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繰り返す通り、と言うか「繰り返すまでもない」と言うべきか、日本は、普通の市民は銃なんて見る事さえ珍しいような「銃無き社会」だ。目にするとしたら、警官の拳銃か、ヤクザの拳銃。チョイと頑張って自衛隊の小銃・機関銃・短機関銃・拳銃を見るぐらい。民間人の銃保有は、狩猟用・スポーツ用の小銃や散弾銃が認められてはいるモノの、Gunマニアである私(Zero)でさえ銃砲店(※1)の店先でしか見た事が無い程。「ヤクザの拳銃」が一頃より増えて、そこから流れて「一般人が拳銃を隠匿している/していた」事件も時たまあるが、例外的なぐらいに我が国・日本は「銃無き社会」だ。
そんな「銃無き社会」の新聞社が、縦から見ようが横から見ようが裏から見ようが銃社会であるアメリカの銃規制について社説を為せば、頓珍漢なものになってしまうのは「無理もない」処。況や国際情報に通じてるとは言い難い地方紙ともなれば、尚更、と、言えなくもないが・・・
<注釈>
(※1) 行くとこに行けば在るんだが、滅多にない。
【東京社説】米銃規制 届かぬ幼い犠牲者の声
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013051302000127.html
2013年5月13日
銃規制法案が米議会で廃案になって以降も、子供が銃の犠牲になる悲劇が相次いでいる。ボストン爆破事件以後、規制には逆風が吹いているが、幼い犠牲者の声にこそ思いを致すべきではないのか。
バマ政権二期目の主要政策になる筈(はず)だった銃規制法案は結局先月上院で否決、廃案になった。
採択が期待されていた法案の内容自体、殺傷力の強い銃器禁止や大型弾倉の規制などは盛り込まれず、精神疾患や犯罪の経歴確認など、購入者に対するチェックをネット販売や展示会での販売にも拡大する程度。服部剛丈君射殺事件などをきっかけに一九九四年から十年間施行されたブレイディ法に比べても緩いものだった。
共和党側ではマケイン氏ら法案支持に回った議員もいた半面、民主党側から反対者が四人も出た。来年の中間選挙で改選期を迎える議員が三人含まれていた。全米ライフル協会(NRA)を中心とした執拗(しつよう)なロビー活動が背景にあったとされる。オバマ大統領も採決後、「法案の中身を意図的に歪曲(わいきょく)して議員に圧力をかけた」と感情を露(あら)わに批判した。
小学一年生二十人が犠牲となった昨年暮れの小学校乱射事件後、さしもの米社会にも変化の兆しが見られ、購入者の経歴チェック強化には九割近い支持が集まっていた。しかし、上院の否決や、これと相前後したボストン爆破テロもあって、流れが再び変わり、テロ後の世論調査で、規制支持は過半数を割るまでになっている。
一方で、NRAが今月開いた全国大会には、過去最大八万人を超える参加者が集まり、「銃所持を保障した憲法の権利を奪うな」などと気勢をあげた。会場展示ではボストン爆破テロで犯人身柄確保の決め手ともなった熱感知照準器に格別の関心が集まったという。
もとより一国の治安のルールを決めるのはその国自身だ。しかし、ケンタッキー州で五歳の男児が子ども用ライフルを誤射して二歳の妹を死亡させ、フロリダ州では三歳の男児が自宅で小銃を誤射して死亡するなど先月末以来類似の悲劇が全国で繰り返される事態をどう説明するのか。
「一部議員は圧力団体の脅しに屈し卑劣な票を投じた。政治家なら幼い犠牲者、生存者の被った恐怖こそ思うべきではないのか」。自ら銃の犠牲者でもあるギフォーズ前下院議員の悲痛な叫びが、地道な活動の継続につながることを願うばかりだ。
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『「子供の声」に阿り、世論は無視しろ』と言う暴論
さて、如何だろうか。
いやさ、東京新聞よ。脱原発原理主義で、「選挙結果も選挙前の公約も吹っ飛ばしてしまえ」と少なくとも二回社説で公言主張出来てしまう東京新聞(※1)に「選挙の意義」を説いても無駄かもしれないが、選挙ってのは、少なくともある種の「民意の反映」だろう。その選挙結果に「圧力団体の暗躍」が有る事も、それはあるだろうけれども、基本的に民主主義と言うのは、「圧力団体の暗躍」も含めて民主主義ではないのかね。少なくとも、買収贈賄や暴力行為恐喝などの非合法手段や公職選挙法違反に依らない限り、「圧力団体の暗躍」は「選挙運動の一環」として、許容されるべきであろう。それが全米ライフル協会RNAであろうが、銃規制賛成団体であろうが、変わる事は無い筈だ。
然るに、上掲東京新聞社説と来た日には、「幼い犠牲の声」を盾にとって、
1〉 上院の否決や、これと相前後したボストン爆破テロもあって、流れが再び変わり、
2〉テロ後の世論調査で、規制支持は過半数を割るまでになっている。
と、上記2〉ではっきりと「世論調査で、規制支持は過半数を割る」と認めつつ、
3〉 ケンタッキー州で五歳の男児が子ども用ライフルを誤射して二歳の妹を死亡させ、
4〉 フロリダ州では三歳の男児が自宅で小銃を誤射して死亡するなど先月末以来類似の悲劇が全国で繰り返される事態をどう説明するのか。
と、「繰り返される悲劇」「幼い犠牲」を強調し、
5〉 「一部議員は圧力団体の脅しに屈し卑劣な票を投じた。政治家なら幼い犠牲者、生存者の被った恐怖こそ思うべきではないのか」。
6〉 自ら銃の犠牲者でもあるギフォーズ前下院議員の悲痛な叫びが、地道な活動の継続につながることを願うばかりだ。
と、明白に「銃規制運動の継続」を支持する。支持するのはそりゃ東京新聞の勝手ではあるけれど、「もとより一国の治安のルールを決めるのはその国自身だ。」と認め、上記2〉の通り「世論調査で、規制支持は過半数を割る」と認めつつの上記6〉「銃規制運動の継続」との主張は、章題にもした通り、『「子供の声」に阿り、世論は無視しろ』と言う暴論ではないのかね。
第一、既に銃社会であり、合法非合法を問わず数多の銃が既にあるアメリカで、一体どんな銃規制を敷いて上記3〉~上記4〉の「幼い犠牲」を減らす心算なのか、上掲社説からはサッパリ読み取れない。否決された銃規制法案にすら盛り込まれなかった「殺傷力の強い銃器禁止や大型弾倉の規制」なんかは、「幼い犠牲」を減らす効果は殆ど期待できそうにない。
況や、合衆国憲法に認められている武装権や革命権について隻言半句されも触れていない事。銃規制が合法的な銃を先に規制し、非合法な銃は規制するとしても合法的な銃の後。恐らくは、究極的には「非合法な銃」は規制できない、と言う冷厳な事実にも目を瞑っている事。この二点だけでも「アメリカ合衆国における銃規制を論じる」には失格だ。
幾ら一地方紙が外国(アメリカ)の法制を論じる議論とは言え、社説とは、新聞社の主張であろうが。
恥ずかしくないのか、東京新聞。
<注釈>