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端的に言って、私(ZERO)は橋下市長なる政治家を、全く信用していない。「日本維新の会」なる政党を立ち上げ(※1)、一時期は「飛ぶ鳥落とすような勢い」とも見え、「時代の寵児」とさえ言えそうだったし、今でも何かと話題になる。尤も、「時代の寵児」なんて肩書きほど、当てにならない、長持ちしない、一旦剥がれ落ちると落差凄まじい「肩書き」は珍しく、ホリエモンも鳩山由紀夫もあの体たらく(※2)であるから、「橋下市長の我が世の春」も、いつどうなるか判ったものではない。
橋下市長がどうなろうとも、問題なのはその主張だ。いろんなことを発言し主張して居るから、中には私も同意できるものもある。例えば、震災ガレキ処理受入なんてのは、人間として日本人として極当たり前のことながら、これを「一部の反対の声」とやらに阿り実施しない様な人非人どもが掃いて捨てるほどあるから、震災ガレキ処理受入を宣言し実施している橋下市長は、評価せざるを得ない。その「震災ガレキ受入れ処理賛成」が、先行する「放射性物質が検出された(※3)ことを理由に福島産橋桁受け入れを拒否した」実績に反するものであり、矛盾するモノであっても、評価は、評価だ。尤も、矛盾は、矛盾であるから、「震災ガレキ処理受入賛成」であっても、胡散臭くて仕方がない。
一時期は流行語にもなった維新「八策」にしても、中身はタイトルだけではサッパリ判らない上、「ネットインカム」などと言う、社会主義的と言うか、退廃的と言うか、怠け者の夢と言うか、理論倒れと言うか、箸にも棒にもかからない屁理屈を盛り込んだ時点で、私(ZERO)には胡散臭くてかなわない。そんな施策が経済的に上手く行かないであろう事は、賭けたって良いぐらいであるし、そんな施策を「八策」に取り上げる時点で、「維新の会」とやらは「人気取りの人寄せパンダ集団」と断じて良さそうだ。たとえ其処に、以前から一目置いている石原慎太郎前都知事が合流して、共同代表になろうとも。
とは言え、未だ注目を浴びる/集めることの多い橋下市長が、今度は『暴言』で注目を集めたというのだが、さて・・・
<注釈>
(※1) 石原新党が、「維新の会」と合流する前は、私も石原慎太郎氏に期待したんだがね。
(※2) ああ、鳩山由紀夫は、別に刑務所に入った訳でも、うなるほどある財産を失った訳でもなく、「元・時代の寵児」の割にはうまいことやっているが。ま、今の処は、だが。
(※3) 繰り返すが「検出された」と言うだけである。大体、橋桁なんてのは食べるものでも飲むモノでも嘗めるモノでもないし、その上に長時間止まる事さえ希なシロモノである。
【橋下氏の慰安婦発言要旨】(上)高ぶる猛者集団を休息させるため…制度は必要だった
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130514/wlf13051400540000-n1.htm
2013.5.14 00:52 [west政治]
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が13日に行った旧日本軍の慰安婦など
に関する発言要旨は以下の通り。
侵略の定義はないが…
(安倍晋三首相が国会質疑で「侵略の定義は国によって異なる」などと発言したことについて)侵略の定義については、学術上、定義がないことは安倍首相が言われている通り。ただ、学術上定まっていなくても、敗戦の結果として侵略したということは受け止めないといけない。実際に、多大な苦痛と損害を周辺国に与えたわけだから。
その事実はしっかり受け止め、反省とおわびをしないといけない。当事者が「終わりだ、終わりだ」といって時間をくぎって終わりにすることはできない。だから、戦後60年、70年たったから「チャラにしてくれ」ということではない。
(戦争に)負けたんだから、当時の為政者に重大な責任がある。負けるような戦争はやってはいけないし、そもそも戦争はやってはいけない。
なぜ日本の慰安婦だけが取り上げられるのか
慰安婦問題については、慰安婦になった方にはやさしい言葉をかけないといけないし、やさしい気持ちで接しないといけない。意に反して、慰安婦に就いたことについては配慮しないといけない。
なぜ日本の慰安婦だけが世界的に取り上げられるのか。当時、世界では慰安婦制度を軍が持っていた。良いこととは思わないが、そういうものだった。なぜ日本だけが取り上げられたか。無理やり国をあげて強制的に意に反して職業に就かせたとして、世界は日本を「レイプ国家」として非難している。そのことを日本はもっと認識しないといけない。意に反して慰安婦になってしまった方は戦争の悲劇の結果。その責任は日本国にもある。
当時の世界の状況をみれば、アメリカやヨーロッパは植民地政策をやっていた。日本国の行為を正当化はしないが、当時はそうだった。そういう状況の中で、日本は戦争に踏み切って負けた。負けた以上は受け入れないといけないところはあるが、違うところは違うと言っていかないといけない。日本の行動だけが原因ではないかもしれないが、第二次世界大戦が一つの契機となっていろんな国が独立したことも事実。
近現代史を学ぶべきだ
日本の歴史認識について、政治家のメッセージの出し方が悪いところは、歴史問題に関して「謝るところは謝って、言うべきことは言う」ということができないこと。一方では、言うべきことは言わないで、すべて言われっぱなし。もう一つの立場は事実全部を認めない。あまりにも両極端すぎる。
