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周知の通り、我が日本は「文字」と言う文明の恩恵を受けるのには随分後発だった。最古の文章と言うと古事記、日本書紀、万葉集で完成したのは8世紀。使われた文字は「万葉仮名」と呼ばれる大陸渡来の漢字を日本語に流用・活用したもの。これが如何に「トンデモナイ」驚くべき事象であったかは、「私の歴史観」シリーズ(※1)で以前記事にしたところだ。(※2)
その後、日本は表音文字である「平仮名」「片仮名」を発明し、これにさらに外来語が加わって、現代では漢字、ひらがな、カタカナ、Alphabet(※3)が混在している。これは大変便利なモノ/便利な事、と言うよりは、「混在一切罷りならぬ!」と半島=韓国・北朝鮮のようなこと言い出されたら想像するだにややこしい事になる(※4)。
以下に掲載するのは、そんな現代日本語の「文字ちゃんぽん」が如何に有り難いかを讃える産経新聞コラム。だが、取り上げたいのは、そのコラムタイトルにもなっている「中国が自然科学分野でノーベル賞を取れない理由」だ。
<注釈>
(※1) 久しく書いていない気がするな・・・(※2) 日本語概論-日本語に対する一素人の考察- http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/29989449.html 猿真似ならず、人真似なり-日本語文字に見る日本人の独創性- http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/25972179.html(※3) 数字はアラビア数字か漢数字が使い分けられる。流石にローマ数字は滅多に見ないが、使わない事も無いな。(※4) 「全部平仮名」「全部カタカナ」では電報文みたいになるのは兎も角、同音異義語がややこしいことになる。「全部漢字」はレ点やら一、二点を駆使した漢文になるからまだ何とかなるが、語尾が表記からなくなるんだからニュアンスの点で随分難がある。大東亜戦争敗戦直後に一部で真剣に考えられたと言う「全部アルファベットのローマ字表記」なんてした日には、殆ど解読不能に陥ろう。tamesinikonobunnsyouworohmajihyoukideuttemita.itumorohmajinyuuryokusiteirumonodakara,utikomunohasasitekudemonai.ga////konobunnsyoude,kaidokusurunoha,soutounakuroudarou!!!!!
転載開始=========================================
中国にノーベル賞は無理?
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130226/edc13022607470000-n1.htm
2013.2.26 07:45 [from Editor]
明治期の日本に、井上円了というユニークな哲学者がいた。古今東西の思想に通じ、「釈迦、孔子、ソクラテス、カント」を「四聖」と尊崇していた。
釈迦は、井上のバックボーン・仏教の始祖であり、ソクラテスからカント、ヘーゲルへと西洋哲学をあわせ研究することで、彼の仏教思想に深みが加わる。
「日本を、取り戻す」。自民党政権のスローガンが論議を呼んでいる。ある会合で、論者が「昨夜は、柳田国男(民俗学)を読んで寝ました。安倍晋三さんのいう日本を知るためです」と語りはじめて、驚いた。
すぐ話は別のテーマに移ってしまったが、この「日本」を考えるとき、確かに、近々の経済活力や教育制度の課題だけでなく、歴史をたどる射程の長い思考も必要だろう、と思う。
たとえば東日本大震災後、日本人のみせた冷静さについて「縄文、弥生時代からのDNA」とする識者がいた。このDNAのようなものこそ、現状を打破する力になるに違いない。そこで、井上の名が浮かぶ。
漢字や仏教は大陸から、近代技術は西洋から輸入した日本は、井上の「四聖」のどの本流にもいない。武器となるのは、漢字からカタカナやひらがなを作り、「漢字かな交じり文」で新知識を吸収してしまう消化能力であり、そこに日本文化の秘密がある。
「中国が科学分野でノーベル賞を取れない大きな理由、わかりますか」という専門家がいた。「漢文の文章表記に苦労しているのです。たとえば、英国のサッカーチーム、チェルシーFCの中国語は『切爾西足球倶樂部』、薬品のペニシリンは『盤尼西林』といった具合だが、これが物理や化学では極めて煩わしい」と。
一字一字が意味を持つ漢字表記が余計な連想を伴い、研究の邪魔をする。「外来語や科学分野の表記では、意味の透明なカタカナが威力を発揮する。優位性が際立つのです」と説明した。
日本語の構造が知的な吸収力を生む源である。漢字には、短い熟語で抽象的な概念を把握する力で大いに恩恵を受けた。だが、その言語の可能性を格段に高め、独自の文化を生み出してきた日本人の歴史を、特に、若い人たちには知ってほしい。
