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 ソリャ琉球新報と言えば、当ブログで朝日と並んで「三アカ新聞」に指定されている沖縄二紙の片割れ。「殆ど生まれながらの右翼」たる私なんかとは「宗教が違う」から、その社説=琉球新報社の主張は、私(Zero)にとっての異論・異説の宝庫…と言うよりは、「意見・見解が一致する」事の方が珍しい。

 であるならば、琉球新報社説が私(Zero)にとって「不可解/不可思議/理解不能」なものであっても、異とするには足らないのだが、それは同時に「不可解/不可思議/理解不能」な程に発想・着想が懸絶していると言う事。私(Zero)にとっての異論・異説としての差異が大きい事でもある。

 それ即ち「社説を斬る」シリーズとしては、「斬り甲斐も一入」と言う事でもあれば、私(Zero)の考え・思想・考察・主張を検証し、鍛える上でも絶好の材料となる…可能性がある。

 従って、私にとって「不可解/不可思議/理解不能」な主張にも、相応の注意敬意を払うべきである…一般的には。

 さはさりながら/じゃっドン/だけんじょ(逆接)か。然らば/じゃけぇ/ほいなら(順説)か。いずれにせよ当該琉球新報社説を御一読あれ。

転載開始=========================================


【琉球新報社説】共同作戦計画 印象操作で誤解招くな2013年3月25日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-204385-storytopic-11.html
 日米両政府の合作による印象操作だという疑いが濃厚だ。尖閣諸島をめぐる日本有事を念頭に、日米両政府が共同作戦計画の策定に乗り出したと報じられた。さも尖閣をめぐって米軍が出てきて中国軍と戦うかのような印象を与えるが、本当にそうだろうか。 両政府の思惑通りにそう信じ込んでしまうのは危うい。尖閣のために米軍が戦闘すると誤解させ、米軍の存在意義を信じ込ませるのが狙いだろう。だがそれは虚構の類いだ。両政府は、虚偽の「存在意義」を強調する印象操作をしてはならない。
情報を注意深く見極めたい。まず、策定するのはあくまで「作戦計画」であり、必ずしも戦闘行為を意味しない。後方支援も含まれるはずで、この場合、そちらの可能性の方が高いだろう。
 米国の発言も見極めたい。最近、さも米国が日本と一緒に戦うかのように報道されがちだが、注意深く聞くと過去20年、尖閣をめぐる米国の発言は大枠で変わっていない。「尖閣は日本の施政権下にあり、日米安保の対象だ」と言いつつ、「尖閣の最終的主権について米国は日中いずれの側にも立たない」というものだ。
 注意したいのは「尖閣が安保条約の対象である」ことと、「尖閣をめぐる軍事紛争に米軍が出動する」のは同じでないという点だ。ここに巧妙なからくりがある。 在日米軍再編に関する2005年の日米合意は米国、日本、日米合同でなすべき「役割・任務・能力」をそれぞれ記述する。そのうち、尖閣を含む「島嶼(しょ)部侵略への対応」は日本の役割と規定する。米国の役割でも、日米合同の役割でもない。米軍が武力で日本と一緒に守るなどとは保証していないことに注意を払うべきだ。
尖閣の防衛に米軍が出撃し、米国の若者が血を流すと信じている米国人はほとんどいない。安保条約上は、米軍が出動するには米議会の承認がいる。米国民の支持がないのに可決するはずがない。
米国は、米軍出動を日本国民が勝手に誤解し、米軍の必要性を信じ込んでくれればよいと思っているだろう。
モンデール元駐日米大使が1996年、「尖閣問題で米軍は(日米安保)条約によって介入を強制されるものではない」と本音を暴露していた事実を想起しよう。印象操作にはまり、在沖米軍の「存在意義」を信じる愚を警戒したい。


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「必死な印象操作」は琉球新報ではないか


 さて、如何だろうか。

 なんとも主張するポイントの明確な社説ではなかろうか。要約すれば、以下の項目で、文章にすれば一文で済みそうだ。

(1) 尖閣諸島に「日米安保が適用される」と言っても「米軍が防衛に出動する」訳ではない。

(2) 故に「尖閣防衛」に米軍は無効であり、在沖米軍に存在意義はない。

(3) 「日米共同作戦計画」報道は、上記(1)~(2)を隠蔽する印象操作だ。

 さらに突き詰めるならば、琉球新報の主張したいポイントは上記(2)の後半在沖米軍に存在意義はないに尽きるのだろう。あたかも、「在沖米軍の存在意義」は「尖閣防衛」唯一点であるかのごとき主張だ。それ故にその一点を突破・論破さえすれば、「在沖米軍の存在意義は全くなくなる」と言わんばかりに「日米合意」だの「モンデール元駐日大使の発言」だのを列挙し、

1〉米国は、米軍出動を日本国民が勝手に誤解し、米軍の必要性を信じ込んでくれればよいと思っているだろう。(※1)

とまで書く。

 いやはや。「宗教が違う」のはハナッから判り切っている事だあ、ここまでも事実認識が異なるとはな。

 「琉球新報とは宗教異なる」私(Zero)の考えでは、「抑止力」と言うのは、「相手に戦争を起こそう/仕掛けようと言う気を無くさせる力」だ。ハッタリでも張子の虎でも、相手がそれを信じ、怖れる限りは、それは抑止力たり得る。

