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 「朝雲」と言うのは、かつて防衛庁御用達の「防衛庁紙」と言うか「自衛隊紙」と言うか、防衛庁職員と自衛隊員相手の「身内の新聞」とも言うべき一種の「官報・国営新聞」だったのだそうだ。それが今は民営化して、刊行も週刊となって「新聞・朝雲」と呼称される事もままあるが、実際は「週刊・朝雲」となって久しいそうだ。民営になって週刊になったとは言え、元は「軍御用達の新聞」だっただけに、自衛隊や防衛省に対する姿勢は好意的(※1)である。
 だが、「自衛隊に好意的」ばかりが「朝雲」の特徴ではない。週刊であり、新聞の1/7の発刊ペースである分を差し引いても、そのコラムは結構読み応えがある事が多い。


<注釈>

(※1) ってぇよりは、一般のマスコミ、メディアの自衛隊に対する故なき憎悪・嫌悪が酷い、ってのが真実に近そうだが。 



転載開始=========================================

朝雲寸言2012/12/20付

 敗戦の日の8月15日、尖閣諸島の魚釣島に自称香港の活動家らが上陸した。簡単に上陸を許した政府の対応に、国内では賛否が分かれたが、中国政府の受け止め方は少し違っていたという。
「なんで日本政府は上陸させたんだ」――。活動家らは上陸した途端に、待ち構えていた沖縄県警に逮捕されたが、その場面がネットで繰り返し流される事態に、中国は頭を抱えたという。尖閣を実効支配していないことが、人民に露見してしまったからだ。
何とか攻勢に転じる機会を伺っていた中国政府だが、その時は意外に早く訪れる。日本の尖閣国有化だ。しかも、中国にとって抗日記念日(9月18日)直前という絶好のタイミングだ。
これを境に、尖閣諸島を巡る日中のせめぎ合いがはじまった。海監や漁政といった政府公船を繰り出し、領海侵犯を繰り返す中国。その後の3か月間で、延べ50隻余りが日本の領海を侵犯し、今も海保による必死の警備活動が続く。
さらに、中国が主張する南京大虐殺から75年目の12月13日、中国当局の航空機が約30分にわたって魚釣島南方の領空に侵入し続けた。中国機の領空侵犯は戦後初めてで、中国はせめぎ合いの場を、領海から領空へと一段強化させた。
尖閣を巡る対立は年を越す。この勝負、どちらが先にミスを犯し、相手に実効支配の口実を与えてしまうかがカギだ。領空侵犯という中国の策略に対し、日本はどんな妙手を打つのだろうか。


=================================転載完了

真偽のほどは不明だが、解釈として美事だ

 さて、如何だろうか。

 上掲の通り、週刊ペースの「朝雲」のコラム「朝雲寸言」とは言え、昨年12/20付のコラムだから、些か古い。些か古いが…今更ながらでも再掲再読する価値がある、と私は考えた訳だが、如何だろうか。

 短いコラムだが、敢えて要約すると以下の様になろう。

 (1) 昨年8/15に中国人活動家が我が尖閣諸島に上陸した際、我が海上保安庁は「上陸後に逮捕」で対処した。

 (2) 上記(1)の海保庁対応により、「尖閣諸島は日本の実効支配下にある」事が、広く支那でも知られるようになった。

 (3) 上記(2)に中国共産党政権は慌てた。「尖閣諸島は日本の中国共産党政権の支配下にない」事が広く人民に知られてしまったから。

 (4) 上記(2)に慌てた中国共産党政権は、その後の「日本政府による尖閣諸島国有化」を奇禍とし、これを口実に反日暴動を煽り、我が領海領空を犯し、我が国の船殻実効支配を弱化させようとしている。

 無論、上記(1)と(4)は広く知られている事象であり、たとえ「朝雲」であろうとも、また昨年12月末の時点であろうとも、今更指摘を受けるまでもない事。上掲コラムの白眉は、上記(2)~(3)、なかんずく上記(3)と言う「解釈」である。無論、これは一つの解釈にしか過ぎず、いわば「朝雲仮説(※1)」とでも言うべきモノ。その真偽のほどを判定する材料は、私なんぞは持ち合わせていない(※2)。

