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 当ブログでは、再三東京新聞の事を脱原発原理主義として糾弾している。単なる「脱原発主義」ではなく、「脱原発原理主義」と「原理」が付くのは、「脱原発」を金科玉条至尊至高の目的に祀り上げて、選挙結果だろうがコストだろうが経済性だろうが電力の安定供給だろうが、気合だか気概だか狂信だかで乗り切れと主張するその原理主義ぶりから、だ。

 所詮「脱原発」なんてのは、私が福島原発事故を経てなお主張する「原発推進」と同様、「エネルギー政策の一方針」にしか過ぎないのであり、これを原理主義の原理に祀り上げるなんざぁ思考停止も良い処。狂信と無知蒙昧に対する知性と理性の敗北に他ならないのであるが、そんな事ぁ脱原発原理主義なる原理主義者には通用する筈もない。

 尤も、その脱原発原理主義者たる東京新聞(※1)が、どうやら切歯扼腕の体らしい、と言うのが、以下の東京新聞社説だ。


<注釈>

(※1) 以前取り上げた東京新聞は、「脱原発」と並んで「オスプレイ配備反対」と「消費税率アップ反対」を「新聞が義務として言わねばならない事」に列挙していたから、多分、オスプレイ配備反対原理主義と、消費税率アップ反対原理主義も兼ねているんだろう。そんなに「至尊至高の原理」が多くて、大丈夫かね、と異教徒たる私なんかは思ってしまうぞ。まあ、あい矛盾する事は少なそうな「原理」同士だから、まだ何とかなりそうだが。



.転載開始=========================================


【東京社説】民主代表質問 原発問い詰めぬ裏切り
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013030502000138.html
2013年3月5日

 首相の施政方針演説に対する民主党の代表質問を聞いて耳を疑った。原発・エネルギー政策に関する言及が全くないのだ。自民党の原発容認政策を是とするのか。もはや重要とは考えていないのか。

施政方針演説は首相が今後一年間、内閣をどう運営し、どんな政策を展開するのか、基本方針を明らかにするものだ。各党代表質問は国民に代わって、その方針をただす重要な機会である。反対なら厳しく指摘し、賛成なら支持を表明すればよい。

その代表質問で何も言及しないとしたら、首相方針を支持したと受け取られても仕方があるまい。

安倍晋三首相は二月二十八日の施政方針演説で「安全が確認された原発は再稼働します」「省エネルギーと再生可能エネルギーの最大限の導入を進め、できる限り原発依存度を低減させていきます」と表明した。原発稼働継続の選択肢を排除していない。

これに対し、民主党は衆院選で「二〇三〇年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と公約した。原発ゼロを引き続き党の基本政策とするのなら、首相の原発容認政策を厳しくただしてしかるべきだ。

ところが、質問した民主党の大畠章宏代表代行は原発・エネルギー政策に全く言及しなかった。

海江田万里代表が一月の代表質問で、民主党政権時代に決めた三〇年代の原発ゼロを目指す「革新的エネルギー・環境戦略」を引き継ぐのか否かを首相に質問したから、十分だと考えたのだろうか。

だとしたら、野党としての役目を放棄したに等しい。原発稼働継続を容認するのか否かは、国のエネルギー政策の根幹である。機会あるごとに何度ただしても、十分ということはあるまい。

首相は海江田氏への答弁で、野田佳彦前内閣の戦略は「具体的な根拠を伴わない」と切り捨てた。なぜ代表質問で反論しないのか。

大畠氏は原発を製造する企業の出身で、自身も原発プラントの設計技術者だ。その企業城下町を中心とする選挙区の選出でもある。

議員個人の考えは多様で、民主党が一枚岩でないことは理解するが、個人の事情を党の政策よりも優先させるようであれば、民主党は代表質問の人選を間違えた。
原発ゼロ実現は選挙公約だ。たとえ野党でも実現に努めるべきである。政権にすり寄り、野党になってまで有権者を裏切り続けるのなら、民主党に存在意義はない。


=================================転載完了

.脱原発原理主義の黄昏


 さて、如何だろうか。

 上掲東京新聞社説の主張をそのまま受け入れるとしても、以下の諸点は東京新聞自身が認める処で在る様だ。

 (1)  現自民党安部政権は、前民主党政権時代の「原発ゼロ」政策を踏襲していない。

 (2) 民主党は、上記(1)について自民党をロクに追求せず、野党の立場での「原発ゼロ」への努力をしていない。

 上記(2)が上掲社説のタイトルにある「裏切り」と言う可也辛辣な批判となっているし、以下の一文で当該社説を〆る根拠にもなっている。

1〉  原発ゼロ実現は選挙公約だ。たとえ野党でも実現に努めるべきである。
2〉 政権にすり寄り、野党になってまで有権者を裏切り続けるのなら、民主党に存在意義はない。

 要は、泣き言、恨み節。民主党の言う処の「原発ゼロ」よりもさらに過激で空虚な「卒原発」を掲げた「未来の党」が民主党以上の惨敗を先の衆院選挙で喫した上に分裂した事や、上記(1)の通り「原発ゼロを踏襲しない」自民党にとって「原発ゼロを踏襲しない」が選挙公約である(※1)事も、無視して、都合よく忘れての上記1〉~2〉「民主党は選挙公約を守れ」である。流石は脱原発原理主義と言うべきか。

 民主党に「公約を守れ」と要求することの虚しさ、空虚さを、未だに理解していない…と言うよりは、「脱原発原理主義」だから、「脱原発と言う原理の前には全てが平伏する筈/平伏するべき」としか考えられないのだろう。

 だが、仮に民主党が今の「不甲斐なさ」を脱し、「原発ゼロ」実現へ努力すれば「民主党に存在意義がある」と、当該社説の東京新聞主張通りだとしたら、少なくとも「民主党は、”原発ゼロ”を掲げて先の衆院選挙に大敗した反省はするな。(他の事が敗因だ)」であるし(※2)であるし、民主党以外にも数多あった政党の大半が先の衆院選挙で敗北したことも、「脱原発と言う至尊至高の原理は絶対善なのだから、敗因ではないし、反省もするな」と言う主張でもある。

 まあ、「原理主義者は反省しない」とは、以前にも断じた所であるが、こうも思考停止と知的退廃に陥りながら、新聞記者として高給を食む(※3)とは、ある種の犯罪ではなかろうか。

 断っておくべきだろう。以上の記述は、私が「福島原発事故を経てなお原発推進論者である事」とは、殆ど関係が無い。

 私が「脱原発原理主義者ではない」だけで、東京新聞主張する脱原発原理主義の「黄昏」を感じるには十分だ。

 如何に、東京新聞(※4)。


<注釈>

(※1) 即ち、自民党はモノの美事に選挙公約を果たしていると、東京新聞のお墨付きをもらった訳だ。 

(※2) これはまあ、脱原発原理主義じゃぁ仕方が無いが

(※3) 新聞記者ってのは、結構な高給取りなんだそうな。 

(※4) と、原理主義者に問いかけても無駄だろうが。全く、馬鹿につける薬は無いな。