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「女子と小人とは養い難し」とタイトルにしたのは論語の言葉。「女性と徳の無い人物は始末に悪い」と言う意味だから、現代ならば「セクハラでパワハラ」とか「性差別的」とか言われかねない諺だが、大陸は支那の故事なんだから「現代的でない」のは当たり前で、「現代的」だったり「先進的」だったりしたらそれこそ驚きだ。大体、論語だの儒家だの言う思想は凄まじいまでの懐古主義・尚古主義で、堯・瞬帝なんて「神代の昔」を理想的時代としているんだから、古くて当然、新しいのは「異端」(*1)。「女性」と「徳の無い人物」が同等に扱われて「始末に悪い」と断じられてしまうのも、異とするには足りない。

 言い換えれば、「女子と小人とは養い難し」と言う言葉の適否は、論語にあるとかないとかではなく、実際の「女子」や「小人」の言動・論説によって判断されるべきだろう、と言う事。「女子」や「小人」が「女子」や「小人」である事だけで批難されれば「パワハラ」とも「性差別」ともなりえようが、その言動・論説を以ってなされる批難は、天地俯仰に恥じるところが無かろう。

 で、態々タイトルに掲げた以上、私はこの「論語の言葉」が、正しいんじゃないかと(*2)、主張したい訳だ。

 先ずは、そんな「性差別的な」論語を想起させてくれた東京新聞コラムを、御一読願おうか。



<注釈>

(*1) それを言うなら、原始社会を「原始共産制」なんて称える(一部)共産主義者も相通じるものがあるな。まあ、「過去の世界に理想像を見出す」と言うのは、キリスト教(エデンの園)やギリシャ神話(黄金の時代)にも見出せる一つの類型・パターンではあるが。

(*2) 性差別主義者と言う非難される危険覚悟で


転載開始=========================================

【私説・論説室から】 おばちゃんの逆襲
2012年12月19日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012121902000128.html

 各党の政策で最も合点がいったのは「全日本おばちゃん党」の「はっさく」だ。維新八策ではない。

オッサン政治に反発して大阪のおばちゃんが中心となりネット上につくった市民団体である。

その「はっさく」。一番目の政策は「うちの子もよその子も戦争には出さん!」。

護憲とは言わない。もっと心のど真ん中な訴え。これは国民が政治に求める最大の要求だろう。二児の父親としては思わず「そういうこっちゃ」と慣れない関西弁?で頷(うなず)いてしまった。

尖閣諸島問題への勇ましい主張を聞いて、オッサンなんぞに任せられないという危機感がひしひしと伝わってくる。

「子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや」と社会保障改革も掲げる。目指すは支え合い社会。育児や介護に日々直面している実感がある。

原発事故で放射能汚染に敏感に反応したのは、「子どもを守りたい」と切実に感
じた女性たちだ。「はっさく」も「核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びさせ
たくないからや」と共鳴する。

政治に当事者意識を持ち始めたおばちゃんの思いは、社会の根っこに確実に広がる民意だろう。空中戦好きでどこかふわふわしたオッサンの主張より腹が据わっているようにみえる。

選挙は終わったが、本当の第三極はおばちゃんだったりしないか。 (鈴木穣)


=================================転載完了

コラムとは言え酷いもんだ


 さて、如何だろうか。

 念のために再度強調したいが、上掲は東京新聞のコラムである。コラムと言うのは社説なんかと違って、「新聞社としての公式見解」ではなく、「新聞記者の個人的意見」と言う側面がある。だから、ロイター紙のコラムなどは、

〉 筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

などと、たばこの箱の注意書きみたいな注釈が文末に付く。要はこの文書の最終的責任者は、コラムニスト自身にあって、新聞社にはない。(*1)と言う宣言なのだろう。それはそれで構わない。世の中、「公式発表」ばかりでは「腹を割った話」にならない事もままあるし、新聞にだって娯楽・エンターテイメントは必要だろう。東京新聞コラムが娯楽を目指して「新聞社にあるまじき」主張を為したとて、それ自身は「最終的に新聞社の責任ではない」。

 然り。

 なれど、新聞記者が署名記事としてコラムを公表している以上、それは記者自陣に対する非難・論難の材料とされる覚悟はある筈だろう。従って、以下の私の批難は、「東京新聞自身」を直撃するものではないが、当該コラムを書いた鈴木 穣記者に対するものではある。

 で、上掲東京新聞コラムが絶賛するのは「全日本おばちゃん党」である。ソリャ今次衆院選挙は、「国民の生活が第一」党なんて嘘のような名前の政党が「未来の党」に化けて、しかも全く先の見通せない公約を掲げる(*2)なんて現象まで起きている。そうでなくても有象無象の「脱原発」政党が乱立した選挙であるから「おばちゃん党」だろうが「オジサン党」であろうが、何でもありだろう。

 無論、問題なのは党名・党首・看板ではなく、何を主張して居るかと言う「中身」なのであるが、その中身「はっさく」と来たら、以下の通り。( http://mainichi.jp/feature/news/20121205ddm013040013000c.html より)

 
 【その1】うちの子もよその子も戦争には出さん!

