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初めに断わっておくべきだろう。私は我が国の死刑制度を支持する死刑肯定論者だ。我が国が死刑制度を保持しつつ、一定期間死刑を執行しない時期があったのは事実だ。だがそれは、「死刑執行には法相のサインが必要」であり、且つ「確定した死刑は、確定後半年以内に執行されねばならない」と法律で定められているにも拘らず、歴代法相の内多くが「死刑執行に必要なサイン」をしなかったため。贔屓目に言っても歴代法相の怠慢に依るものであり、ある意味「法相の犯罪」の結果だ。このために「死刑が確定しながら、死刑執行されない死刑囚」が死刑確定後半年以上たっている者だけで100人を超える事態に至っている。これは確かに異常事態であるが、その異常事態を惹起しているのは歴代法相の怠慢ないし犯罪なのであり、正道・王道は「確定した死刑は粛々と執行される事」である。従って、今この瞬間に「確定死刑囚百人以上を全員一辺に死刑執行した(※1)」所で、天地俯仰に恥じる処は無く、何の問題も無い。
ソリャ「死刑執行書にサインする」なんて仕事は気持ちの良いものでは無かろう。だが、それは法相の職務である。
朝日新聞は随分前に、粛々と確定死刑囚の死刑執行書にサインをし続ける当時の法相に対し「死神」の仇名を奉ったが、それを言うならば、「死神になる」のも法相の仕事の内であり、「死神になる覚悟が無い」者は、法相になぞなる可きではないのである(※2)。
無論、いくら三審制で慎重を期したところで、神ならぬ身の人が為す事だから、今現在確定し、死刑執行を待つばかりの死刑囚の中に「冤罪による死刑囚」が居る可能性は、あるだろう。それを承知で、私はその「冤罪による死刑囚」を含めて死刑執行すべきだ、と主張する。何故ならば、「冤罪がないように」ある程度議論を尽くしたからこその確定死刑囚であり、「冤罪による死刑の可能性」を承知しつつ、「死刑制度のある社会」と「死刑制度の無い社会」の何れを選ぶかと言う選択に、私(Zero)は「死刑制度のある社会」を選ぶから、だ。
間違ってもらっては困るのだが、「冤罪は無いに越したことはない」し、「冤罪を減らす努力」は死刑囚に限らずすべきである。だが、人間は所詮神ではないのだから「冤罪は、もう、無い」などと考えるのは、誰やらの無謬性を信じるのと同じぐらい傲慢であり、不遜であろう。
「故に死刑制度を廃止し、せめて”冤罪による死刑”を無くすべきだ。」と主張する人もあるだろう。だが、私はそうは考えない。死刑にしなければ冤罪があって良い道理もないし、「万死に値する罪」だってあると言うのに「絶対に死刑にはならない」なんて法制度・処罰制度は、私(Zero)には欠陥制度としか思われない。
かように死刑制度を肯定する私(Zero)であるから、アムネスティとやらからすれば「全くの異教徒」であろう。だが、「全くの異教徒」であればこそ、逆に気付くこともあると言うモノだ。「視点の妙」と言う奴でね。
<注釈>
(※1) 我が国に、そんなに多くの絞首台、電気椅子、ガス室があるとは思わないが。
(※2) 逆に言えば、そんな法相失格の法相が続いたからこそ「確定死刑囚が百人以上」と言う惨状を招いたのであるが。
死刑のない世界、徐々に近づく アムネスティ報告書
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2938041/10561210
2013年04月12日 17:02 発信地:ロンドン/英国
【4月12日 AFP】国際人権団体のアムネスティ・インターナショナル(AmnestyInternational)は10日、過去数年にわたって死刑を執行していなかった国の一部で2012年に死刑が再開されたものの、世界全体では死刑執行は減少しているとの報告を発表した。
死刑に関するアムネスティの年次報告書の2012年版によると、これまで一定期間、死刑が執行されていなかったインド、日本、パキスタン、ガンビアで昨年、死刑が執行された。
またイラクでは死刑執行が「憂慮すべき急増」を示した。イラクの死刑執行数は2011年には68人だったが、昨年の執行数はその倍近くの少なくとも129人に上った。
だが、死刑を用いることは一握りの国に限られており、死刑制度廃止に向けて世界全域で進展があった。
2012年に死刑を執行した国の数は21か国で2011年と同数だったが、2003年の28か国からは急激に減っている。
また、2012年の世界の死刑執行数は少なくとも682件で、2011年より2件増加た。一方、2012年に新たに死刑が確定した件数は58か国の少なくとも1722件で、2011年の63か国1923件より減った。
