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AFP通信が報じるのは、今次衆院選挙結果「自民党地滑り的勝利」と「(未だ)脱原発を支持する者たち」の乖離と解説。「溶け去った日本の脱原発票」と言う当該記事タイトルが、「脱原発を掲げて勝てた党が皆無に近い(*1)」今次衆院選挙結果=「脱原発支持者にとっての惨状(*2)」を端的に表している。
当該記事は基本的に日本の新聞報道とインタビューで構成されており、所謂「街の声」報道に近い。が、その情報源は存外限られており、発言共々整理すると、以下の様になる。
<注釈>
(*1) 「原発ゼロ」を掲げて議席数を伸ばした公明党があるから、「皆無に近い」であっても、「皆無」ではない。とは言え公明党の「勝利」は、低投票率によるものじゃぁなかろうか。仮に公明党が「原発推進」を掲げていたとしても、この低投票率では、大敗はしなかったろう。
(*2) 無論、福島原発事故を経てなお原発推進論者である私からすると、これはまさしく朗報であるが。
①朝日新聞
(1) 原発以外の他の争点の方が重視されたことを問題点として指摘している。
(2) 有権者は日本の景気低迷、巨額の公共負債、不安定な雇用情勢、中国との外交摩擦などにいらだち、与党・民主党による政策の失敗を罰するすべを探していたというのだ。
(3) 政党乱立により票が分散し、脱原発票がほぼ完全に中和されたと分析している。
(4) 投票した有権者の78%が、原発の即時廃止か段階的廃止を希望していたが、こうした人々の票は自民党以外の4政党に分かれ、さらには自民党にも票が流れたという。
(5) 「自民以外の各政党は濃淡こそあっても脱原発を掲げているため、原発ゼロ票は分散」した
②「原子力資料情報室(CNIC)」の伴英幸共同代表
(1) 「大きな方向ではなく、具体的にいつ、どう(原発を)止めるかという議論になった」ことが問題だったと語る。
(2) 「脱原発を目指すという基本的な事で一致するのが良かったのだけれど。」
(3)(3) 「党は党の存続をかけて、差別化することが必要であった。これはしょうがなかったのかもしれない」
(4) 活動家らは希望を失っていないという。新政権が原発の再稼働を始めれば、脱原発運動の機運が再び高まると考えているのだ。
(5) 「脱原発の主張と、再生可能エネルギー、省エネ、これが気持ち的にも人々のなかでリンクしている」「もとに戻ることは無いでしょう」
③専門家(の一部)
(1) 多数の政党が乱立したことで有権者は混乱し、自民党を主とする馴染みのある名前や顔に投票することにしたのだと指摘する声もある。
④国際環境保護団体グリーンピース(Greenpeace)日本事務所エネルギー・核問題担当、鈴木かず
(1) 「今回、連日すべての新聞で『自民が勝つ』と世論調査がでていた」と指摘。
(2) 59.32%という記録的な低投票率も脱原発派には有利に働かなかったと付け加えた。
⑤上智大学の中野晃一
(1) シングルイシューの候補者は当選しにくいと分析する。
(2) 日本の政治文化は、組織化された支持層を持つ既存政党の候補者を好むため、無所属候補には厳しい選挙戦となる傾向があるという。
国民は目覚めたか?
さて、如何だろうか。
情報源として①~⑤の五者。発言項目は数え方が恣意的かも知れないが総計15項目で、トップは①朝日新聞と②伴英夫CNIC代表の5項目だ。なんだ、3分の1は朝日新聞の流用じゃないか。流石はAFP通信、と言うべきか。
とは言え、同率トップの上記①、②を除く③~⑤は、大したことを言っていない。③と
⑤(2)は「馴染みの党に投票した」としか言っていないし、⑤(1)は「シングルイシュー候補は当選しにくい」としか言っていない。どちらも脱原発/原発推進と言う主張と直接の関係が無い。その上「馴染みの」民主党、社民党とも「脱原発」を掲げて敗北しているのだから③と⑤(2)は的外れだし、⑤(1)は「脱原発支持党の多くは、自らシングルイシュー候補となる事を選択した」のであるから、自業自得であろう。脱原発候補の敗因分析ではあるが、脱原発支持者の反省材料ではない。
④(1)は選挙報道の在り方に対する問題提起だが、その問題は今次衆院選挙に限ったものではない。そもそも「少なくとも脱原発支持政党ではない」自民党が「今次衆院選挙に勝ちそう」だから左様報道されたのだ。その報道が捏造や虚偽だったと言うなら兎も角、「勝ちそうと報じられたから勝った」と言うのは、負け犬の遠吠え以上の何かであろうか。