 【その2】税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うなら、ケチらへんわ。

【その3】地震や津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったら許さへんで!

【その4】将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びさせたくないからや。

【その5】子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや。

【その6】働くもんを大切にしいや! 働きたい人にはあんじょう(いい具合に)してやって。

【その7】力の弱いもん、声が小さいもんが大切にされる社会がええねん。

【その8】だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!


 まず、読者諸兄に問おうではないか。上掲「はっさく」は、東京新聞コラムの激賞するように「社会の根っこに確実に広がる民意」で「腹が据わっているようにみえる」だろうか。東京新聞コラムは、上掲の通り、そう断言し、当該「はっさく」を絶賛しているのだが。

 「予想以上に酷い」と言うのが私の率直な感想だ。東京新聞のお気に入りで、上掲記事に取り上げられた「さく」も酷かったが、それ以外はそれ以下だ。何より【その1】から【その8】と八項目にわたって殆ど具体的な「策」になっていない。例えば【その6】【その7】なんて具体的にどんなことをすべきなのか全く見当がつかない、唯のスローガンでしかない。それは「民意」であり「有権者の願望」とは辛うじて言い得るかも知れない(*3)が、何をどう考えたら「腹が据わっている」なんて評価できるのか、私にはサッパリ判らない。

 東京新聞コラムも取り上げた【その1】にしても、これは徴兵忌避とか、PKO派遣拒否とか一応解釈が付くが、戦争と言うもの、殊に第1次大戦や第2次大戦のような「総力戦」を全く知らないか、舐めているとしか思われない。「うちの子」も「よその子」も根こそぎ動員する/動員されるのが総力戦。そんな総力戦は第2次大戦以降久しくないが、「二度とない」なんて誰にも保証できないし、そうなったときに動員しない/動員拒否なんてのは、敗戦亡国の選択でしかない。「総力戦にならないようにする」と言うのは一つの解釈だが、「総力戦にも備える」からこそ国防だ(*4)。
 ひょっとすると、「国防そのものが不要だ」と言う主張かも知れない。上掲【その1】にはそんな解釈もあり得よう。が…なるほど「女子」だな。少なくとも「養い難い」。

 上掲東京新聞コラムが全日本おばちゃん党を絶賛するのは、上記【その4】のゆえであろうと推察できる。なるほど【その4】脱原発の主張と読める(*5)し、上掲「はっさく」の中では最も具体的な「さく」かも知れない。だが、少なくともつい最近までその「核のごみ」の恩恵でふんだんな電力を享受して置いて、今頃「放射能を子どもに浴びさせたくないから」脱原発と言うのは、随分虫のよい話で、「恩知らず」と評するべきだろう。
 「脱原発」を主張しつつ、その代替電力について一切触れないのは、脱原発原理主義の本領発揮であり、東京新聞からすると「同志」ということなのだろう。それでも「脱原発」と具体的に解釈できるだけマシだ。

 【その5】も酷い。言うだけならタダだ。「仕組みを作れ」と言い、その「仕組み」の成果だけ指定する。「方法は任す」とも言い得ようが、これは曲がりなりにも「党」が掲げる「さく」なのであろう。方法を示さんで、なんとするモノか。
 希望・願望だけでも「民意」とは言い得よう(*6)。だが、政治家が実施できるのは政策だけで、政治家は魔法使いではない。

 以上からすると、「全日本おばちゃん党」の「はっさく」は、「はっさく」というよりは「ださく」ないし「ふさく」であろう。

 「女子と小人は養い難し」論語に登場する古語が「言い得て妙」と思わせてくれるのが、「全日本おばちゃん党」であり、東京新聞コラム・鈴木 穣記者である。無論、「女子」が「全日本おばちゃん党」であり、それを絶賛してやまない「小人」が鈴木 穣記者である。


<注釈>


(*1) 「新聞社は一切関知しないからその心算で。尚、このコラムは、自動的に消滅する。」とは言わない。それに近い事はまま有るが。

(*2) 「未来の党」は「現在の党」たり得るか

(*3) そうは言っても、それは「ふわっと」どころか「ぼやっと」しかしていないので、政治家としてどんな政策でそれを実現するのか、サッパリ判らない、示されていない。「必ず幸せにします」では、プロポーズの言葉としてはそれで良くても、公約にはなるまい。

(*4) そういう意味での国防体制が我が国に出来上がって居ないと言うのは私も同意する。だが、正にそれ故にこそ、そうした事態への対処が必要だ、と主張する。

(*5) 別の読み方として、「震災ガレキ処理拒否」の主張とも読める。だとしたら、人非人の主張であるが。 震災がれき受け入れ反対者に問う!  http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36784740.html

(*6) 「無料のパンと見世物」の方が、未だ「具体的な民意」だ。