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変動要因「核兵器」
中国共産党政権による核攻撃及び核恫喝は、我が国にとってゆゆしき事態ではある。だがそれは、同時にある程度は「両刃の剣」たりうる。少なくとも核攻撃は、米中間の全面核戦争の可能性さえ無視し得ないものにする。中国共産党伝統の人海戦術「人民戦争理論」に従えば「核戦争による勝利は中国共産党政権のもの」とも解釈できそうだが、それは「人民戦争理論に従えば」でしかない。確かに中華人民共和国の人口は多いが、その体制は「全面的核戦争による被害」に耐えるものではない。政府中枢だの、ICBMサイロだの、戦略ミサイル原潜だのを全面核戦争から生き延びさせることは出来ようが、それら高度な工業製品を維持する生産設備や経済基盤はそうは行かない。「人民戦争理論」は広大な領土と大人口が有効な耐久力を発揮する範囲でしか有効ではない。従って、全面核戦争への拡大というのは、少なくとも「自動的に中華人民共和国の勝利」を意味しない。尤も、人民解放軍上層部が、そこまで理性的・論理的・冷静であるという保証はないのだが。
我が国にとって核攻撃・核恫喝がゆゆしき事態なのは、根源的に我が国が核兵器保有国ではなく、核報復能力を有していないからである。
たとえ我が国が核報復攻撃能力を有していたとしても、中国共産党政権が核恫喝を行うことはありうるし、核攻撃さえ「ない」とは考えるべきではないだろう。だが、我が国に核報復能力があれば、我が国としては核報復を実施し、さらには「21世紀の日中戦争」を核戦争とする可能性を保留することができる。それは、核攻撃の可能性を下げ、核恫喝の威力を減じるという効果を期待できよう。
だが、現状及びここ当面の間、我が国には核報復能力はない。従って中国共産党政権の核恫喝に対する我が国の、少なくとも「最後の答え」は、フランスはシャルル・ド・ゴール大統領の名科白「じゃぁ、一緒に死のう」ではなく、「いつか、必ず殺す」でしかない。
そんな核恫喝に対する「日本の回答」が有効かどうかは定かではない。日本からの即時核反撃はどう転んでも実施されないのだから、なおさらだ。
だが、有効であれば。それが「希望的観測」であることは承知( また、後述する )の上で、我が国の勝機も見えて来よう。
第四幕第一場 玉音
「日本国民の皆さん。新年、あけましておめでとうございます。この新年の佳き日を、国民の皆さんと共に祝えることを、嬉しく思います。省みれば、昨年は我が国・我が国民にとって、実に苦難に満ちた年でありました。日本海を挟んで対岸の大陸は、遣唐使・遣随使の昔には、進んだ文化・技術の発信地であり、我が国も多くのことを大陸から学びました。元の時代に元寇として渡洋侵攻してきた史実もありましたが、そんな少数の例外をのぞけば、大陸と我が国の間の日本海は、おおむね「平和の海」でした。その平和が、破られました。人民解放軍の侵攻は、我が国に、ことに最前線で防衛の任に当たった陸・海・空三自衛隊に多大な損害・出血をもたらしました。国民の皆さん、その親類縁者の中にも一方ならぬ不幸を被り、労苦を強いられた方々が居りましょう。ですが、その不幸、労苦、出血、損害に我が国、我が国民、我が陸・海・空三自衛隊は耐えました。耐え抜くことができました。それは、我が国民の力と、それを支援してくれた国際社会、分けても同盟国たる米国の支援による事を忘れてはなりません。ここに私は、日本国民一人一人に対する謝意を表すると共に、日本国民を代表して、国際社会、分けても米国に対する、感謝の意を表します。ありがとう。」
都合の良い「勝利」