④(2)「低投票率も脱原発派には有利に働かなかった」なんざぁ論外だ。ソリャ事実の追認ではあろうが、せいぜいが恨み節・繰り言。「投票率が高ければ、脱原発はに有利に働いた」とでも主張する気だろうか。仮に投票率100%なっても、期待できる事は「現実よりも脱原発派議員が増えた公算あり」でしかなかろうに。
ならば、上記①朝日新聞はと言うと、これも大したことない。①(2)は「民主党政権に対する懲罰」だが、それは「民主党の壊滅的敗北」しか説明しない。「馴染みの党かつ脱原発」の一方の雄・民主党の敗因ではあるから、③及び⑤(2)と併せると「公明党の勝因」と言い得そうであるが…「脱原発支持党のほぼ壊滅」を全く説明していないだろう。
①(3)~(5)は、「脱原発票の分散」と要約出来る。これは上記②(1)~(3)の要約でもあるから、「脱原発支持者の一致してた意見」でありそうだ。が、これも「脱原発支持党のほぼ壊滅」を説明していない。仮に「脱原発統一党」と言うものが結成されるナリ(*1)、「脱原発支持政党間の選挙協力」が為されるナリしたとしても、「現実よりも脱原発派議員が増えた公算あり」ではあっても「脱原発派の勝利」となるなど、想像する事すら難しい。まあ、脱原発原理主義者なら、そんな想像もできるのかも知れないが、ソリャ空想妄想だろう。
①(1)の脱原発原理主義ぶりも凄まじい。「原発以外の他の争点の方が重視されたことを問題点として指摘」と言うのだから、「今次衆院選挙の争点は原発に限る可きだった」と言う主張。これは上記⑤(1)「シングルイシュー候補は当選しにくい」とは相いれない考え方であるか…もっと酷い事に、選挙民・有権者・国民に「争点は原発に限る可き」と要求しているようにも見える。もしそうなら、ソリャある種の(*2)思想統制であろうが。
以上からすると、上記①~⑤の五者とも、「溶け去った日本の脱原発票」の敗因分析をロクに行っていない。それ即ち、次に予定されている参院選挙でもやはり「脱原発派は敗北するだろう」と言う事だ。無論、斯様な事態は「福島原発事故を経てなお原発推進論者」である私にとっては朗報であり、喜ばしい事態ではある。
が、脱原発支持者の内脱原発原理主義者にとっては、今次衆院選挙に於ける「脱原発支持政党の敗因」何ぞには関心が無いのだろう。何しろ「脱原発」は「至上至高至尊の原理」であるから、負けるはずがなく、負ける理由もない。従って「敗因分析」なんぞ不要だ。上掲記事で言えば②(2)や②(5)にその無反省ぶりが見て取れる。まあ、先述の通り「脱原発派の無反省ぶり」は私にとって朗報以外の何物でもないが。
挙句の果てに、②(4)に至っては、大笑いだ。脱原発運動の再びの盛り上がりを、原発再稼働に期待するとは、脱原発活動家自身が原発再稼働を容認どころか歓迎していると言う、自白に他ならない。これは脱原発運動の低迷がそこまでせっぱ詰り追いつめられているか…ハナッから「稼働中の原発による危険」よりも「反原発運動の盛り上がり」の方を重視していたと言う事。正真正銘掛け値なしの脱原発原理主義=脱原発の自己目的化の顕在化だ。何しろ「実際の原発による危険・リスク」よりも「脱原発運動盛り上がり」の方を優先するんだから。
而して…今次衆院選挙結果「脱原発支持政党の壊滅」に、私は上記①(1)にも通じるがそれ以上の「希望」を見出している。それ即ち、章題にもした「国民の覚醒」である。福島原発事故を経て、放射能ヒステリーや反原発アレルギーに陥った国民が、再び正気を取り戻し、私のような「原発推進」とは言わぬまでも「原発容認」ぐらいにまで「目覚めた」のではなかろうか、と言う期待。
上記①(4)「 投票した有権者の78%が、原発の即時廃止か段階的廃止を希望していた」 と言う朝日新聞の主張は、この私の希望に相反するものだし、上記②(5)「脱原発の主張と、再生可能エネルギー、省エネ、これが気持ち的にも人々のなかでリンクしている」「もとに戻ることは無いでしょう」 と言うCINC代表の科白もまた然り。つまり私の希望と朝日新聞およびCNICの主張は真っ向から対立しており、その争点は今後予想/予定される原発再稼働や、来年の参院選挙を通じて実証される筈である。
なんとも楽しみな事だ。
三年前の衆院選挙結果=民主党大勝=政権交代=民主党政権成立の際に、私は我が国の民主主義に対し絶望しかけた(*3)。
その私が、今次衆院選挙結果を受けて、次の参院選挙を「楽しみ」と思えるようになったのだから、この世は巡る糸車にて、万物は流転し、ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水に非ず。人間、長生きはするもんだねぇ(*4)。
<注釈>
(*1) 結成一ヶ月で分裂に至った「未来の党」が、そうなることを期待された時期もあるようだが。(*2) それも、実に恐るべき(*4) いや未だ言うほどには「長生き」しては居ないが。