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 「人間は感情の動物だ」などと言われる。良く考えて見れば、動物にだってある程度の感情はあるのだから、人間だけを「感情の動物」とするのは妙な話なのだが、恐らくは言わんとするところは「感情の無い機械」との対比であり、「感情」の反対は「冷徹な論理」。「情」と「理」の対立に於いては「情に流されやすい」のが「人間」の「人情だ」、と言う事であろう。如何にも情緒的な表現であり、「日本的」とも言えそうだ。

 当ブログの記事には、小説や随筆もあるが、多くは論説である(※1)論説で最も重要なのは「冷徹な論理」であり(※2)、その意味で「感情の動物=人間」的な要素は排するべきモノであろう。とは言え覚えている処でも、「東日本大震災とその後の津波による被害を、日本と日本人に対する天罰かのごとく評した」狂犬・シーシェパードに対する「殺意に近い怒り」を以って記事を書いた事(※3)もあるから、少なくとも「記事を書くと言う動機・モチベーションとしての感情」と言うのは、如何に「冷徹な論理」が要求される論説記事であろうとも、無視しえない、と言う事になろう。

 今回取り上げる東京新聞コラム「私説・論説室から」は、「殺意に近い怒り」でこそないが、やはりある種の感情=「記事を書こうと言う動機」を催させるものがあった。


<注釈>

(※1) 少なくとも、書いた当人は「論説」だと信じている。 

(※2) その次が「説得力」だろうな。 




【東京新聞・私説・論説室から】「国防軍」に若者は来るか
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2013060502000142.html
2013年6月5日

 相模湾を望む三浦半島の神奈川県横須賀市に陸上自衛隊高等工科学校はある。中学を卒業した九百六十人の男子生徒が将来の陸上自衛官を目指し、学んでいる。倍率は実に十五倍。隠れた難関校のひとつだ。

  生活は厳しく、全寮制。入校してすぐにアイロンがけとボタン付けを教え込まれる。教室の移動は毎回、整列。一年生は携帯電話も所持できない。

  二年生から射撃や戦闘の訓練が始まり、三年生になると演習場に泊まり込んで本格的な演習を体験する。体育クラブは必修。卒業して陸上自衛官になるころには、しつけのよい筋骨隆々の若者に育つ。

  一年生から三年生までの十人が取材に答えてくれた。東日本大震災で家を流された岩手県出身の三年生は自衛隊の献身的な救援活動にあこがれ、受験した。八人が災害派遣で自衛隊を知り、残り二人は国連平和維持活動(PKO)で自衛隊を知って、それが志望動機になった。国防の意識は後からついて来るようだ。

  自民党政権が憲法改定して「国防軍」をつくると明言している。専守防衛の歯止めが消えれば、海外での武力行使も想定しなければならない。海外で戦争を続けてきた米国は多くの戦死者・戦傷者を出し、帰国後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされる兵士も少なくない。

  自衛隊あらため「国防軍」に良質な若者は集まるだろうか。
 (半田滋)





.

ある種「”国防軍”構想反対論」である事は判るが・・・


 さて、如何だろうか。

 上掲コラムの言いたいことは理解できる(※1)。章題にもした通り、ある種の「”国防軍”構想反対論」であり、その反対を、

1〉 自衛隊あらため「国防軍」に良質な若者は集まるだろうか。

と、〆の一文にもタイトル『「国防軍」に若者は来るか』として、半ば象徴的に表明している。

 逆にその〆の一文に至るまでの上掲コラムの大半は、現状の「国防軍ならざる」自衛隊礼賛であり、

2〉  海外で戦争を続けてきた米国は多くの戦死者・戦傷者を出し、
3〉 帰国後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされる兵士も少なくない。

と言う「自衛隊ならざる」米軍批判である。

 一見、尤もらしい主張だ。「説得力のある主張」と言っても良いかも知れない。我が自衛隊はその創設以来、殉死者・殉職者は出しても「戦死者」は出して居ない(※2)。これに対し「自衛隊ならざる国防軍」は「自衛隊とは異なる」部分は確かにある(※3)し、「米軍に近い」とも言い得よう。それを「多数の戦死者・戦傷者」に結びつけるのには、随分な論理的飛躍と牽強付会が必要だが、「結びつかない」事もない。

