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 「東京新聞が、「どうする核のゴミ」と銘打って社説シリーズを連載している」となれば、碌な事にならないのは、まあ明らかだ。何しろ当ブログでは東京新聞を「脱原発原理主義者」と断定している。単なる「脱原発」ではなく「脱原発原理主義」と断じるのは、選挙結果も経済性も電力安定供給も何もかも吹き飛ばしてひたすら「脱原発」を求めるが故。だから、節電で、脱原発と二酸化炭素排出量削減の同時達成!」なんて馬鹿げたスローガンを堂々社説に掲げて、てんで恥じる処が無い。

 だが、まあ、脱原発原理主義であろうとも、福島原発事故後も原発推進論者を持って任じる私に対する、異説には違いない。それに「連載社説」と言うのは年始のような特別な時期でなければめったにお目にかかれないような大企画。何か飛び出すかもしれない、ひょっとすると私が「脱原発原理主義者に転向」は無理にしても「原発推進論を見直す」位の事は起こる可能性は否定し難い、と(一応)思っていたんだが・・・

 なんだいコリャ?

 転載開始=========================================
 【東京新聞社説】  どうする核のゴミ<1> http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013012802000149.html
 
 .とび色の瞳に、不安がよぎる。
  「それは、知らなかった」
  首都ヘルシンキから北西へ約二百五十キロ。ボスニア湾へ突き出るように、短い橋で本土と結ばれた、オルキルオトは原発の島。隣接するラウマ市で専門学校に通うエウラ・ニエミネンさん(17)は、ふとその目を伏せた。もし島で原発事故が起きたらどうなるか。ほとんど何も知らされず、だから考えることもなく、これまで過ごしてきたという。
  フクシマの事故は知っていた。だが、自分の人生とは無関係だと信じ込んでいた。
  島のオルキルオト原発は、一九七九年に運転を開始した。エウラさんが生まれるずっと前から、風景の一部になっていた。完成すれば、最新鋭の欧州加圧水型炉(EPR)の初号機となる3号機の増設も、4号機の計画も。そして世界初の高レベル放射性廃棄物の最終処分場の建設も、抵抗なく受け入れてきた。深さ約五百メートル。「オンカロ(隠れ家)」という名の巨大な洞窟だ。
  ラウマ市のホテルに勤めるマリカ・キウルさん(60)は、割り切っていた。「仕事さえ与えてくれれば、それでいい」
  原発やオンカロは、人口六千人の地元エウラヨキ町を中心に、一万人の雇用を生み出した。フィンランドには、日本の電源立地交付金のような制度はない。ただし、自治体には不動産税が直接入る。
  原発を動かすTVO社も、オンカロを造るポシバ社も、それらがいかにいいものであるかは、教えてくれた。工期の遅れも知らせてくれた。ところが、それが抱える深刻な危険については、十分に伝えていなかったと、二人は言う。
  古い強固な岩盤に守られて、足もとの揺れることなど想像さえできない人たちに、フクシマは文字通り、別の世界の出来事だった。
  世界中が頭を悩ます核廃棄物の処分地を、フィンランドは、なぜ見つけられたのか。日本はどうするか。読者の皆さんとともに考えたい。 (論説委員・飯尾歩)



 【東京新聞社説】 どうする核のゴミ<2> “共存の歴史”が決めた  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013012902000119.html
     

 2013年1月29日
 
  
  オンカロは、なぜオルキルオト島にあるのだろうか。
  「それは長い物語」と、オンカロを建設するポシバ社コミュニケーション・マネジャーのティモ・セッパラさんは話し始めた。
  一九七九年、オルキルオト原発が運転を開始した。実はこの時、フィンランド政府は、五年間しか運転許可を出していない。その間に使用済み核燃料の最終処分計画を立てなさい。でなければ、許可は更新しない。つまり、運転の継続を認めないという強いメッセージを、電力会社に発していた。
  八三年、処分場選定までの行程表を政府が提示した。二〇一〇年までに、処分場を決めて、建設許可を取るように、と。
  電力会社は当初、核のごみは、海外で処分してもらえばいいと考えていた。もう一つのロビーサ原発は、十年にわたってロシアへ持ち込んだ。
  だが、九四年の原子力法改正で、その道を封じてしまう。使用済み核燃料の輸出入を禁止したのだ。背景には、長い間支配を受けた隣の大国ロシアに対する根強い不信があった。
  原発を運営する二つの電力会社はその翌年、ポシバ社を設立し、処分場建設の体制を整えた。
  電力会社による処分場の候補地探しは、八三年に始まっていた。フィンランド全土を五~十平方キロのブロックに分け、文献などから地質や周辺環境を考慮して百二カ所の調査エリアを決めた。
  ポシバ社が、そのうち五カ所でボーリング調査などを実施して四カ所に。その中で住民が受け入れに好意的だったのがハーシュトホルメンとオルキルオト、つまり原発のある自治体だった。
  九九年、最終的にオルキルオトが残った理由の一つは、オルキルオト原発の方が、廃棄物の排出量が多く、移送費用がかからないから、だったという。
  「原発との共存。それが決め手でした」と、セッパラさんは振り返った。本当にそれでよかったのだろうか。(論説委員・飯尾歩)



