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銃規制と銃自由…と、銃商売


 さて、如何だろうか。

 言うまでも無いかも知れないが要約すれば、上掲記事①アメリカでMy FirstRifle「初めてのライフル」をキャッチフレーズとした子供向けライフル銃が販売されており、相応に売れてもいるし、事故も起きていると言う記事。上掲記事②は銃規制に反対する団体として「悪名高い」全米ライフル協会の年次総会が開催され、同協会幹部から「銃を持つ自由が攻撃されている」として銃規制に反対する発言が出た、と言う記事

 上掲①記事では、

①1〉 5歳の男児が2歳の妹を誤ってライフルで射殺した事故

と言う、可也衝撃的な事故が契機となり、「子供向けライフル銃」反対意見が大きく取り上げられている。

 一方で「子供向けライフル銃」が売れている事や、銃製造業が新たな、あるいは将来的な市場として期待している事や、4歳の子供に「子供向けライフル」を買い与えた親の声なども紹介されている。

①2〉 中には迷彩柄のロンパースを着て、膝に置かれた銃をしっかりとつかむ赤ちゃんの写真もあった。

なんてのも報じられて居るから、これもある種の「親馬鹿」ではあろうが、「親の悪ノリ」と、私(Zero)でさえ感じざるを得ない。

 左様、私(Zero)は以前から公言している通り、「銃を撃った事が無いGunマニア」だ。「銃無き社会」日本に生まれ育ち、実銃には触れた事すらないが、Gunマニアではある。「銃無き社会に住むGunマニア」と言うのは、ある種の「異端」ではあろうし、「Gunマニアとしての趣味を満足させ難い」状況にある事は認めざるを得ないが(※1)、私(Zero)にとって「趣味」よりも「我が国の治安」の方が遥かに大事であるから、「銃無き社会に住むGunマニア」で居続ける事に、異存はない。寧ろ、最近大分怪しくなって来たとはいえ、「高い治安を(基本的に、未だ)銃無き社会で実現している」我が国の現状を、歓迎こそすれども、壊そうとは思わない。

 一方で、アメリカ合衆国がその歴史やら紆余曲折やらで現状「銃ある社会」であり、合法、非合法を含めて多くの銃器を擁する銃社会である事も、その銃社会の背景に憲法で保障されたアメリカ国民の武装権/革命権が有る事も理解している。それ故に、今まで当ブログの取り上げてきたのは「アメリカ合衆国に於ける銃規制」特に「アメリカ合衆国を、「日本の様な」銃無き社会にしようと言う主張(※2)」に対する批判・非難・糾弾ばかりであった。その意味で、上掲②記事「全米ライフル協会の主張」は、少なくとも私(Zero)には首肯できる点が多い主張である。

 だが、そんな「基本的に全米ライフル協会の支持者」である私(Zero)であっても、上掲①記事が報じる「初めてのライフル」と言う商品は兎も角、その「子供への与え方」は、大いに疑問とせざるを得ない。

①3〉 同社(子供向けライフル「クリケット(Crickett)」のメーカー)は①4〉「銃を使う若者たちに安全性に対する意識を植え付け、
①5〉狩猟や射撃に必要かつふさわしい知識と敬意を身に着けるよう奨励する」ことを目指しているとうたう。

①6〉 重さわずか1.1キログラムで銃身40センチメートル、全長が76センチのクリケットは、
①7〉一度に一発しか撃つことができない単発式で、引き金はロックすることができる。
①8〉モデルごとに異なる価格は110~140ドル(約1万1000~1万4000円)で、大手小売店ウォルマート(Walmart)で簡単に購入できる。

 先ず、銃器として見た場合、「My First Rifle」をキャッチフレーズとするこの「クリケット」なる「子供向けライフル」は、上記①6〉~①7〉にある通り、「子供向け」としても「初めてのライフル」としても、「相応に配慮された設計」になって居る様だ。上記①6〉「1.1㎏、全長76㎝」と言う小型軽量は「子供の体格に合わせたサイズ」と言う事だろうし、上記①7〉「単発式で引き金はロックできる」と言うのは安全性への配慮だろう。単発式にしても引き金にロックが掛かっても、銃は銃であり、「人を殺す事が出来る飛び道具」と言う本質は変わらないが、その変わらない本質故に、上記①4〉~①5〉でメーカーが主張する通り「安全性に対する意識を植え付け、狩猟や射撃に必要かつふさわしい知識と敬意を身に着けるよう奨励する」教材たり得る。ここまでは私(Zero)も首肯できる処だ。

 「安全性に対する意識を植え付け、狩猟や射撃に必要かつふさわしい知識と敬意を身に着けるよう奨励する」教材が「実銃でなければならないか」には、疑義の余地がある。例えば我が国では大いに発達しているモデルガン( 火薬式で発砲音と作動は実銃に準じるが、弾丸は出ない模擬銃。 )やエアガン( 殺傷能力が非常に低い(※3)弾丸を発射する模擬銃 )で、ある範囲の代用は出来そうだ。尤も「銃に対する敬意を身に着ける」には、実銃が(少なくとも最終的には)必要であろう。また、実銃が身近に幾らもあるような銃社会で「初めてのライフル」をモデルガンやエアガンで代用・代替するのは、相応の「意識改革が必要」であろう。言い換えれば、子供の銃教育用に「クリケット」のような実銃を与える、と言うのは、銃社会では相応に「自然な発想」であろう。銃無き社会に住む我々日本人や、「銃無き社会を目指す者」から見れば、「恐ろしい事」であろうとも。