当時の状況はどうだったか、もう少し近現代史を学ぶべきだ。慰安婦と聞くと(日本が)とんでもない悪いことをしていたと思うかもしれないが、当時の歴史を調べれば、旧日本軍以外にいろんな軍が慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、精神的に高ぶる猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら慰安婦制度が必要になるのは誰でも分かる。
韓国やいろんなところの宣伝効果もあって「レイプ国家」とみられている。証拠があるなら認めないといけないが、平成19年の(第一次安倍内閣の)閣議では証拠がないという状況になっている。今のところ、軍が暴行脅迫して拉致して慰安婦にしたという事実は証拠で裏付けられていない。ここはしっかり言っていかないといけない。ただ、真摯(しんし)に考えるべきところは考え、反省すべきところは反省しないといけない。
【橋下氏の慰安婦発言要旨】(下)建前論ばかりでは人間社会は回らない
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130514/wlf13051401230001-n1.htm
2013.5.14 01:20
【発言要旨(上)からの続き】
風俗業も必要だと思う
(13日の午前中に言及した慰安婦に関する見解について。今までにない踏み込んだ発言ではないか、と問われ)現代社会だって風俗業というのはしっかり、職業としてある。自らの意に反してそうせざるを得なかった人たちに対しては、これは配慮が必要だと思う。
(意に反してというところであっても、状況からして必要であったか)意に反してか、意に即してかは別に、慰安婦制度は必要だった。軍の規律を維持するためにはそういうことが、その当時は必要だった。
(今は違う?)今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても、風俗業というものは必要だと思う。(沖縄県宜野湾市の)米軍普天間飛行場に行ったとき、司令官にもっと風俗業を活用してほしいと言った。そうしたら、司令官は凍り付いたように苦笑いし、「米軍では禁止と言っている」と言った。
. そんな建前みたいなことを言うからおかしくなる。法律の範囲内で、いわゆる性的なエネルギーを、ある意味、合法的に解消できる場所が日本にあるわけですから。「もっと真っ正面からそういうところを活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコンロールできないじゃないですか、建前論じゃなくて、そういうところを活用してください」と言ったのだが、「行くなという風に通達を出しているし、これ以上、この話はやめよう」と打ち切られた。
エネルギーの発散を考えないと…
活用したから、事件が収まる因果関係にあるようなものではないが、そういうものを真っ正面から認めないと。建前論ばかりでやっていたらダメ。兵士なんてのは、自分の命を落とすかもわからないような極限の状況にまで追い込まれるような仕事、任務。それはやっぱり、エネルギーが有り余っているから、どこかで発散することをしっかり考えないといけない。建前論で、そういうものも全部ダメといったら、人間社会は回らない。
(アメリカ軍も慰安婦を活用していたか)朝鮮戦争のときもあったんじゃないですか。沖縄の占領時代だって、日本人の女性がそういう商売に携わったのも事実じゃないですか。それが良いか悪いかは別だが、そういうことがあったのは間違いない。戦争の悲劇の結果なら、それはやはり、戦争責任の一環として女性たちに対して配慮しないといけない。ただ、そういう仕事があったというのは事実。そこまでは否定できない。
建前論・綺麗事で批難するのは簡単だ
さて、如何だろうか。
上掲産経記事は、橋下市長の「暴言」ばかりでなく、その前後の質疑も含めている、比較的長文の記事を採用した。また、今回は橋下「暴言」を題材とし、それ以外の(あれこれ突っ込みたい)発言については割愛する。
最初に宣言すべきだろう。上掲記事にある橋下市長の「暴言」を、建前論や綺麗事で断罪し糾弾する事は、実に簡単で阿呆でも出来る、と言う事だ。実際に韓国やら一部外国メディアやら多くの国内メディアやら、或いは議員や維新の会の中からも、「女の敵だ!」「同じ男として恥ずかしい」「政治家にあるまじき発言だ」などなどなどの非難・糾弾が数多く出ている。またそんな非難・糾弾が、「建前論の綺麗事」であるだけにある種の「正論」で、面と向かって反駁・反論するのがはばかられるのも事実だ。そんな批難・糾弾=「橋下市長叩き」にある種の爽快感や、一種「正義感の充足」を感じる向きもあろう。
だが、そんな建前論と綺麗事に基づく非難・糾弾だけで、橋下「暴言」を論じても、大して実はあるまい。精々が「女の敵、橋下市長を糾弾した!」と言う自己満足が得られる程度だ。
先述の通り、私(Zero)は、橋下市長なる政治家を、全く信用していない。彼の主張には、首肯できる点もあるにはあるが、到底首肯できない点も多い。だが、今回の橋下「暴言」に関する限りは、首肯できる点が多い、と断言しよう。無論それは「建前論の綺麗事」ではなく、泥臭い本音論の部分で、だが。
へ続く