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宣言した当人(つまりは私・ZERO)以外殆どの人が忘れているだろうが、私は当ブログを通じて現・生活の党代表成る肩書きになった小沢一郎に対し、宣戦布告を為している(*1)。同宣戦布告は当ブログに止まらず、「小沢一郎公式HP」を通じて小沢一郎宛て送付されており、少なくとも小沢一郎には私の「宣戦布告」を知る機会が有った筈である。以来、当ブログでは小沢一郎に対しては「我が敵」と言う定冠詞を奉り続けている。
尤も、昔から嫌う人は徹底的に嫌う事で有名な小沢一郎の事だ。宣戦布告やら脅迫やらが来るのは日常茶飯事であろうし、私の出した宣戦布告も小沢一郎当人の目に触れる事もなく処分された可能性は相当に高いだろう。
それは兎も角、その宣戦布告にて私は、「戦争の勝利条件」を「小沢一郎の政治的無力化」とした。未だ「生活の党代表」なる肩書きを有して国会議員である「我が敵」小沢一郎は、未だ政治的無力化したとはみなし得ず、それ故に「我が戦争」は未だ継戦中と考えているのだが、ひょっとすると、タイトルにした通り、「勝利は間近」なのかも知れにない。
<注釈>
(*1) 小沢一郎に対する宣戦布告
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転載開始=========================================
講義中に居眠り姿が続々と 迫力無くした小沢氏〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130305-00000001-sasahi-poldot. 3月5日(火)9時49分配信
2月28日の施政方針演説で「憲法改正に向けた国民的な議論を深めよう」と呼びかけた安倍晋三首相に対抗し、小沢一郎生活の党代表(70)が同日、所属国会議員らを対象にした「日本国憲法講義」を開いた。会場には、生活の森ゆうこ代表代行(56)や谷亮子参院議員(37)など一部の側近は姿を見せたものの、秘書の代理出席が目立ち、記者もまばら。
「晋三さんの、96条改正だけを先にやってみたいというのは、学問的、論理的、理念的にへんちくりんな議論だと思う」
小沢氏は首相の改憲構想を一刀両断にしてみせたが、質疑応答で森氏から、「日本維新の会の石原慎太郎共同代表のような『(連合国に押しつけられた)今の憲法を捨てる』という主張は筋が通っているんでしょうか」と聞かれると、苦笑しつつこう回答。
「うーん、憲法の無効論は理屈上は正しいと思うが、石原さんの主張に僕は生理的には賛成ではないな。制定されて70年近くなり、憲法の理解も定着しているので、新しく作り直す必要性は感じていないね。だが、今の実態にそぐわない部分もあるので、えーー、そこだけ改正するという点については冷静な議論の中では大いに結構だと思う」
護憲なのか改憲なのかよくわからない難解な講義が延々と続くなか、会場内ではコックリ、コックリと船を漕ぐ御仁が続出。ICレコーダーを置いて鼾(いびき)をかく記者までいる。
※週刊朝日 2013年3月15日号
=================================転載完了
.元々「へんちくりんな発言」だったが・・・
さて、如何だろうか。
上掲週刊朝日記事より以前に、多分同じ件が報じられた時は、「我が敵」小沢一郎の訳の判らない理屈に呆れたモノであるが、周囲の状況はそれどころではなかったようだ。私が”訳の判らぬ理屈”と感じた報道は、以下の通り。
〉「まず96条改正、へんちくりん」 生活・小沢代表
〉■小沢一郎・生活の党代表
1〉 (憲法改正の議論で)96条の改正要件の緩和から始めようと言う人がいるが、
2〉 日本国憲法は(改正手続きが厳格な)硬性憲法だ。
3〉 その理念を否定するような改正は容易にはできない。
4〉 だから「96条をまず先にやる」という類いの話は、
5〉 学問的・論理的・理念的・思想的に言うと、へんちくりんな議論だということになる。(党の会合で)
敢えて先行したこちらの記事を取り上げるならば…私は「改正手続きが厳格な憲法」を「硬性憲法」と言うのでさえ上掲記事で初めて知ったような「憲法素人」だ。だが、「我が敵」小沢一郎の上記1〉~5〉の発言こそ正に「へんちくりんな議論である」と断じてしまえる。
