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男と女の間には、深くて暗い川がある、かも
さて、如何だろうか。
最初に本記事のタイトルが説明不足、或いは偏見を助長するモノであると認めなければならないだろう。先述の通り「WSJ紙の日本人女性記者による米国銃規制関連記事」を「ロクなモンじゃない」と判断してしまう私だが、タイトルの様に「女性記者による米港銃規制記事」を全て「ロクなモンじゃない」と断定して居る訳ではない。「WSJ紙」「日本人記者」と二つの要素・限定条件が、タイトルからは抜け落ちてしまっている。それに日本の新聞に関して言えば、大手全国紙で大間抜けな社説を堂々と米国銃規制に対し掲げてしまう処もある(※1)から、「ロクなモンじゃない」のはWSJ紙に限った話でもない。
要は「ロクなものじゃない」か否かは記事の中身、社説の主張によるのであって、「WSJ紙」だの「女性記者」だのは、せいぜいが補助的な判断材料でしかない。
それでは上掲記事の中身はと言うと・・・「今までにないくらい真面な部分がある」と言うのが率直な感想だ。何が真面かと言えば、根源的には『「銃による自己防衛」≒「武装権」についてかなりの程度言及し、ある程度肯定している事』だ。従来の「WSJ紙日本版・女性記者による米銃規制記事」では、武装権は「NRA全米ライフル協会が掲げる銃規制反対の口実」扱いで、合衆国憲法に明文化されている事さえ、無視とは言わぬまでも相当に軽視されていた。それに比べれば上掲WSJ記事はマシな方である。多分、女性記者が交替(※2)した効果も有るのだろう。
だが…折角の女性記者交替効果も、そこまでの様だ。
上掲記事を通じて私が一番違和感を覚えたのは、私と当該WSJ紙記事との間の意見の相違に「男と女の間の深くて暗い川」を感じてしまったのは、「銃に対する興味」の扱い方、だ。
先行記事にした通り、私は「銃を撃った事が無いGunマニア」だ。日本と言う銃無き社会に生まれ育ち、戦後平和教育も受けた。戦後平和教育を受けながらも「殆ど生まれつきの右翼」なのだから、「銃無き社会日本に生まれ育ちながらGunマニア」なんてのは朝飯前だ。従って銃には( 撃った事はないが )人一倍興味があるし、少なくとも私自身が銃に興味を持ち、Gunマニアとなったプロセスは経験している。
当たり前だが、「銃に興味を持った」から「Gunマニアになる/なった」のであり、「Gunマニアである/になった」から「銃に興味を持った」訳ではない。銃なんてものは人類と言う種に比べればはるかに「若い」のであるから、「人がGunマニアとして生まれる」と言う事はありそうにない。つまり、「人は後天的にGunマニア」になるのである(※3)。即ち、私の体験・「Gunマニアへの道」は、「銃に対する興味の強さ・大きさ」を実体験として実証している。無論、これは私の個人的体験でしかないから、普遍化・一般化=「男なら皆同じ」とするのは危険であろう。そうでなくたって「殆ど生まれつきの右翼」と自認公言する人間なんてのは少数派なんだから、「私の個人的体験」は取扱いに注意が必要だ。
だが、「男」以前の「男の子」の特性・性質で言うならば、強いもの・力に対す
る憧憬や嗜好は「普遍化・一般化」出来そうである。「ジェンダーフリー」なんて立場からは否定されるかも知れないが、そいつは私に言わせれば話が逆で、「男の子の特性」が「女の子の特性」とは異なる傾向があるが故に「ジェンダーフリー」なんてのは噴飯ものなんだ。
ま、それは兎も角、「男の子の特性」としての「強さ・力に対する憧憬・嗜好」は、Gunマニアや兵器マニアへの、少なくとも入口たり得る。従って、「銃に対する興味」と言うのは、「男の子」ならば持つのは何の不思議もない。
1〉 2010年に銃で殺害された19歳以下の子供は約2700人に上り、
2〉 毎日7人、毎週52人の子供が銃で命を奪われている計算になるという。
3〉 それにもかかわらず、テレビや映画では銃が依然として「強くてカッコいい」ものであるかのように描写され、
4〉 玩具店に行けば様々な種類のおもちゃの銃が棚を埋め尽くしている。
と、上記記事は「玩具の銃」を糾弾して居る訳だが、上記1〉~2〉はある意味「銃の威力・力」を示す事象である。従って上記3〉の冒頭「それにもかかわらず」と言う逆接は、単純な逆接ではない。先述の通り「男の子の特性」に従えば、此処は順接、「それ故に、銃は強くてカッコいい」のである。「玩具の銃が棚を埋め尽くしている」のも、「射撃場が子供向け誕生パーティープランを提供する」のも、「男の子の特性」からすれば不思議はないと言うより理の当然である。実際、「銃無き社会」日本においても、然る可きおもちゃ屋に行けば相応の「玩具の銃」が並んで居るのだから、「銃社会」と「玩具の銃」の間に、直接の相関関係はない。
即ち、銃社会でなくても「玩具の銃」には一定の需要があり、売れるんだから、銃に対する興味」と言うのは、「男の子」ならば持つのは何の不思議もない。
5〉 銃の安全な取り扱い(※4)を学んだ子供でも、
6〉 実際に銃を見ると興味が勝って触らずにはいられないという調査結果も出ており、
7〉 こうした教育の効果には疑問の声も上がっている。
と、上記5〉~6〉で「銃への興味」を(※5)認めておきながら、上記7〉の通り「銃教育の無効性」の根拠にしかせず(※6)、結論となる最終段落は、
8〉 何よりもまず、銃弾を抜いた状態で鍵をかけて保管するなど、
9〉 管理を徹底することが銃を所有する親の最低限の責任だろう
と、「親による銃管理の徹底」と、後は「祈り」だけなんだから、「コラム」ぐらいならそれでも良さそうだが、これで、(※7)新聞記事かぁ?
大体、本文にも突っ込んだ通り、「銃弾を抜いた状態で鍵をかけて保管した銃」では、「外出するときは親が携帯する」=「子供には触れさせない」としても、護身用の役に立つ訳が無い。護身用銃が必要となる事態が、自宅にいるときには起こらないなんて断定できまい。そのとき、金庫の鍵を開けて、銃弾を装填して、銃口を向けるなり威嚇射撃するなりの隙と時間が「あるモノ」と思う方がどうかして居よう。
護身用の銃は、それを必要としたとき即座に発砲できるから役に立つんだろうが。
まあ、もっと間抜けな社説や記事を書く「男」だって、掃いて捨てるほどあるがね。
男と女の 間には
深くて暗い 川がある
誰も渡れぬ 川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row―「黒の舟唄」 能吉利人作詞・桜井順作曲
<注釈>
(※1) 而して、これは推測になってしまうが、そのロクでもない銃規制社説を書いた記者の相当部分は、男性記者だろう。(※2) ないし更迭(※3) ああ、人が先天的に武器マニアになる、事ならありそうだが。或いは、武器とか、力とか言う「銃」に比べればはるかに抽象的な概念を「生まれつき好む」事ならあり得そうだ。(※4) 『「近寄らない、触らない、その場を離れる、大人に伝える」という簡単な対処法』の教育を前の段落で報じている。(※5) 「肯定」とは言えないが、存在そのもは(※6) その後のパラグラフに「銃教育の意義」を訴える意見を報じて、バランスは取れているが。(※7) さすがに社説ではないが。