だがこの統計には、数千人に上るとされる中国の死刑執行数が含まれていないことをアムネスティは強調した。中国における詳細は秘密に包まれている。
「一部の国で今年見られた後退は遺憾だが、死刑廃止に向かう世界の流れを覆すものではない。世界の多くの地域では、死刑は過去のものとなりつつある」と、アムネスティ・インターナショナルのサリル・シェティ(Salil Shetty)事務総長は述べた。(c)AFP
何故「死刑制度の存否」を比較しないのか
さて、如何だろうか。
1〉 2012年に死刑を執行した国の数は21か国で2011年と同数だったが、2003年の28か国からは急激に減っている。
のだそうだ。
2〉 「一部の国で今年見られた後退は遺憾だが、死刑廃止に向かう世界の流れを覆すものではない。
3〉 世界の多くの地域では、死刑は過去のものとなりつつある」と、
4〉 アムネスティ・インターナショナルのサリル・シェティ(Salil Shetty)事務総長は述べた。
のだそうだから、実に大した自信と言うか、楽観主義と言うか…
別に私(Zero)の死刑制度肯定論に対し、我が国以外の世界がどう流れ様がさして興味はないが、「死刑廃止に向かう世界の流れ」を主張するならば、取り上げるべきは死刑執行数や死刑確定数ではなく、「死刑制度を廃止した国の数」を挙げるべきではないのか。
それが挙がって居らず、「死刑執行数」とか「死刑確定数」の増減ばかり問題にし、
5〉 この統計には、数千人に上るとされる中国の死刑執行数が含まれていないことをアムネスティは強調した。
6〉中国における詳細は秘密に包まれている。
と、中国における死刑執行数が不明と認めている、と言う事は、恐らく、「死刑制度そのものを廃止した国は、増えていない」のである。
事実、ウイキペティア「世界の死刑制度」によれば、
W1> あらゆる犯罪に対する死刑を廃止 (97)
W2> 戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止 (7)
W3> 法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国。 (48)
W4> 過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国 (42) ()内の数字は国の数
であり、なるほど「あらゆる犯罪に対する死刑を廃止」した国は97か国と多いが、曲がりなりにも死刑制度を残している国の方が多く、一番最後に死刑制度を廃止したのは2007年のアルバニアとイタリアであるらしい。つまり「最近5年間に新たに死刑制度を廃止した国は無い」と言う事の様だ。上掲記事でアムネスティ事務総長殿が「死刑制度ではなく、死刑執行と確定」を問題にしたのも無理はない。平たく言えば「死刑制度の無い世界は近付いている」と主張するための詭弁だ。
EUは挙って「死刑廃止」であるようだが、この状況は公平に見て「死刑制度廃止の流れの足踏み」だろう。と言う事は、上記1〉「2012年に死刑を執行した国の数は21か国で2011年と同数だったが、2003年の28か国からは急激に減っている。」と言う主張は、「この間に死刑制度を廃止した国は数か国にしか過ぎない」事実と、少なくとも共に考えなければなるまい。
何かに似ていないだろうか?
左様、世上未だかますびしい「脱原発」論と、上掲記事に見るアムネスティの「死刑制度廃止」詭弁は、相通じるものがある。福島原発事故の後、「脱原発」にかじを切ったのは、ドイツ、スイスなど欧州の数か国のみ(※1)。であると言うのに脱原発原理主義者と来たら、脱原発が「原理」なものだから、「脱原発の流れは変わらない」なんて平気で嘘を吐ける。まあ、脱原発原理主義者の「嘘」に比べれば、上記の通りアムネスティの「詭弁」の方が、未だ理はあるが(※2)。
「死刑制度廃止」は、「脱原発」と見つけたり。
つまりはアムネスティの主張する「死刑廃止に向かう世界の流れ」なんてぇのは、全く当てにならない、と言う事だ。
<注釈>
(※1) それらの国が、欧州の発達した電力供給網のお蔭で「電力が不足すれば、国外から輸入できる」点は何度も強調している処。欧州諸国がお気楽に「脱原発」出来るのは、フランスの原発のお蔭だ。(※2) 福島原発事故後も新たな原発を建設計画する国、新たに原発保有国になろうと言う国は数多あるが、脱原発原理主義者はこれを無視している。これに対しアムネスティの主張する「年単位で見た死刑執行国の減少」は、事実であろう(多分)。