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タイトルにした「平和原理主義」と言うのは、私が今回思いついた造語であるが、世の中にはそんな概念にすでに気づいた人もあり「平和至上主義」とか「平和教」とか呼ばれているようであるし、自ら「平和原理主義」を主張する「反戦団体」まで居る様だ( http://www.hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_8b75.html )。
自分自身を「原理主義」と認めるとは、「私はバカです。何も考えません。」と自ら宣言しているに等しく、言わば人類である事を自ら放棄しているようなものであるが、当ブログが「脱原発原理主義」と断じる東京新聞とて「平和原理主義」と自ら宣して居る訳ではない(※1)。
とは言え・・・「自ら宣言していない」と言うだけ、なんじゃぁなかろうか。
<注釈>
(※1) 「脱原発」の方は、「消費税反対」「オスプレイ反対」共々「義務として言わねばならない事」と宣言しているし、分けても「脱原発」は「社是」だそうだから、実質「脱原発原理主義」を自ら宣言しているとみなせよう。つまりは「自他共に認めるバカ」な訳だ。
転載開始=========================================
【東京社説】邦人輸送見直し 武器緩和は方向が違う
2013年2月4日
政府・与党はアルジェリア人質事件をきっかけに海外からの邦人輸送を定めた自衛隊法改正の検討をしている。邦人救出や武器使用基準の緩和に踏み込むとすれば、議論の方向がずれていないか。
政府は被害者帰国のため航空自衛隊の政府専用機をアルジェリアへ派遣した。自衛隊法で規定された邦人輸送は自衛隊機のほか、自衛隊の艦艇やヘリコプターも使用できるが、いずれも「輸送」であり、「救出」ではない。
政府は関係省庁の局長級による検証委員会を立ち上げ、自民党は自衛隊法の見直しに入った。
たたき台となるのは、自民党が野党だった二〇一〇年、現防衛相の小野寺五典氏らが国会提出した同法改正案だ。
この案では陸上輸送を加え、現行法では正当防衛・緊急避難に限定される武器使用基準を「合理的に必要とされる限度」に緩めて「救出」の色彩を強めている。
当該国にとって、国の玄関である空港や港へ自衛隊を受け入れるのと、内側の領土で自衛隊が活動するのとでは重みがまるで違う。武装した自衛隊が動き回る事態を軍や警察を持つ主権国家が歓迎するはずがない。現にアルジェリア政府は米英の軍事支援の申し出を拒否した。
改正案でさらに問題なのは、任務遂行のための武器使用を認めていることだ。輸送途中で妨害を受けた場合、相手が丸腰でも発砲できるようになる。
自民党は国連平和維持活動(PKO)に派遣された自衛隊が他国部隊を救出する「駆けつけ警護」を認めるべきだと主張しており、ひとたび武器使用基準が緩和されればPKO論議に波及する。海外での武力行使を禁じた憲法九条の解釈変更につながりかねない。
現行法でも自衛隊の保護下に入った邦人や外国人を守るための発砲は認めており、空港や港での活動としては十分といえる。
これまでも政府は紛争地からの帰国や政情不安な国への渡航自粛を呼びかけてきた。今後、求められるのは情報収集力を強化して、危機管理体制を整えることにある。危険が察知できれば、邦人の早期帰国につながる。
米国やロシア、フィリピンなどは事あらば民間航空機をチャーターして、いち早く自国民を帰国させる。学ぶべき手法だろう。情報も土地勘もない外国に武装した自衛隊を送り込む「救出」論議が最優先であるはずがない。
=================================転載完了
改めて、原理主義とは度し難い
さて、如何だろうか。
私が「平和原理主義」なんて「造語」を「思いついた」理由を説明する前に、「平和原理主義」を定義して置こう。「原理主義」の定義からすればほぼ自明かも知れないが、「平和原理主義」とは、「平和主義を金科玉条・不磨の大典として、平和主義の為には大凡ありとあらゆる事を犠牲にするべきと言う主張」と定義出来よう。「平和主義は全てに優先する」からこそ「原理主義」であり、「原理」なのだと、少なくとも私は考えるから、左様に定義した。
その上で、当該社説を以って東京新聞をこの「平和原理主義」ではないかと考えたのは、上掲社説にある通りアルジェリアのテロリストによる日揮社員殺害事件を受けての自衛隊法改正について「武器使用基準緩和に反対」し、「方向が違う」と銘打って「正しい方向」として主張するのが、
① 情報収集力を強化して、危機管理体制を整え、邦人の早期帰国を促す
② 民間航空機をチャーターして、いち早く自国民を帰国させる
この二つしか掲げていない事と、「武器使用基準緩和に反対理由」として、
(1) 当該国が「武装した自衛隊」の活動を拒否する公算
(2) 邦人輸送途中で妨害を受けた場合、丸腰の相手にも発砲出来る事
(3) 武器使用基準緩和が「駆けつ警護」容認につながり、憲法9条の解釈変更につながりかねない。
(4) 現行法でも自衛隊の保護下に入った邦人や外国人を守るための発砲は認めており、空港や港での活動としては十分といえる。
この四点しか挙げていないから、だ。
反論するのも力が抜けるが・・・まず上記反対離理由(1)、コリャなんだ?当該国、邦人を何らかの形で危機に曝している当該国、先頃の日揮事件で言えばアルジェリアが、「武装しない自衛隊の活動を認め、武装した英米軍の活動は認めない」なんて微妙な可能性が、一体どれぐらいあると思っているんだ?アルジェリアが「英米軍の活動を拒否した」のは、「英米軍が武装しているから」なのか?