 例えば、第2次大戦におけるドイツ戦艦ティルピッツなんざぁその例だろう。「北海の孤独の女王」とも呼ばれたドイツ海軍最大の戦艦ビスマルク級2番艦ティルピッツは、特に第2次大戦が我が国の参戦と真珠湾攻撃によって大東亜戦争が始まるまで「主力艦中の主力艦」と考えられた戦艦であり、アルターフィヨルドの奥深くに鎮座ましますだけで絶大な「抑止力」を誇った。為に「ティルピッツ出撃す」の情報(後に誤報と判明)に対ソ援助物資を満載したPQ17船団護衛の任に就いていた英国艦隊は退避を命じられ、PQ17船団は丸裸の丸腰でソ連・ムルマンスク港へ向かわねばならず、ドイツ軍爆撃機と潜水艦Uボートによって大損害を被った。この場合、戦艦ティルピッツは「第2次大戦を起こさせなかった」訳ではないが、英海軍艦隊をして「PQ17船団の護衛任務続行とそれに伴う戦闘を実施させない」抑止力を発揮した訳だ。

 「第2次大戦のナチスドイツ軍では気に入らない」と言うならば、冷戦時代の核抑止力を挙げる事が出来よう。戦略爆撃機による水爆パトロールも実施された冷戦時代は、大量報復戦略にせよエスカレーション戦略にせよ、「本国を核攻撃されたら、核報復攻撃をする」計画だった。実際にその「核報復攻撃」が実施されたら、人類は未だしも人類文明は滅亡しかねない「計画」であり、それ故に実施は疑問視し得る計画であった(※2)。が、とにかく計画はあり、それ故もあって「冷戦」は遂に「熱戦=核戦争」に至ることなく終結した。「核報復攻撃」が実際に実施されたか否かは、幸いにも「判らず仕舞い」であったが、「核抑止力」が働いて、全面核戦争は勿論、世界大戦さえ起きなかったことは、間違い様がないほど明白な事実だ。

 であるならば、琉球新報社説も認める処の①「尖閣にも日米安保は適用される」と言う明言 ②「尖閣諸島を念頭に置いた日米共同作戦計画の策定」 は、充分か否かは議論の余地があるにしても抑止力たりうる。「実際に米軍が尖閣防衛にあたる」可能性の高低は、抑止力の大小に直結しているが、日米共同作戦計画も、在沖米軍も、その抑止力を高める効果が有る事もまた、疑問の余地が無い。

 無論、尖閣防衛ないし奪還に米軍兵力を当てにする訳には行かないし、するべきでもない。だが、その可能性は残すべきだし、その可能性だけでも相応の抑止力だ。

 然るに、上掲琉球新報と来た日には、その可能性を否定するのに「躍起」と言って良い。上記(3)裏返しだ。

 この「躍起」は、三アカ新聞下っ端たる琉球新報の、私(Zero)とは大いに異なるらしい「抑止力観」故だろうか。

 残念ながら、その可能性は低い。「抑止力観の違い」だけならば、「米軍は尖閣防衛に関し当てにならない」だけならば、その結論は「尖閣防衛のための自衛隊大増強論」にならなければならない筈。だが、琉球新報が自衛隊大増強論なんか唱えた例があろうか(イヤソンナコトハナイ【反語】)。

 或いは、もっと根源的な「抑止力観の相違」で、「軍事力以外の抑止力」を主張して居るのかも知れない。確かに、「相手に戦争を起こそう/仕掛けようと言う気を無くさせる力」は軍事力ばかりではない。だが、友好だの友愛だの文化力だのは、軍事力の前には吹けば飛ぶ程度の「抑止力」であるし、経済力は幾らかマシとは言え、直接軍事力を投入できる隣国に対してはその「抑止力効果」は限定的とせざるを得ない。まあ、この辺はそれこそ「抑止力観の相違」かも知れないが。いや、それこそ「宗教の違い」か。社民党なんざぁ「憲法9条が最大の抑止力」とか、素面で言えるんだもんなぁ(※3)。

 だが、そうだとしても妙な事になる。何しろ上掲社説で琉球新報は、「在沖米軍は尖閣防衛に役に立たない」と散々吹聴しているが、それは「尖閣防衛のための実際に兵力を動かさない(と予想される)から」である。裏を返せば実際に尖閣防衛の兵力を投入するならば、米軍は抑止力たり得る」と認めている事になり、「抑止力としての実際の軍事力の有効性」を肯定している。即ち、「憲法9条が最大の抑止力」なんて御花畑とは「一線を画して」おり、「軍事力以外の抑止力」論を、少なくとも上掲社説では、主張して居ない。まあ、鳩山由紀夫を「悲劇の英雄」に祀り上げ、絶賛できてしまう沖縄二紙から、まともな抑止力論が出て来よう筈もないが。

 そんな曖昧模糊とした「抑止力論」に対し、鮮明なのは上記(2)の主張在沖米軍不要論である。

 即ち、尖閣防衛も、抑止力もただの「口実」で、「在沖米軍不要論」こそが上掲琉球新報社説の主張であり、目的だろうと言う事を示唆している。
 それ故にこそ、「尖閣防衛に米軍が出動する可能性」と言う「ハッタリ」を躍起になって否定する。

 全ては中国様の為。」そうではないのかね、琉球新報。


<注釈>

(※1) ありゃ?「米軍の沖縄駐留が必要と言うのは、日本政府と官僚、特に官僚のでっち上げで、米国も米軍もそんな事は主張して居な」が沖縄二紙共通の主張だったのではないか? 

(※2) 「だから、核報復は自動化してしまえ」と言うのは「メタルギア・ソリッドPeace Walker」にも在る所だし、「核報復を、全人類のために諦める」と言うのはシオドア・スタージョンのSF短編「薔薇と雷」にも在る所。 

(※3) 憲法9条が抑止力たり得るならば、世の多くの国はこれを採用して軍事費の削減を目論んで当然、しなければ不思議。而して憲法9条相当の条文がある国はと言うと…コスタリカかぁ?あの国は、警察が装甲車を持ってるんだがね。「軍隊を放棄」したのも「内戦の道具になるから」と言う、実に情けない理由。