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朝日新聞と言う処は、余程閣僚・国会議員による靖国参拝が気に入らないらしい。毎日二本ずつ掲げている社説とは言え、4日間に三本の社説で「閣僚・国会議員による靖国参拝」を取り上げているンだから、これはもう、異常事態である。
朝日新聞の「売り文句」の一つは「入試問題によく採用される」である事も考えると、来年の入試に「閣僚・国会議員による靖国参拝」朝日社説が取り上げられる可能性も高まった、と評する事が出来る。無論、朝日新聞の売り文句が、額面通りの事実であるならば、だが。
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【朝日社説】靖国と政治―静かな参拝のためには
平成25年04月26日(金)
靖国神社は、遺族や国民が静かに参拝する場である。
今回、参拝して近隣国の反発を招いた麻生副総理・財務相は06年、こんな一文を朝日新聞に寄せている。
〈靖国をめぐる論争が過熱し、英霊と遺族から魂の平安を奪って久しい。鎮魂の場という本旨へ復すべきだ。そのためには靖国を、政治から無限に遠ざけねばならない〉
その通りだと思う。であればこそ、その方策を考えるのが政治家の務めではないのか。
閣僚や国会議員が大挙して参拝し、中国や韓国と激しい応酬を繰り広げるのは、遺族らにとっても本意ではあるまい。
安倍首相は国会答弁で「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。どんな脅かしにも屈しない」と強調した。
首相自身は参拝しなかった。そのことの意味が中国や韓国に理解されていない、との思いかもしれない。
だが、遺族や国民が自然な感情で戦没者を悼むのと、閣僚らの参拝を同列に論じることはできない。
それは、この神社が持つ特殊な性格による。
靖国神社には戦没者だけでなく、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯が78年に合祀(ごうし)された。それ以降、昭和天皇は靖国を参拝しなかった。
戦前の靖国神社は、亡くなった軍人や軍属を「神」としてまつる国家神道の中心だった。境内にある施設「遊就館」は、いまも戦前の歴史を正当化した展示をしている。
私たちは社説で、首相や閣僚の靖国参拝に反対してきた。日本が過去の過ちを忘れ、こうした歴史観を後押ししていると国際社会から受け止められかねないからである。
さらに首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある。
菅官房長官は、今回の閣僚たちは「私人としての参拝」と説明するが、政府の要職にある立場で公私は分かちがたい。
首相は23日の参院予算委員会で、植民地支配や侵略への反省とおわびを表明した村山談話について「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と語った。
侵略を否定するかのような発言を繰り返せば、近隣国のみならず、欧米諸国の不信も強まることになる。
歴史を踏まえぬ政治家の言動が、静かな参拝を妨げる。
なんたる亡国の論
さて、如何だろうか。
「言いたい事」は自明であろう。
朝1>> 閣僚、国会議員は靖国神社に参拝するな
ただ、この一事に尽きる。
その理由もまた、一行で足りよう。
朝2>> 先の大戦は侵略戦争であり、侵略戦争を肯定していると「国際社会」に受け取られるから。
…何というか。全身から力が抜ける思い、と言ったら良いのだろうか。
そりゃ朝日新聞と言うと「三アカ新聞筆頭」と当ブログでは呼んでいる新聞。私(Zero)tとは意見が違って当然、似てれば偶然、合致したなら奇蹟に近いような「宗教の違う」相手だ。だから先の大戦=大東亜戦争について、侵略戦争とするか否かで意見を異にするなんてのは、想定ないどころかハナッから承知。逆に朝日新聞が「大東亜戦争は侵略戦争では無かった」などと言い出したら、吃驚仰天で警戒警報発令なぐらいだ。
だが、その「大東亜戦争が侵略戦争である」が故に、「閣僚・国会議員は靖国神社に参拝して英霊たちに敬意を表するな」と、「”国際社会”の目」を理由に、主張できてしまうんだ、朝日新聞と言う処は…
「非国民」とか「日本人じゃない」とか言う悪罵は、私(Zero)はあまり使わない様にしているんだが、それでも斯様な朝日新聞主張に接すると、感じざるを得ない。「お前ら、本当に日本人か?メンタリイティは大陸化してるんじゃないか?言い換えれば、既に”魂を支那に売り渡したの”ではないか?」と。
先行記事にもした通り、日本ではよく「死んでしまえば仏様」と言う。大概の大悪人でもその死によって、罪は浄化される。「死者に鞭打つ」と言うのは、基本的には嫌われる、嫌がらせだ。「罪人は未来永劫罪人」であるキリスト教(の一部)や、「死者は骸を鞭打たれ、罪人の子孫は未来永劫罪人。」の大陸とは、精神風土が異なる。
無論、「日本人」と言っても人それぞれだ。実際、朝日新聞記者も(多分)日本国籍は有しているのだろうが、上掲上記のような主張を繰り返し実施できてしまっている。
だが、百歩譲って大東亜戦争を「侵略戦争だ」としても、その戦争における戦死者殉死者に「侵略戦争の罪」を被せるのは、異常、異様であろう。上掲社説で朝日新聞は、靖国神社は遊就館を「戦前の歴史を正当化」と糾弾しているが、戦死者殉死者の功績を否定して、どうして追悼が出来ようか。追悼するに当たり、戦死者殉死者、英霊たちの功績を想起させるのも、靖国神社の役割であり、それは米国アーリントン墓地であろうが、他諸外国の戦死者殉死者追悼設備であろうが、程度の差はあれ、変わりはあるまい。
「国際社会から受け止め」だぁ?大東亜戦争が、朝日新聞社説の言う通り「侵略戦争」であるならば、その大東亜戦争に於ける戦死者をどんな形で追悼しようとも、「侵略戦争を肯定している」と「国際社会から受け止め」られる可能性はある。尤もその「国際社会」とは、中国、韓国、北朝鮮と、隣国ながらも極めて限定されるだろうが、限定特定されるだけに、「どんな形で追悼しようとも」と、断言できてしまう。
朝日新聞は、斯様な主張を社説として掲げる以上、以下の質問に答える義務があろう。
【Q1】 閣僚、国会議員が靖国神社に参拝しなくなれば、「靖国神社に(閣僚や国会議員以外は)静に参拝できる」と断言する根拠は何か。
【Q2】 閣僚、国会議員が靖国神社に参拝しない事による、戦死者・殉死者をないがしろにする行動の、国防上、安全保障上の影響をどう考えているか。
【Q3】 「侵略戦争の戦死者殉死者」ならば、「犬死に」と考えているのか。
無論、私の考えは先行記事にしている通りだ。そもそも、大東亜戦争に一定の理を認めているから「侵略戦争!」なんて思わないのだが、それは別にしても、「己が命を国のために犠牲にした(※1)」人=戦死者・殉死者を英霊として祀り、敬意を表するのは、国としての義務である。それを具体多的に行動として表わすのは、(※2)「首相・閣僚・国会議員の靖国神社参拝」であり、これは国民一般の靖国神社参拝とは意味が異なる。
従って、首相・閣僚・国会議員は、首相・閣僚・国会議員であるが故に、靖国神社に参拝すべきであるし、公式参拝ならばなお良い。
例によって、例の如くであるが、私(Zero)と朝日新聞の主張には、海よりも深く山よりも高い、乖離がある。
ま、いつものこと、だが。
<注釈>
(※1) 進んで、でなかった人もあれば、巻き込まれて、と言う人もあろうが、それらも含めて。(※2) 繰り返す。「表わすのは」。「表わす」のだから、「参拝せずに心の中で、手を合わせる」では不足だ。