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最後の審判
挙句の果てが上記1〉「橋下は面会の対象でなく審判の対象」である。ここで言う「審判」と言うのは多分、キリスト教で言う処の「最後の審判」。「世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて(※1)裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという(※2)。(ウィキペディア)」ものであるから、平たく言えば「もう橋下市長と関わらない」であり、「橋下市長の罪科量刑は神に委ねる」である。ある意味無責任であり、ある意味潔いのであるが…はて、「最後の審判」で裁かれるのは、果たして橋下市長か?自称・元従軍慰安婦か?
多分、この自称・元従軍慰安婦たちは、キリスト教徒なのだろう。その点では「最後の審判」で「永遠の命を得る」必要条件は満たしているのだろう。
だが、その「元従軍慰安婦」と言うのが、私が疑うように虚偽虚構であり、強請集りの為のネタであるならば、果たして神・イエスキリストはそんな「自称・元従軍慰安婦」達に「永遠の生命を与える」だろうか。
ああ、ひょっとすると与えるかも知れないな。日本人の大半は非キリスト教徒であるから(※3)、「異教徒を懲らしめ、その財産を収奪した」功績により。
だが、そんなイエスキリスト神の、そんな「最後の審判」には、私は大いに異を唱えるぞ。
「手前ぇは、強請の片棒担ぐのかよ!」と(※4)。
無論、自称・元従軍慰安婦の証言が真実で、証言年齢と史実の齟齬は言い間違い若しくは記憶違いであるならば、最後の審判の日に自称・元従軍慰安婦たちは、晴れて天国に迎えられ、永遠の命を得るかも知れない。
だが、その場合でも、橋下市長が地獄行きになるか否かの判定に、「従軍慰安婦発言の撤回と謝罪の有無」は、些事であろうとしか思われない。
<注釈>
(※1) ソリャ、随分賑やかになる事だろうな。アシモフの短編に、そんなシーンがあったが。(※2) イエス・キリストが審判者である以上、ちゃきちゃきの異教徒たる私なんざぁ「地獄に直行」と覚悟している。より正確には、私はチャキチャキの異教徒であるが故に、「最後の審判」なんて全く信じない。これもいくつかの記事にしたな。(※3) 一説によると、日本人のキリスト教化率は、1割を超えた事が無いそうだ。曽野綾子とか、内村鑑三とか、渡辺昇一とか、今村中将とか、尊敬に値する日本人キリスト教徒も、相応の数居るんだが。(※4) まあね、此処で「悔い改め」媚びた処で地獄行がまぬがれるとは思えないし、「キリスト教徒と転向したキリスト教徒だけの天国」で「永遠の生命」を与えられるのも、チャキチャキの異教徒としてはゾッとしないな。生物多様性ではないが、人も多様だから面白いんだ。宗教統一なんぞされた世界は、魂の自由を愛する私(Zero)としては、「地獄に近い」ものがあるぞ。Freihight in der Hand! 自由を、我が手に。(このフレーズも久しぶりだな)