エンターテインメントの原則は「ハッピーエンド」だという説がある。ある程度は納得のいく、説得力のある説だ。「うしおととら」の藤田和日朗は「登場人物たちはみんな幸せになりました」と断言して「うしおととら」を終えているし、松本零士御大は「作品というのは作者の子供であり、子供の長寿と幸福を願うのが親だ。」と言われているから、これも同趣旨と見て良かろう。中には登場人物たちが次々悲惨な死に方をすると言う作品もあるし、ホラーなんかでは「次があるぞ」という余韻と言うか不気味さが必要にもなろうから、世の中「ハッピーエンドなエンターテインメント」ばかりではない。
だが、「ハッピーエンドがエンターテインメントの王道」と言うのは異論の少なそうなところであるし、今回取り上げたのは「21世紀の日中戦争」と言う、元寇以来とも言える我が国の危機だ。「ハッピーエンド」を用意するのが王道でもあれば、人情でもあろう。
だが、「ハッピーエンドがエンターテインメントの王道」と言うのは異論の少なそうなところであるし、今回取り上げたのは「21世紀の日中戦争」と言う、元寇以来とも言える我が国の危機だ。「ハッピーエンド」を用意するのが王道でもあれば、人情でもあろう。
無論、この「ハッピーエンド」がいくつもの我が国にとって都合の良い前提条件の上に成り立っている事を認めなければならないし、直視しなければならない。その「都合の良い前提」を数え上げるならば・・・
① 米中は何らかの形での「日本分割合意」に達していない。
② 中国共産党政権は核攻撃実施に踏み切れない
③ 日本政府及び日本国民は、中国の核恫喝に屈しない
④ アメリカの対日支援は十分間に合う
⑤ 自衛隊三軍は壊滅せず、燃料弾薬も尽きない。
などであろう。無論、日本政府及び日本国民の継戦意志が粉砕されない、というのも重要な前提だが、それは上記③の中に含まれると考えた。逆に言えば「中国共産党による核恫喝は、必ずある」と考えた訳でもある。
上記①~⑤の「都合の良い前提」は、おおよそ致命的な方、重大な順に並べている。
上記④、⑤は比較的軽微な、「戦術的前提」と言い得よう。部隊の保全、燃料弾薬、米軍の支援、いずれか一つが満たされずとも、ほかが満たされればまだ何とかなりそうな諸条件だ。
上記③は、実は一番心配なところである。前・民主党政権ならば、上記④、⑤の条件が完全に満たされたとしても、この上記③の条件で「再度の敗戦」の憂き目を見かねないほどの条件。だが、逆に、現・自民党政権ならば、この条件はクリアしてくれるのではないか、と期待したい条件だ。
上記②は・・・クリアしないと言うことは、広島・長崎の惨劇が、より大規模に我が国民・我が国土に起ころうかという条件だ。同時に「米中全面核戦争」に発展しかねない事態だから、そうおいそれと中国共産党政権も核攻撃には踏み切れまい、とは読んでいる。が、踏み切る可能性は、考えざるを得ない。そうなったときに、我が国が継戦体制を維持することは、確かに困難であろう。
上記②と密接な関係にあるのが上記①だ。上記②「中国による対日核攻撃」を抑止する最大抑止力は米国の核兵器であり、「米中全面核戦争の可能性」だ。
忘れてはいけないんだが、我が国が非核三原則なる、ある意味「高尚」かも知れないが間違いなく外交上・安全保障上の制約となる宣言を為したとき、前提となっていたのは「再びの日中戦争=中国による対日侵攻があった場合、米国が中国に対し先制核攻撃をかける事」であった。当時と異なり今やICBM、SLBMなど米国に届く核攻撃手段を有する中国に対し、米国が先制核攻撃を仕掛けるとは殆ど期待し得ない。従って非核三原則はその前提から崩れているのであるが、それは兎も角、上記①はそんな「米国による対中国先制核攻撃の否定」よりもさらに悪い事態、米中結託ないし米国と中国による日本分割密約という事態である。これは中国にしてみれば上記②の否定、すなわち対日核攻撃の自由度を増したということであるし、日本としては上記④の否定で、アメリカの支援は当てに出来ない/無いと言うことである。
