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 大陸は支那にて「南方週末」誌の社説が、中国共産党政権の意向によって差し替えられたと言う事件は、正真正銘掛け値なしの「政府権力による事前検閲」であり、言論弾圧に他ならない。
 であるならば、本来「言論の自由の守護者」であり、「権力と戦う者」である筈のマスコミは、こぞって中国共産党政権批難を始めて然る可きであるが…そうはなって居ない。
 まあ、昔北京から追い出されるのが怖くて中国共産党の提灯記事ばかり書いたり、近くは田母神空幕長更迭の際に「自衛隊員に対する思想・言論統制」を主張してしまうようなマスコミだ(※1)。上記の通りの「本来の姿」なぞ、期待すべきでもないが、それでも以下の三紙は「マスコミの使命」を一定程度果たしては居る様だ。

<注釈>

(※1) 田母神空幕長更迭と民主主義田母神論文を巡る自衛隊に対する思想統制についてーマスコミが、民主主義の危機を引き起こそうとしている怪ー   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/19629370.html

転載開始=========================================

①【朝日社説】中国の検閲―言論の自由とめられぬ  平成25年01月10日(木)
 共産党による一党独裁が続く中国で、言論の自由を求める声が強まっている。

処罰を恐れずに声を上げた記者たちの志や、市民の勇気に心から敬意を表した
い。他方、それを抑えこもうとする中国当局の振る舞いは、強い非難に値する。自由を求める声は弾圧で消せるものではないことを、知るべきである。

発端は、広東省を拠点とする週刊新聞「南方週末」の新年特集号に掲載された記事が、多くの記者が知らぬうちに当局の指示で書き換えられたことだ。

怒った記者らが、もとの文章をインターネットで公開し、当局を批判した。賛同の声がうねりのように広がった。

支援はネット上にとどまらなかった。大勢の市民がこの新聞の本社前に集ま
り、当局に抗議した。デモが厳しく管理されている国で異例だ。

他のメディアにも、連帯する動きが出た。北京の「新京報」は、宣伝部の意向に沿った別の新聞の社説を転載することに、記者たちが抵抗した。

中国では、メディアは党や政府の代弁者と位置づけられている。当局による報道内容への介入は普段から行われてきた。それでも、今回の書き換えは記者たちの我慢の限度を超えたのだろう。

共産党中央の宣伝部は「海外の敵対勢力が介入している」として、引き締めを始めた。南方週末を支援した活動家が「国家政権転覆扇動罪」の疑いで拘束されたとの情報もある。

経済成長のかげで貧富の格差が急速に広がり、市民の間で不公平感は大きく膨らんでいる。共産党には、報道を統制しないと政権の足元が揺らぎかねないとの不安がある。

だが、短期的に引き締めの効果が出たとしても、ネットの発達で情報の量は激増し、自由な言論への欲求が強まることは押しとどめられまい。

習近平(シーチンピン)総書記は就任直後の12月に広東省を訪れ、改革開放に力を入れる姿勢を打ち出した。過度な接待を戒め、会議の簡素化を呼びかけるなど、党の体質を変えるよう求めてもいる。

「中国の夢 憲政の夢」。それが、南方週末の書き換え前の記事の題だった。

人治が横行し、法がおろそかにされがちな現状への批判と受け止められたよう
だ。だが憲法の重視も、習氏自身が強調していたことではないか。

今回の事態は、党の生き残りをかけて変化を訴える習氏の言動が本物なのか、うわべだけなのかを問いかけている。





②【東京社説】中国紙改ざん メディア 党の舌なのか

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013010902000134.html
2013年1月9日

中国の週刊紙「南方週末」の記事差し替えに、記者たちが抗議デモに踏み切ったのは勇気ある行動だ。当局は安定を最優先に抑え込みに躍起だが、言論の自由の尊重こそが中国のためではないか。

掲載しようとしたのは憲法に基づく民主政治を訴える内容だという。それが、習近平総書記が唱える「中華民族の偉大な復興の夢」が柱の記事に差し替えられた。

中国の憲法は、公民に言論や出版の自由を認めている。だが、こうした記事改ざんと批判されても仕方のない事態が起こるのは、党中央宣伝部が新聞や出版などを検閲し、統制しているからだ。

党の指導が憲法よりも優先するのが現状である。それでは、言論や個人の自由はないに等しい。

メディア管理の総責任者である劉雲山・党政治局常務委員は、北京での会議で
「メディアは党と政府の声をきちんと伝えないといけない」と、指示したという。

メディアを「党の喉と舌」である宣伝機関とする共産党の伝統的な考えであろ
う。そして、メディア統制の最大の目的は、社会の安定であるという。

だが、党や政府に都合の悪いニュースを伏せ、国営新華社通信の管制情報を各メディアが一斉に使うよう求めるような態度は、健全な国民の判断力を侮るものである。それでは、真の民主社会の進展は望めない。

党中央機関紙の人民日報はじめ党報と呼ばれる新聞に対し、愛読者が増えているのは一般の商業紙などである。なぜなら、汚職腐敗などの調査報道に強く、改革志向だからだ。南方週末もそうした自由な編集方針の週刊紙である。