 
【東京新聞社説】 どうする核のゴミ<3> 権威が言えば信頼する  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013013002000130.html
      2013年1月30日
  
  核処分場オンカロのあるエウラヨキ町のハッリ・ヒーティオ町長は、口元に笑みを浮かべて言った。「オンカロを受け入れた最大の理由は、責任です」
  エウラヨキには、国内四基の原発のうち二基がある。三基目はすでに原子炉建屋が出来上がり、四基目の計画も進んでいる。町内から出るごみだから、その処理も町内でという姿勢は、一見潔い。
  処分場の候補地として文献調査に応じただけで、莫大(ばくだい)な補償が受けられる日本とは違い、直接の見返りは高率の不動産税だけしかない。それでも、雇用創出効果は高く、エウラヨキは税収の四分の一を原発関連に依存する。
  オンカロを引き受けたから4号機が誘致できたと、町長も認めている。オルキルオトにも原発マネーはめぐっている。やはり、きれいごとではすまされない。
  フィンランドには「原則決定」という制度がある。
  オンカロなど重要な原子力施設を造る時には、事業者からの申請で、政府がまずその計画の是非を判断し、国会の承認を仰ぐ。大筋は、先に決まってしまうのだ。
  自治体には拒否権がある。だが現実には政府の関与で比較的スムーズに事業は進むという。
  原則決定をする時は、独立した規制機関の放射線・原子力安全センター(STUK)が、事業の安全性を判断する。
  一九五八年設立のSTUKは「警察以上に信頼されている」(雇用経済省幹部)という。テロ・バルヨランタ所長は「隠し事がないからです」と言う。
  「STUKが安全だといえば、それを信頼するしかない。一番の権威ですから」と、ヒーティオ町長は笑顔を消して話した。
  信頼できる規制機関があるのはいい。でもどこか、日本とよく似た空気が流れていないか。
  (論説委員・飯尾歩)




  【東京新聞社説】どうする核のゴミ<4> 日本でまねできるのか http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013013102000123.html
     
 2013年1月31日
   
  核のごみを埋めるオンカロ、正しくは「地下特性調査施設」の構造は、単純素朴。オンカロという名前の通り、巨大な洞穴、隠れ家というしかない。
  フィンランドでは使用済み核燃料を再処理せずにキャニスターと呼ばれる筒状の容器に入れて、地下約四百メートルの結晶質岩中に閉じ込める。キャニスターは腐食にも荷重にも強いよう、銅と鋳鉄の二重構造になっている。
  洞穴の坑道をバスで斜めに下っていくと、地下四百二十メートル地点に試掘の横穴がある。そこに五メートル間隔で、深さ八メートルの竪穴が並んでいる。キャニスターを差し込み、粘土で封をするための穴だ。
  洞穴の中には、岩盤に生じた亀裂を示す黄色い線が縦横に引かれている。驚くことに、地下水がしたたり落ちているところもある。
  竪穴は三種類。亀裂がなく、乾いた穴、多少水が染み出ていても何とか埋められそうな穴、水たまりができて使い物にならない穴=写真。水の出方は随分違う。水たまりができるようなところは、実際には使わない。
  地質は古い。十六億年前からほとんど動いていない。オンカロを運営するポシバ社の地質学者、ユルキ・リーマタイネンさんは「この岩盤ができたあとで、欧州とアメリカ大陸が二度くっついて二度離れたよ」と笑っていた。
  大地震の原因になるプレートの境界からもはるかに遠い。フィンランドの住人は、地面の揺れをほとんど感じた記憶がない。
  穴の視察には世界中からやって来る。日本人が最も多いそうだ。だがオンカロを守っているのは、特別な技術というよりも、フィンランド固有の地質である。世界有数の地震国日本では、まねのできないやり方だ。
  日本では二〇〇二年から、地層処分場を引き受ける自治体を公募しているが、適地は恐らく見つからない。
  その国の自然や社会に見合う処分技術、管理手法を工夫すべきだとオンカロは教えているようだ。
  (論説委員・飯尾歩)


 
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