そこから現在の教育を考えるべきだろう。もちろん、日本の思想界で一方の雄となった「孔子」様への敬意も忘れずに…。(編集委員 平山一城)
=================================転載完了
検証:「漢字表記の欠点」
さて、如何だろうか。「自然科学分野で中国がノーベル賞を取れない理由」。さして長くないので全文引用しても、以下の数行の通りだ。
1〉 「中国が科学分野でノーベル賞を取れない大きな理由、わかりますか」という専門家がいた。
2〉 「漢文の文章表記に苦労しているのです。
3〉 たとえば、英国のサッカーチーム、チェルシーFCの中国語は『切爾西足球倶樂部』、
4〉 薬品のペニシリンは『盤尼西林』といった具合だが、これが物理や化学では極めて煩わしい」と。
5〉 一字一字が意味を持つ漢字表記が余計な連想を伴い、研究の邪魔をする。
6〉 「外来語や科学分野の表記では、意味の透明なカタカナが威力を発揮する。優位性が際立つのです」と説明した。
如何だろう、納得いっただろうか。妥当な推論だろうか。
Negative.私Zeroは納得しがたい。
確かに外来語の漢字表記は煩わしい、ややこしい、書くだけで気が滅入りそうだ。我が国は表意文字・漢字と共に表音文字・平仮名/カタカナを併用しており、外来語はカタカナで書いてしまう。だが、例えば国名などには大概漢字表記も有る事は指摘しなければなるまい。「アメリカ」は「亜米利加」とも書くし、「フランス」は「仏蘭西」と言う表記がある。即ち「漢字を用いた外来語の音訳」は日本でも実施されている。第一、我が国最古の文字たる万葉仮名自身が、「漢字を表音文字として用いてしまっている」のだから、外来語どころか日本語を音訳しているようなものだ。
さらには、何もその漢字表記を毎回長々と書く必要はない。「亜米利加」と毎回書くのは面倒だが、「米国」ならば「アメリカ」と大差ないし、意味は必要十分に伝わる。「ペニシリン」が「盤尼西林」でややこしくて敵わないなら、「盤薬」とでもすれば(※1)字数・画数の節約になる。
そればかりでは無かろう。そもそもペニシリンを『盤尼西林』と表記しなければならないのは、「ペニシリン」の発音を漢字で表記しているから。「音訳」しているからだ。
折角表意文字の漢字なんだ。発音ではなく、意味を取って、「意訳」してしまえば宜しかろう。
別にこれは私のユニークな発想なんかでは全くない。我らの先人、特に幕末維新から明治にかけての日本人は当時最先端であった西洋文明の翻訳に取り組んだ。先述の通り国名等の固有名詞は発音を取っての「音訳」を当てたが、多くの概念(※2)を片っ端から「意訳」した。「物理」はPhisics、「化学」はChemicalの「意訳」であるし、People=人民、Republic=共和国、Democrasy=民主主義 等も「意訳」した。何れも原語は英語ではないかも知れないが、独逸語だろうが和蘭語だろうが仏蘭西語だろうが伊太利語だろうが露西亜語だろうが西班牙語だろうが「欧米諸国語にしかなかった概念漢字表記に意訳した」事に変わりはない。その恩恵は「漢字の総本家」たる大陸にも「逆輸入」されている。だからこそ、今現在大陸を支配している中国共産党政権の国名は「中華人民共和国」であり、「中華」「人民」「共和国」の内、漢語=中国語と言い得るのは「中華」だけだ。
確かに、発音だけわかれば誰でも「翻訳」出来そうな「音訳」に比べて「意訳」は難しそうだが、それを完成すれば上記5〉「一字一字が意味を持つ漢字表記が余計な連想を伴い、研究の邪魔をする。」 などと言う事態は回避出来よう。我ら先人が、多分十年単位の短期間で大量に実施した「意訳」を、少なくとも当時の日本の10倍の人口を擁して現・共産党政権成立以来で半世紀以上を経ている「中華人民共和国」が実施しない/実施できないとするならば、それは「怠慢」と誹られるべきだろう。
もっと極端には、別に外来語を外来語表記のまま扱っても良い。欧米語は「左から右、上から下への横書き」だから、この書き方でないと一寸難しいが、中国語でも横書きは欧米語と同じ語順なのだから、問題ない筈だ。
以上の通り考えれば、上記6〉「表音文字・カタカナの外来語表記における利便性」は認めるものの、「中国には表音文字が無いから、自然科学分野でのノーベル賞は無理」と言うのは、全く肯じられない。
逆に言えば「ややこしい表記の外来語を、そのまま使うか、意訳するか、略語化する」事さえあれば、「中国が自然科学分野でノーベル賞を取る」事は、ありうる。少なくとも外来語表記がその妨げにならないと、考えるべきだろう。
他の要因を考慮しなければ、だけどね。PM2.5も、水質汚染も、身体ばかりでなく頭脳にも悪そうだし、何より言論統制が「あって当然」な社会は、科学的方法(※3)と相反するぞ
<注釈>
(※1) この伝でいけば「チェルシーFC」の中国語『切爾西足球倶樂部』は「切部」か。これは一寸、誤解を招きそうな表記だから、もう一字加えて「切球部」ぐらいか。(※2)「尽く」と言って良さそうなほど。「概念」自体がConceptの「意訳」だ。ああ、英語のConceptではなく、蘭語か何かかも知れないが