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②「素晴らしい決定だ」橋下市長、市教委の体育系2科募集中止を絶賛
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130122/waf13012202110000-n1.htm
2013.1.22 02:09 [体罰問題]
実質は入試続行…批判に市長「看板の掛け替えじゃない。ベストの案だ」
橋下徹大阪市長は21日夜、市立桜宮高の体育系2科(定員120人)の募集中止の決定について、記者団に「市教委が教育的な視点から素晴らしい決定をしてくれた。再生へ向けての改革が始まる」と評価。看板の掛け替えだという批判には「体育科として募集はしないのだから、単なる看板の掛け替えじゃない。ベストの案だ」と述べた。
バスケ部主将、自殺の経過まとめ
桜宮高の教員らが体罰を容認していたことに対しては、「スポーツマンシップを教える現場で、(体罰が違法という)ルールを平然と破っている。これがスポーツを教える体育科で行われていたら、何を教えるというのか。先生の意識改革を徹底してやらなければいけない」と話した。
橋下市長が強硬路線を鮮明化させたのは、自殺した男子生徒の遺族と今月12日に面談した後。両親から「息子の死をきっかけに保護者も意識を改めてほしい」と求められたことを明かし、「間違っているから正す。亡くなられた生徒の前で誓った」と宣言した。
入試の募集中止や同校の教員総入れ替え人事を市教委に要求。慎重姿勢の市教委に予算面での対抗措置までちらつかせた。市に抗議が殺到しても「間違いなら選挙で落とせ」などと意に介さなかった。
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結局「人気取りのパフォーマンス」ではないのか
さて如何だろうか。
簡単にではあるが、上掲記事①以降の経緯を以下にまとめ様。通し番号は前回の(1)~(4)の続きとして、(5)から始めよう。
(5) 大阪市教育委員会は、問題の市立桜宮高の入試について、体育系2科の入試を中断し、その分普通科の定員を増やす決定を下した。別の報道によると、カリキュラムについても体育系に準じた教育にすると言う。
(6) 上記(5)の市教委決定を受けて、橋下市長の曰く
橋1〉 「市教委が教育的な視点から素晴らしい決定をしてくれた。再生へ向けての改革が始まる」と評価。
看板の掛け替えだという批判には
橋2〉 「体育科として募集はしないのだから、単なる看板の掛け替えじゃない。ベストの案だ」と
と、市教委の決定を絶賛したと言う。
さて、上記(5)~(6)からすると、橋下市長言うところ(*1)の「新入生を受け入れる資格はないが、在校生を教育し続ける資格はある、体罰容認体制」と言うのは「市立桜宮高」の内「体育系2科」に限定されるものらしい。
まあ、私には先述の通り「新入生を受け入れる資格はないが、在校生を教育し続ける資格はある」状態と言うのがサッパリ理解できないから、それが私立桜宮高校の体育系2科に特有・固有の状態であるか否か全く判断できないのではあるが、同校体育系を目指していた受験生の内、「新入生を受け入れる資格はないが、在校生を教育し続ける資格はある、体罰容認体制」を知って嫌気がさした者以外は、同校普通科を受験する事になるのだろう。それはそれで「不要な混乱を少なくした」解決策とは言い得そうだが…今後のカリキュラムを体育系に準じたものとするならば、そのカリキュラムや指導する先生もまた「今年は新入生募集を断念した同校体育系二科」に準じたものとなるのではないか。ならない方が不自然だ。
にも拘らず、現時点に於ける「体育系二科入試中断」だけを受けて、上記(6)の通り橋下市長は「手放し」と言ってもいいぐらいの大絶賛だ。上記橋1〉「教育的な視点から素晴らしい決定をしてくれた。」とまで断言している。
私立桜宮高校の普通科と体育系二科とを全く分離して考えるのも不可解ならば、普通科の方が「体罰容認体制とは無縁若しくは無関係」と言うのも理解不能だ。私立桜宮高校の校長ってのは一人で、普通科にも体育系二科にも責任を負っているのではないか。上記の通り判断するためには、「体罰容認体制」が、「校長の知らぬところで体育系二科にのみ蔓延していた」と解釈する他ないが、実際に体罰があったと報じられているバレー部やバスケ部以外にも体育系二科に限って「体罰容認体制」に責任があると言うのは、どういう理屈なのか【Q2】。
さらには、他の報道では、問題のバスケ部が「学校に無届の”寮”を運営し、その件で校長から指導があった」と報じられていたが、上記推論からすると、その「高校非公認“寮”」は「体罰容認体制」とは無縁・無関係と橋下大阪市長は判断したことになるのだが、それは一体どういう理屈で【Q3】、またその「高校非公認“寮”」を知っていた同校校長が「体育系二科限定の体罰容認体制」を「知らなかった」と判断できてしまうのは何故か【Q4】。
以上【Q1】~【Q4】の通り、橋下大阪市長の大阪市立桜宮高校バスケ部自殺事件に対する主張は、実に不可解である。
実に不可解であるが、この不可解さを快刀乱麻の如く立つ一つの解釈がある。即ち、「橋下大阪市長は、人気取りのためのパフォーマンスに市立桜宮高校バスケ部長自殺事件を利用した」と言う解釈。
人の死、それも自殺を「パフォーマンスに利用した」なんてのは、人非人の所業と言うべきであるが、抗議殺到にも拘らず「桜宮高校入試中止」を声高に主張したことも、「入試を許せば大阪の恥」とまで断じた事も、その後の市教委決定「桜宮交体育系二科は入試中止し、普通科の定員を増やし、カリキュラムも工夫する」と言う妥協案にさっさと賛意を表し、しかも「ベストの案」と絶賛した事も、「人気取りのパフォーマンス」と考えれば筋が通る。納得がいく。状況証拠ばかりではあるが、状況証拠は揃って居るとは言えよう。
尚且つ、その「パフォーマンス」は、かつて民主党政権化で千葉景子なる法相(当時)が「死刑制度には反対しつつ、死刑制度に関心を集めるために二人だけ死刑執行した」のと同根の「権力・権限の絶対性に酔い痴れた」様子を感じる。無論、これは私が「感じる」と言う恣意的な基準・評価にしか過ぎない。
だが、先述の「人気取りのためのパフォーマンスに市立桜宮高校バスケ部長自殺事件を利用した」と言う解釈が上掲【Q1】~【Q4】の疑問を美事に「解決」してくれる事には、私の恣意が入る余地はなさそうだ。
他に納得できる解釈があるだろうか。他にあるならば、以下に再掲する上記【Q1】~【Q4】の質問に、明快な答えが出せる筈だ。
如何に、橋下大阪市長。
<注釈>
(*1) 直接左様に主張して居る訳ではないが、他に解釈のしようが無いので、こう断じよう。
橋下大阪市長に対する質問
【Q1】 大阪市立桜宮高校の体育系二科が、「新入生を受け入れる資格が無く」且つ「在校生の教育を続ける資格はある」と言う状態は、どんな状態か。
【Q2】 実際に体罰があったとされるバレー部やバスケ部以外にも体育系二科に限って「体罰容認体制」に責任があると言うのは、どういう理屈なのか。
【Q3】 大阪市立桜宮高校校長がその存在を知っていたとされる「高校非公認“寮”」は「体罰容認体制」とは無縁・無関係と判断したのは何故か。
【Q4】 「高校非公認“寮”」を知っていた同校校長が、「体育系二科限定の体罰容認体制」を「知らなかった」と判断できてしまうのは何故か。