 だが、ありそうな話、納得できる説。

 それは即ち「私(ZERO)の聞きたい情報」であり「耳に心地よい話」と言う事であ
り、それだけに評価は慎重にせねばならないし、警戒しなければならないが。

 一方で「朝雲」は、ソリャ私(ZERO)個人なんかより遥かに情報収集能力が高い筈だが(※3)、上掲コラムは「得られた正しい情報に基づくもの」ではなく、コラムニストの個人的見解=「解釈」で書いている可能性はあるし、またそれは、コラムであるが故に許容される話でもあろう。

 而して、上掲コラムに現れた「朝雲寸言」の、私には大いに納得のいく「解釈/仮説」に従うならば、最早「日中友好」などと言う事態は、中国共産党政権が尖閣諸島に対する領土的野心を放棄しない限り、ありえないし、あり得る可きでもない、と言う事だ。「日中友好」は40年の節目で切り良く完了し、「日中冷戦」が始まった、と考えるべきなのだ。

 理由は明白であろう。上掲コラムの上記(3)の通り「慌てた」中国共産党政権が尖閣諸島に対する領土的野心を放棄しない限り、共産党は「尖閣に対する実効支配を確立」するまで上記(4)の「攻勢」を止めない/止められない。対する我が方は、尖閣諸島の実効支配を寸毫と言えども譲る理由もなければ道理もない。従って、日中「衝突」は、それがどのような形であれ、不可避である(※4)。

 であるならば、その日中「衝突」は軍事的衝突による「日中熱戦」ではなく、「日中冷戦」の形を取らせるべきだろう。逆に言えば、「日中熱戦」の方は「局地的国境紛争」になんて矮小化すべきではなく、日中全面戦争、ひいては米中全面核戦争に至る可能性を、少なくとも確保して置くべきだろう(※5)。

 何度も繰り返している処だが…Parabellum! 戦いに備えよ。

 日中開戦に備えよ。中国に対し、戦争で勝つ準備を進めよ。何より先ず、戦争の覚悟を固めよ。

 戦争を覚悟し、その準備を固めるならば、日中戦争は回避できる可能性がある。

 だが、戦争を忌避し、準備を怠るならば、日中戦争は生起するだろう。或いは、もっと悪い事に、戦争さえ生起することなく、尖閣諸島以上のものを失う事になろう。

 繰り返す。Parabellum! 戦いに備えよ。

<注釈>

(※1) と言うのは、ちょっと「朝雲」を誉めすぎかとも思うが…他所じゃぁこんな解釈、聞いた/読んだことが無いものでね。無論それは、私(ZERO)の情報収集能力の低さを示している、かも知れないのだが。 

(※2) 残念ながら私は、中国共産党の首脳部に潜り込ませた信用できるスパイ、なんて便利な情報源はない。 

(※3) それを言うならば、賭けても良いが世上の全てのマスコミ記者諸君は、私(ZERO)個人なんぞより遥かに大量の情報を収集できる立場にある筈だ。
 だがそれは、少なくとも「自動的に私(ZERO)個人なんぞよりマスコミ記者の方が正しい」事を意味しない。 

(※4) この結論を回避するため、言い換えれば「日中友好」と言う共同幻想のために上記「朝雲仮説」は報じられなかった/論じられなかった可能性がある。
 だとしたら、我が国の対中国「自主」検閲は、中国共産党政権による検閲よりも遥かに徹底的で完璧だな。無論これは、誉め言葉ではない。 

(※5) 忘れちゃぁいけないな。非核三原則の前提条件は、「日中再戦の場合、米国が中国を先制核攻撃してくれる事」だったんだ。
 而して我が国は、未だ非核三原則を標榜している。と言う事は、その前提条件は、当時密約の中にあったとはいえ、未だ「有効と意思表示し続けている」と、言い得よう。