「武装していない自衛隊」は一寸極言ではあろうが「自衛隊には発砲制限があるから活動を認める」なんて事があろうか?「外国の軍隊が介入する」事に変わりはあるまい。発砲の制限有無なんてのは、些事だ。
上記反対理由(2)はもっと酷い。邦人の生命に危機が迫るからこそ、自衛隊も出張るのだろう。そんな状況下で、邦人輸送を妨害されても「相手は丸腰かも知れないから発砲するな」とは、一体どういう理屈だ。「平和原理主義」ぐらいしかなさそうな気違い沙汰だ。左様な邦人輸送妨害に対しては、強制排除を以って臨むのが当然で、その「強制排除」には威嚇から実効まで含む「発砲」が含まれて当然だ。ああ、「威嚇射撃だけ認める」なんて「妥協案」なら却下だぞ。ハナッから「威嚇射撃しかしない」と判って居る「威嚇射撃」が、威嚇になんぞなるものかよ。
上記反対理由(3)は、金科玉条「憲法9条」の御登場だ。それだけに「原理主義者」に何言っても無駄だろうが、「駆けつけ警護を認める」事と、「憲法9条を遵守する」事と、一体どちらが我が国や我が国民の安全を保障するうえで有用・有効なのかね。憲法9条だの、平和国家の看板だのが、アルジェリアの日揮社員たちを守る上で、屁のツッパリにでもなったかね。
上記反対理由(4)はもっと判らない。現行法のもと、空港や港限定で活動する自衛隊で、どう邦人の安全を保障するのか。
上記反対理由(4)は、当該社説の示す「邦人輸送の正しい方向」即ち上記①~②に通じているのだろう。要は「早く逃げろと警告を発し、空港からの国外脱出手段だけは政府が確保する」としか言っていない。これならば、上記反対理由(4)の通り、「空港や港限定で活動する自衛隊」で事足りる。上記反対理由(3)のような「憲法9条の解釈変更につながりかねない」懼れも回避できる。「平和原理主義者」にとっては願ったりかなったりだろう。
上記①~②「邦人輸送見直しの正しい方向」で事足れるのには、全能とは言わぬまでも全知に近い情報収集組織を我が国が保有し、その判断に従って邦人が危険曝される地域からは民間チャーター機が飛べる比較的安全な時期にいち早く全邦人を脱出させられる事が、完璧とは言わぬまでも相応の確度で見込める事が前提になっている。無論、「全知に近い情報収集能力に従った日本政府の警告」に全邦人が基本的従う事が前提だ。
そんな理想的状態が実現できる、或いは憲法9条墨守や平和主義のために「実現させるべきだ」と、思えてしまうんだから原理主義ってのは改めて度し難い。
上記①情報収集に力を入れる、のも良かろう。上記②民間チャーター機で邦人を脱出させる、のも一つの方法だろう。だがしかし、それだけで邦人の安全を確保できると考えるのは早計どころか白痴に近いし、邦人の安全を確保しようと言うのは実に無責任だ。国防も含めて安全保障と言うものは、「万が一に備える」ものであろうが。
この世は神ならぬ身の人が為す世界。情報収集は全知には程遠いし、民間チャーター機の発着できる空港に全邦人を集結させられるとも限らない。自衛隊法改正で武器使用基準を緩和でき、自衛隊の活動範囲を広げる事で邦人の安全を高められるのならば、自衛隊法改正に躊躇する理由は、殆ど無い。
憲法9条?平和国家?そんなものが、日揮社員10名殺害の際にどれだけ役に立ったと言うんだ?テロリストどもは、邦人を真っ先に狙った可能性さえ、否定し難いのだぞ。
無論、日揮社員10名の殺害は、お気の毒ではあるが「10名の死亡」でしかないから、「小の虫を殺して大の虫を活かす」と言う冷徹な判断・決断はありえよう。だが、当該東京新聞社説が主張するような「武器使用基準の現状維持」は「大の虫を活かし」てすらいないぞ。唯の、「平和原理主義」だ。