言い換えれば上記①の否定は、殆ど自動的に「21世紀の日中戦争に於ける日本の敗北」を意味している。
ただしそれは、「21世紀に於ける第一次日中戦争」に於ける「日本の敗北」でしかない。
第四幕もう一つの第一場 ”玉音”
「こちらは、「自由日本の声」。日本国亡命政府の公式放送です。本土は今頃寒さが厳しくなって来た頃でしょう。富士山は初冠雪を記録したでしょうか。里は、紅葉が盛りでしょうか。本日は、同盟国政府の援助を得て、共産党政権の魔手を辛くも免れた今上陛下よりのお言葉を特別放送いたします。日本国民の皆様、謹んで御拝聴下さい。」「日本国民の皆様。・・・・・」ノイズが急激に増大し、辛うじて聞き取れた冒頭部分以外、意味の分かる単語は受信できなくなった。受信周波数の調整も効果無いと知り、調整していた男が毒づく。「畜生、支邦の奴ら、電波妨害かけやぁがって!」「ま、いつものこながら、ご苦労様な事だ。どうせ、すぐに音声ファイルがネットに出回るのにな。」答える声は対照的に暢気なモノなのは「いつものこと」であるからだろう。「ああ、合成音声の偽物も含めてな!」実際、ネット、音声放送を含めた情報媒体上の宣伝戦は日本政府降伏と武力衝突停止以来、逆に熾烈度を高めていた。人民解放軍サイバー部隊と主として「日本義勇軍」宣伝部隊、通称「オタク隊」の戦いは、人数で人民解放軍が圧倒的であるものの、各国支援と人知れぬノウハウに支えられた技術によって、「オタク隊」がかなり善戦していた。「ま、それもあるだろうな。だが、どれが偽物かなんて、日本人ならば即座に見抜けるじゃないか。「それでも良いから、打ってやれ。」って奴だ。」「ああ、「無線機に届かずとも、心には届く。この世には届かなくとも、あの世には届く」ってか、何とも前近代的なことだな!」言葉とは裏腹に、先ほど毒づいたときの鋭い棘はない、穏やかな口調だ。「仕方がないさ。世界屈指の長期王朝が、我らが「天ちゃん」だ。大東亜戦争なんて、ついこの前さね。」答える男の口調は、ますます暢気になる。「それもそうか・・・「宮様担いで惑星植民」ってSFを思い出したぜ。」最初に毒づいた男は、すっかり毒気を抜かれた形だ。暢気な男の口調に反し、現実の日本は建国以来未曾有の事態に陥っていた。中国共産党政権に対する降伏と、人民解放軍による占領、陸海空三自衛隊の武装解除ぐらいは、先の敗戦・大東亜戦争敗戦の際に「経験済み」であったが、人民解放軍の占領政策ないし占領政策予測は、天皇陛下の海外亡命と言う未曾有の事態を生起させた。未曾有の事態ではあったが、先例ないし予測できないものではなかった。第二次大戦の折り、イギリスは王室の国外脱出計画を持っていたし、中国共産党政権自身、チベットを占領して「偽のダライ・ラマ」を傀儡として擁立している。さらには、この未曾有の事態こそ、在外邦人を含めた日本人の希望であった。これに比べれば、解体され粉砕された自衛隊三軍さえも、些事と言い得るほどの。確かに、自衛隊三軍、分けても海軍・海上自衛隊の武装解除は、海洋立国・日本にとって、大きな痛手であるが・・・ああ、自衛艦隊全滅の海。終生この恨みは尽きまじ。否、この恨み晴らさで置くべきか。ジョン・ポール・ジョーンズ流に言えば「戦いはまだ始まっていない」のである。・・・・to be continued( 小説「次の次の一戦」に続く )