その理由は、逆説的に聞こえるかも知れないが、日本国憲法を「硬性憲法」たらしめているのは、正にその改正手続きを定めた「96条であるから」だ。即ち「憲法96条を変更する」と言う事、少なくとも憲法改正手続きを緩和する方向で変更すると言う事は、正に「日本国憲法を硬性憲法で無くすための変更」であり、日本国憲法を硬性憲法たらしめているのは条文として96条以外直接的には無い以上、「憲法改正手続きを緩和」するには「憲法96条を変更」する事が必要にして十分であるから、だ。
言い換えれば、「憲法96条の変更=憲法改正手続きの緩和」を提案したと言う事は、「日本国憲法を現行の硬性憲法から変更・変質させよう(※1)」と言う主張であり、正しく上記3〉にある通り「(硬性憲法と言う)理念を否定(※2)」しているのである。
その「硬性憲法と言う理念の否定」を「容易には出来ない」と判断するのは「我が敵」小沢一郎の勝手だ。硬性憲法を「軟性憲法」より上位に置き高く評価すると言うのも「我が敵」小沢一郎の思想・学説の為せる業ではありえよう。だから、「まず憲法96条の変更を求め、現・日本国憲法の硬性を否定する」主張に対し「学問的・思想的にへんちくりん」と批難することまでは、まだ理解できる。 だが、「論理的・理念的にへんちくりん」と言う主張は余りに独善的である。「現日本国憲法の硬性を否定するが故に、96条の変更=憲法改正手続きの緩和を求める」と言うのは、論理的にも理念的にも筋が通っている。それは、「硬性憲法を軟性憲法の上位に置く」と言う学説・思想であっても、変わりようがない…筈だ。
であると言うのに上記5〉の我が敵・小沢一郎の発言は・・・「硬性憲法至上主義」だか、「現・日本国憲法原理主義」でもなければ説明がつかない。また、そんな奴バラは未だに我が国には掃いて捨てるほどあり、今更「我が敵」小沢一郎がその一派にくみしたとて、驚くにはあたらない。むしろ私としては、益々敵愾心が上がると言うモノなんだが…どうも、上掲朝日記事によると、それどころではない様だ。
何しろ、「石原慎太郎の占領憲法無効論の正否」について尋ねられての我が敵・小沢一郎の回答と来たら・・・
6〉 「うーん、憲法の無効論は理屈上は正しいと思うが、
7〉 石原さんの主張に僕は生理的には賛成ではないな。
8〉 制定されて70年近くなり、憲法の理解も定着しているので、新しく作り直す必要性は感じていないね。
9〉 だが、今の実態にそぐわない部分もあるので、
10〉えーー、そこだけ改正するという点については冷静な議論の中では大いに結構だと思う」
…これは一体何だろう?上記7〉~8〉は上記1〉~5〉で明言した「硬性憲法支持」と読める。だから、この部分は上記1〉~5〉と整合する。
だが、上記9〉~10〉は…ソリャ硬性憲法であっても改正手続きはあるのだし、「実際に改正に至らずとも、改正を議論することに意義がある」と言う主張は出来そうだが、「議論だけはするが憲法変更はしない」ならばそれは「解釈改憲のススメ」にしかならず、解釈改憲とて「硬性憲法支持」とは矛盾しよう。
「憲法96条以外の、”実態にそぐわない部分”を先に変更すべき/変更を議論すべき」と主張して居るのだとしても(※3)、日本国憲法96条が具現化している「憲法の硬性」が、その「議論した結果の憲法変更」を、相当困難にしている。大体、現・日本国憲法に上記7〉「今の実態ンそぐわない部分」が有る事を認めつつ、その変更は難しいものとしている憲法96条及び「硬性憲法と言う理念」はそれこそ「死守すべき」とも言い出しかねない主張と言うのは、私には理解できないほど矛盾している。
まあ、それを言うならば、上記6〉「現・日本国憲法無効論を「理屈上は正しい」と認めつつ、上記7〉「生理的には賛成できない」が故に憲法96条変更を批難し、「硬性憲法と言う理念」を強く肯定する主張と言うのは、それこそ「論理としてへんちくりん」だ。
「石原慎太郎が嫌いだから、現・日本国憲法の硬性性を支持する。」と、平たく言えば言っていないか?我が敵・小沢一郎よ。だとしたら、「子供の理屈で大人の態度を決めている」事になるぞ。
以上の如く、箸にも棒にもかかりそうにない「御高話」を、「所属国会議員らを対象にした日本国憲法講義」と銘打って長々聞かされたら、ソリャ居眠りする者も出るだろうさ。私としてはタイトルにもした通り、我が勝利=小沢一郎の政治的無力化の兆候ではないか、と期待してしまう。
尤も・・・
〉 ICレコーダーを置いて鼾(いびき)をかく記者までいる。
って、一体どこの記者だよ。聞く価値のない話であろうとも、記者としてはその目で見その耳で聞くからこそ「取材」なのであろうが。
<注釈>
(※1) 少なくとも「その硬性性を減じよう」(※2) 少なくとも、現・日本国憲法レベルの高い硬性性は否定(※3) これが上掲記事にある我が敵・小沢一郎発言の、一番意味が通りそうな解釈なんだが。