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太陽光発電の不甲斐なさ、非実用性を糾弾する当ブログの記事を「冷たい計算式」と名付けたのは、SF小説「冷たい方程式」のパクリではあるが、「冷厳・冷徹な事実を突き付ける」と言う意味も込めている。何しろ、「冷たい計算式」で取り上げたメガソーラーは稼働率8分の1、「続・冷たい方程式」で取り上げたメガソーラーでも稼働率は7分の1。出力は何れも約2メガワットだったから、どうも此の辺りの大きさが、我が国に設置しやすいメガソーラーの大きさである様だ。
今回は産経の記事から、広島の、やはり2メガワット級メガソーラーである。
.転載開始=========================================
帝人、広島にメガソーラー 7月稼働予定
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130218/biz13021812550005-n1.htm
帝人は18日、三原事業所(広島県三原市)に出力1990キロワットの大規模太陽光発電所(メガソーラー)を建設すると発表した。着工は3月で、7月に稼働予定。
発電量は一般家庭約530世帯分に相当し、固定価格買い取り制度を活用して全て中国電力に売る計画だ。帝人広報室は「遊休地を活用し、再生可能エネルギーの普及に貢献していく」と説明している。
=================================転載完了
推算式
さて、始めようか。
短い記事でで、報じられて居る数字は実に少ない。
① 出力1990キロワットの大規模太陽光発電所(メガソーラー)
② 発電量は一般家庭約530世帯分に相当
と、これだけだ。
この数字から計算できるのは、「稼働率」の分母となる「1年間365日24時間定格出力を出し続けた場合の発電量」即ち「理論的(理想的)発電量」だけであり、それは、
1,990kw × 24h × 365日 = 17,432,400kwh …式(1)
一方上記②「発電量は一般家庭530世帯分」と言う事から、発電量を推算すると、先行記事で取り上げた岡山のメガソーラー記事(※1)に以下の記述があることから、一世帯当たり年間消費電力を計算できる。ああ、無論、岡山と広島では「一般家庭の消費電力量」に大差はないとして、だ。
〉 年間発電量は184万キロワット時。一般家庭の年間消費電力量510世帯分に相当する。
184万kwh ÷ 510世帯 = 3607.8kwh / 世帯 …式(2)
上記式(2)から上記②「発電量は一般家庭530世帯分」を発電量に換算すると、
530世帯 × 3607.8kwh / 世帯 =1,912,157 kwh …式(3)
式(1)と式(3)から、今度広島にできる2メガワット級メガソーラーの稼働率を計算すると、
1,912,157 kwh ÷ 17,432,400kwh = 0.110 …式(4)
となり…稼働率、実に11%。約9分の1と、今まで取り上げた中でも最低の稼働率である。
無論、上記記事に報じられた数値、上記①及び②だけでは上式(4)の稼働率は計算できない。ひょっとすると広島の一般家庭は岡山の一般家庭よりも消費電力量が大きく、実際の稼働率はもっと高いのかも知れない。とは言え、発電量がお天気任せで制御不可能な太陽光発電では、上記②「発電量は一般家庭約530世帯分に相当」と言うのは殆ど机上の空論である。大容量高効率畜電技術の開発・普及が無い限り、太陽光発電や風力発電などの「自然エネルギー」による発電は、火力及び原子力発電の燃料節約にしかならない。
それはそれで、火力発電の燃料節約は二酸化炭素排出量の削減でもあるから、意味・意義の無い事ではないが、やっぱり太陽光発電と言うのは発電源としては「稼働率1割ちょっと」しか期待できないのである。
〉 帝人広報室は「遊休地を活用し、再生可能エネルギーの普及に貢献していく」と説明している。
と、当該記事は報じている。成るほど「遊休地を活用」「再生可能エネルギーの普及に貢献」と言う目的は果たせそうだが…いったい何のための「再生可能エネルギーの普及」なのかね。
再三繰り返すとおり、「エネルギー政策」の目的は、見通せる将来にわたって「電力の安定供給」だ。これには「安価な電力供給」を含んでいる。
〉 固定価格買い取り制度を活用して全て中国電力に売る計画だ。
と報じられて居るが、この意味するところは、「火力発電や原子力発電の発電単価の約4倍の高価格で中国電力が買い取る」と言う事だ。発電量が制御不可能で出来高である事を別にしても、太陽光発電は「電力の安定供給」に対し、阻害要因たり得ると言う事だ。
と言う事は、太陽光発電の「約1割」にしか過ぎない稼働率と言うのは、ある意味朗報である。尤も、地上にある太陽光発電である限り、稼働率5割を超えることは絶対にないのであるが。
少なくとも、「再生可能エネルギーの普及」は、自己目的化されるべきでもなければ、絶対善視されるべきでもない。それは、せいぜいがエネルギー政策の一手段でしかない
<注釈>