言論や報道の自由が、民衆の利益を守るということに、多くの人たちが気づき始めているのだ。

ネット社会でもある。「網民」と呼ぶネット利用者は五億人近いという。堅固な検閲システムをくぐり抜け、当局の隠したい情報が一気に広がる社会でもある。

二〇〇三年に北京大助教授の「中央宣伝部を討伐せよ」という論文がネットで広がった。メディア統制の闇を暴き、海外で出版されたが、中国では禁書だ。

論文は「(前略)いずれも、この母国で自由に生活し、自由に表現し、自由に話す権利を持っている」と指摘していた。

言論を封殺するのではなく、その自由を尊重してこそ、真の大国への第一歩であろう。そうした選択が実は中国のためでもある。





③【産経社説】【主張】中国の報道統制 「異様な社会」を直視せよ
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130110/chn13011003130001-n1.htm
2013.1.10 03:13 [主張]
中国広東省の週刊紙「南方週末」の年頭社説が、当局の指示で中国共産党賛美の内容にすり替えられた。

国内で抗議の声が上がり、同紙記者をはじめ大学教授、作家らが省党委宣伝部トップの辞任と謝罪を求めている。だが、中国当局は共産党機関紙、人民日報系の環球時報の社説を通じ、体制に歯向かう報道機関は「必ず敗者となる」と威圧で応じた。

中国憲法では「言論や集会・結社の自由」がうたわれている。それは空文にすぎず、実体を伴わないことが改めてさらけだされた。共産党一党独裁下では当然の帰結だが、こうした異様なやり方がまかり通っていることを日本は直視しなければならない。

米国務省報道官は「報道機関の検閲は、近代的な情報社会を築こうという中国の願望と相いれない」と指摘した。国際ジャーナリスト連盟も実態調査を要求した。中国当局は、これらの抗議に耳を傾けるべきだ。

中国の独りよがりの姿勢は枚挙にいとまがない。ノーベル平和賞を受けた民主活動家、劉暁波氏は国家政権転覆扇動罪で授賞式への出席が認められず、現在も服役中だ。「盲目の人権活動家」として知られる陳光誠氏は、家族とともに渡米した。一党独裁堅持のため思想も言論も弾圧する姿勢は、どれほどの大国となっても世界から尊敬されないだろう。
南方週末の最初の原稿は「中国の夢、憲政の夢」と題し、腐敗対策として法治の重要性を訴えるものだったという。だが、すり替えられた社説からは憲政や民主、自由、平等などの表現が消え、「中華民族の偉大な復興実現」という習近平総書記の発言に極めて近い内容となっていた。

反日デモへの参加者に理性的な行動を求めていたが、この部分も削除されたという。

記者らの抗議声明では、同紙で書き換えさせられたり、掲載が認められなかったりした記事は昨年1年間で1034本に上った。事実なら、あきれるしかない。

中国共産党はあくまで言論統制を貫く構えだ。だが社説すり替えへの強い反発は、中国国内でも言論の自由への欲求が強くなったことを見せつけている。習新体制は、報道統制も官僚の腐敗や格差拡大などと並んで国民の大きな不満要因と思い知るべきだ。


=================================転載完了

貴紙の新聞屋魂とは、その程度かね


 さて、如何だろうか。

 新ためてリストアップすると、南方週末紙社説差し替えを社説で取り上げたの
は、今の処上掲の通り以下の三紙のようだ。

①【朝日新聞】中国の検閲―言論の自由とめられぬ

②【東京新聞】中国紙改ざん メディア 党の舌なのか

③【産経新聞】中国の報道統制 「異様な社会」を直視せよ


 各紙社説タイトルだけでは明確ではないが、本記事タイトルに「朝日&東京vs産経」と銘打った通り、論調はいつもの通り「朝日グループ(今回は東京と朝日)」と「産経グループ(今回は産経のみ)」に分かれた。
「朝日グループ」の方が主として中国共産党政権に対して、言論の自由を認めるように、批難と言うより諫言ないし忠告する論調であるのに対し、産経は正にその「中国共産党政権は言論の自由を認めない」事を取り上げ、「異常な社会」と批難すると共に、そんな「中国の異常性」を認識せよと、日本及び日本人に訴えている。
  ニュアンスは大いに異なるが、三紙とも「中国に言論の自由を求める」点では一致しており、その意味では先述の通り「言論の自由の守護者と言うマスコミ本来の役割」を一定程度果たしている、と言い得よう。如何に東京新聞社説のタイトルが「メディア 党の舌なのか」などと一見大間抜けなモノ(※1)であろうとも。
  無論、社説に取り上げない他の新聞も、この「南方週末社説差し替え」事件を報じては居るのだろう。社説として取り上げていないだけであるし、社説にこの世の森羅万象を取り上げる訳には行くまい(※2)。 だが、社説とは「新聞社の主張」であるとは衆目の一致する処。 而して「南方週末」誌事件は、常態化して久しいとはいえ新ためて顕在化した「中国共産党政権による言論の自由弾圧/言論封止」だ。
  であるならば、章題にした通り、問わねばなるまい。 
 「貴紙の新聞屋魂とは、その程度かね?」と。 

 「私は一介の主婦ですけれど、そう言ったお話は新聞には載りませんのね。」 
 「新聞に載らない話は沢山あるんですよ。」―映画「グリーン・ベレー」―

 <注釈> 

 (※1) 上掲②社説の中で東京新聞自身が書いている通り、「報道機関は党の口舌=党の宣伝機関」と言うのは、共産党に伝統的な考え方である。 
 (※2) 沖縄二紙なんざぁ、オスプレイの嘉手納配備計画で手一杯の様子だ。