 「そもそも、子供に銃教育なぞ必要なのか」と言う議論もあり得よう。だが、アメリカは現状銃社会であるし、憲法で保障されている武装権・革命権を確固たるものに具現化するのは銃なのであるから(※4)、少なくとも「大人は銃を扱えること」が求められるし、「市民の義務」とさえ言い得よう。であるならば、「子供に銃教育を施す」親は居て当然であるし、冒頭で触れた西部劇「シェーン」のシーンが示唆する処では「西部開拓以来の伝統」とさえ言えそうだ。

 問題は、「子供に銃教育を施す」にしても、「クリケット」の様な実銃と実弾を教材とする時期=子供の発達段階だ。

 上記①2〉に登場する「ロンパースを着た赤ん坊( って事は、先ず1歳以下)」に実弾装填した実銃を渡すのは、例えは悪いが「気違いに刃物」に近かろう。引き金と実弾発射の因果関係さえ把握しているか怪しいぐらいだから、実弾が何処に当たるかなんざぁ判ったものではない。

 上掲記事①冒頭を飾る事件の「5歳の男児」と言うのも、大いに疑問だ。ソリャ平易な言葉なら通じるし、銃の扱い方も技術としては覚えるだろう。が、善悪正邪の区別と自制心の点で極めて怪しいだろう(※5)。「子供は無邪気で罪が無い」などと言うが、この年齢ぐらいの子供では、「無邪気に、悪意も殺意も無いまま、人に銃を向けて引き金を引く」公算が、相応にある。「善悪正邪の区別が無い」状態とは、「悪居なく悪事を為せてしまう」状態なのだから。当該事件で「誤って射殺された2歳の妹」も、「5歳男児が、狙って撃った」可能性がある。もしそうだとしても、「5歳男児を殺人罪で起訴」は出来ないだろうが。

①9〉  「息子が私と一緒に銃声を聞きたがるのでワクワクしている。
①10〉 息子が何を撃とうが構わない。今の時点では、何でも『大当たり』だ」。
①11〉 ユーザー名「Saltydog235」さんは4歳の息子について、2010年にこう書き込んだ。
①12〉 「息子には今、銃の安全性と扱い方について教えている。今の時点では、正確さよりもその方が重要だ」

と言う、Saltydog235氏のコメントは、ある意味「親馬鹿全開の微笑ましいコメント」と言えそうだが、「何でも『大当たり』」の標的として御自身を含む人間が入りかねない冷厳たる事実を想起願いたい。「銃の安全性と扱い方」を教育するのは、モデルガンでもある範囲で可能な事も。

 「銃教育を低年齢で始める」だけならば、それは「親の勝手」とも言い得よう。だが、「実銃と実弾による銃教育」となると、「子供自身が善悪正邪の区別をはっきりと持つ」事が必須であろう。「撃って良いもの」と「撃ってはいけないもの」を、識別するために。而して、「子供自身が善悪正邪の区別をはっきりと持った」と判断する責任には親にある。「クリケット」などの「子供向けライフル」は、単発式であろうが引き金にロックが掛かろうが、その判断を代替するものではない。

 上掲記事①ではまるきり悪役で、「悪魔の銃」かのごとく扱われる「子供向けライフル」であるが、「実銃と実弾による銃教育の教材」としては評価できるし、「初めてのライフル」とするに相応しいとも言い得る。最大の問題は、「子供向けライフル」が「銃教育の低年齢化」を促進して、「善悪正邪の区別があいまいな子供」に実銃と実弾を渡してしまう事で生起する「無邪気な殺人」であり、これを防止するのは、現状では「初めてのライフルを買い与える親の判断」しかない。「その親の判断が問題」である可能性は、上掲記事①のいくつかの事例に、示唆されている。

 さらに言えば、「全ての親が子供の善悪正邪の区別を正確に判断し、それに基づいて実弾と実銃による銃教育開始時期を決定した」としても、それで防げるのは「無邪気な殺人」だけで、偶発事故や「殺意ある(普通の)殺人」は、防げないだろう。

 上掲記事①にある通り、銃器メーカーが「子供向けライフル」に新たな市場を見出し、さらには「子供向けライフルを子供に与える」事で「将来市場の拡大=Gunマニアの増加」を期待している、と言うのは事実だろう。それは企業努力の一環であり、「資本主義の原理原則(※6)に則っている」とも言い得る。早い話が「企業として当たり前の事をしている」だけで、売っているモノが銃器=武器であると言うだけだ。「企業努力」が全ての免罪符になるとは言わないが、「銃器=武器を売っている」以上、何処かに妥協点がある可きだろう。
 大凡この世の工業製品は全て「商品」なのであるから、銃器・武器・兵器を商品として扱う「武器商人」は必ず居る。「武器商人の企業努力」をどこまで認めるかは、議論の対象であろうが、私には「子供向けライフル」の商品化・売買が「禁じられるべき事/忌むべき事」とは思われない。「実銃と実弾を使った銃教育」は、大人用の普通の銃器でも行えるのだから、尚更だ。



<注釈>


(※1) 小峰隆生のように、日本に住んでいて、趣味でアメリカに射撃旅行に行ってしまうGunマニアなんてのは、やっぱり希少だろう。 

(※2) また、そんな浅はかな記事が多くてね。 

(※3) 人に当たっても、「痛い」で済む程度の。プラスチックの球等が多い。

(※4) 「革命は銃口から」とは、毛沢東の教え。 

(※5) ソリャ、大の大人でも、怪しい奴は怪しいんだが。 

(※6) 人によっては「資本主義の病根」とでも、言う処だろう。