 しかしながら、真っ先に浮かんだ疑問は、上掲コラムで東京新聞自身が絶賛し、「良質な若者が集まる」と認めた自衛隊に対し今まで東京新聞は「良質な若者が集まるように」自衛隊を報じて来たか?【Q1】 と言う疑問だ。今回のコラムでは「手放し」と言って良いぐらい自衛隊を絶賛している東京新聞は、今回コラムに相応しい報道姿勢であったか、と言う事だ。

 寧ろ、逆であろう。

 当ブログでも記事にした、東京新聞コラム「思いやり消えた自衛隊」では、北朝鮮の弾道ミサイル発射実験に備え沖縄に展開したPAC-3部隊が帝国陸軍が通ったのと同じ道を通り、部隊の威容を見せつけ、沖縄戦を経験した老人たちの神経を逆撫でしたと批難した。
 ①「その島でPAC-3部隊を陸揚げできるような港は一つしかない」
②「その港と部隊の展開地域とを結ぶ国道は1本しかない」と言う、地図さえ見れば誰でもわかるような事実を無視ないし敢えて報じず、「同じ道を通った」事で沖縄戦の帝国陸軍と我が陸上自衛隊を同一視させ、「思いやり消えた」とまで断じて見せたのは、他ならぬ東京新聞の、他ならぬコラム「私説・論説室から」だ。斯様に情報を取捨選択し、斯様に独断に満ちたコラムが、「良質な若者が集まる」のに資すると、同コラム掲載時に東京新聞は考えていたのか。

 更なる疑問は、現状自衛隊に「優れた若者が集まる」のは、「海外での武力行使が想定されず」「戦死者戦傷者がゼロ」だからであろうか?【Q2】

 ソリャ人間は基本的に命が惜しい、死ぬのは怖い。死の危険のある職場よりも、無い職場の方が人気が高いのは当然だろう。
 だが一方で、現状の自衛隊でも殉死者・殉職者は出るし、そればかりか、一朝有事の際には「身命を賭する」事が求められ、期待されるのが自衛官と言う職業である。「一朝有事」は一般人、例えば東京新聞記者にとっては「絵空事」ないし「遠い世界の事」であろうが、自衛官にとっては「常日頃備えておき、想定しておくべき状態(※4)」。言い換えれば、現状の「国防軍ならざる自衛隊」に於いても、「自衛官になる」ためには「ある程度の殉死・殉職の覚悟が必要」なのである。

 その自衛隊が国防軍化する事で、仮に東京新聞社説の主張する通り「戦死者戦傷者が増える」としても、その事が「集まる優れた若者」を減らす程の効果・影響があるだろうか。

 少なくとも、現職および将来の自衛官にとって、「自衛隊の国防軍化」に対する評価の指標は、「海外での武力行使」「戦死者・戦傷者数」だけでは無かろう。集団的自衛権や憲法上の立場を明確化できることで、「自衛隊ならざる国防軍」に志願する優れた若者が「増える」と言う事だって、ありえよう。

 確かに上掲コラムタイトルや上記1〉は「来るか」「集まるか」と疑問文にしており、「来ない」「集まらない」と断言はしていない。だが、そもそも、本記事タイトルにした通り、今まで散々自衛隊を日陰者扱・継子扱いしてきた東京新聞に、「「国防軍」に良質な若者は集まるだろうか。などと問いかける資格があろうか。

 如何に、東京新聞。

 【追伸】「東京新聞です。貴方が陸自高等工科学校に志願した理由を、聞かせて下さい!」と新聞記者に尋ねられたら、「我が祖国日本を守りたいからです!」とメンチ切るのは、それが真実であっても相当難しいのじゃなかろうか。(※5)


<注釈>

(※1) 納得なんざぁ、全くしない、が。

(※2) 大東亜戦争中に米軍がばら撒いた機雷の処分に当たって殉死した自衛官なんかは、状況的には「戦死」とほとんど変わる処が無いのだが。 

(※3) また、「自衛隊を変える」からこその「国防軍」である。 

(※4) 正にその為に、日頃の訓練、定常業務があるのだ。 

(※5) そこは新聞記者も(多分)インタビューのプロだから、世間話で打ち解けるとかナントカ、テクニックを駆使したかも知れないが。