咲きすらした。この勢力に牛耳られ、弄ばれる中、日本は長年健全な歴史教育を行えずにおり、侵略の歴史の真相を力の限り覆い隠し、歪曲している。
それなのに歴史問題で合格答案を提出できずにいるこのような日本が、長年にわたりアジアにおける「民主主義の模範」を装い、いわゆる民主主義の経験をあちこちで売り込み、国際社会の支持と信頼をだまし取ろうと企てている。安倍氏が2度の政権でいわゆる「価値観外交」を力の限り広めようとているのは、「自国は価値観をわきまえていないのに、他国に物事の道理を説く」という日本の戦後の政治伝統に由来する。
ここしばらく安倍政権、特に安倍本人は無数の被害国国民の感情をしきりに傷つけ、歴史修正主義路線を露骨に推し進め、日本の侵略の歴史に対する評価を覆し、名誉を回復しようと力の限りを尽くしている。「村山談話」と「河野談話」を見直す方針を放言し、「自主」憲法制定と「国防軍」創設を声高に主張し、靖国神社に供物を奉納し、「東京裁判」に疑問を呈し、「侵略定義未定論」をぶち上げ、「主権回復の日」を盛大に記念したうえ会場で戦前のやり方にならい先頭に立って「天皇陛下万歳」を大声で叫び、自ら軍服姿で戦車や飛行機に乗ってパフォーマンスをする……安倍氏は日本極右勢力が長年夢見てきた政治的主張を次々に取り入れている。先日のミャンマー訪問では、第2次大戦中に同国を侵略した日本軍の戦没兵の墓にわざわざ参りもした。こうした動きが積み重なって、日本の全面的な「右傾化」という明確なメッセージが国際社会に向けて発せられたことは間違いない。
安倍政権の推し進める歴史修正主義路線に鼓舞されて、麻生太郎ら安倍内閣の要人および170人近くの与野党議員が群れをなして今年4月の春季例大祭に靖国神社を参拝した。これは過去24年間で最多だ。同様に安倍政権の推し進める歴史修正主義路線に鼓舞されて、極右政治屋が大いに放言し、日本政界の極めて歪んだ価値指向を世界の人々に教える結果となった。
安倍政権が歴史問題で見せる戦前の軍国主義的価値観への憧憬と未練は、国際社会で大口を叩く「共有する価値観」とは鮮明なコントラストをなし、典型的な「人格分裂」を呈している。安倍政権の時代に逆行する動きは、日本には歴史の古い夢の再来、第2次大戦の結果の否定、戦後の平和秩序への挑戦を企てる勢力が今日もなおいることを側面から物語っている。しかもこの勢力には居ながらにして強大化する現実的危険がある。安倍政権のすることなすことと照らし合わせれば、民主主義、自由、人権について大口を叩くその資格と動機に大きな疑問符を突きつけるだけの理由が人々にはある。いわゆる「価値観外交」が世界を欺き不当な名声を得ようとする政治トリックに過ぎず、国際社会と民主主義、自由、人権に対するこの上ない愚弄であることは火を見るよりも明らかである。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年6月13日
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「新たな冷戦」の企て 安倍政権の「価値観外交」
--安倍政権の「価値観外交」の偽りのベールを剥ぐ(下)
http://j.people.com.cn/94474/8284736.html
安倍政権発足から半年余り。日本の外交活動はこれまでの政権よりも主導性、積極性が明らかだ。だがこれには、いわゆる「共有する価値観」を強調し、外交の場で必ず「自由、民主主義、人権」を口にするという注視すべき傾向がある。安倍政権は、まるで「自由、民主主義、人権」が日本の登録商標であり、日本と他国との関係における問題は本質的に価値観の争いであるとの印象を与えるべく力の限りを尽くしている。これは6年余り前の第1次安倍政権期に推し進めた「価値観外交」と全く同じだ。
安倍政権が愛して止まない「価値観外交」とは一体どんな代物なのか?
現代世界では世界の多極化と経済のグローバル化が急速に進行し、平和、発展、協力、ウィンウィンが後戻りの許されない時代の潮流となっている。国の大小や強弱を問わず世界各国の共通利益は増え、共同で対処する必要のある試練も増えている。当然ながら各国は相互尊重、互恵協力、共同発展を図るべきである。いかなる国家間の人為的障害や対立を引き起こす企みも、時代の潮流に逆行する。
安倍政権は明らかに時代の潮流に逆行し、いわゆる「価値観外交」を推し進めることで、一体化しつつある世界を再び分断しようと企んでいる。本質的に言って、いわゆる「価値観外交」は完全に冷戦思考の禍であり、その目的は冷戦時代のように世界の文明発展の多様性を抹殺し、イデオロギー、政治体制、社会制度上の異同を国家関係の親疎を決定する基準とし、世界を再び截然と対立する陣営に分断することにある。
第2次安倍政権は元の稼業に戻り、「価値観外交」に一段と熱を上げたうえ、これに「戦略的外交」の美名を冠している。これは実際のところ、何ら新しいものではない。第1次安倍政権期にも「平和と繁栄の弧」という名のいわゆる戦略構想を打ち出し、イデオロギーによるユーラシア大陸の分断を企てた。
日本が冷戦思考を愛して止まないのは決して偶然ではない。冷戦時代、日本は他国の戦略に助けられる形で冷戦にただ乗りし、経済発展に専念することで、戦後の廃墟からわずか20年足らずで再び台頭を果たし、一躍世界第2の経済大国となり、冷戦の主たる受益者となった。この特殊な経験が日本の政権階層に頑固な戦略上の惰性を植え付けた。冷戦終結からすでに20年以上になるのに、一部の日本人は世界でイデオロギーの小さなグループをつくることで、冷戦時代に奪い取った巨大な既得権益を守ることを企んでいる。
世界経済が成長力を欠き、国際協力が複雑に入り組む中、国際社会はとりわけ「新たな冷戦」をつくりだそうとする日本極右勢力の企てに強く警戒し、国際関係の雰囲気を悪化させる察しの悪い様々な行動を防ぐ必要がある。アジア諸国は歴史的発展の貴重なチャンスを迎えており、なおさらに日本極右勢力の良からぬ魂胆を見破り、アジアを分裂させるいわゆる「価値観外交」を自覚的に拒絶し、協力・ウィンウィン、共同発展という地域の良好な状況を共同で守るべきである。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年6月14日