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 最初にお断りすべきだろう。この記事は、「読者諸兄に広く読んでもらおう」と書いたモノとは言い難い。むしろ私に備忘録と言うか、以って他山の石とするために仕立てた記事である。「肝に銘じる」と言うと少々大げさだが、「教訓とし、忘れるべきではない」とは考えるが故に記事とした。それ即ち、私(ZERO)自身の戒めとするためであり、ある意味「私(ZERO)の弱点が現れた」記事ともなろうが、そんなことに興味が無い向きには「読む価値のない」記事であろう。

 取り上げるのは、同様のタイトルで以前にも記事にした(※1)のと同様、東京新聞社説の日曜版【週のはじめに考える】。まずは東京新聞社説・日曜版、御一読の程を。



<注釈>



転載開始=========================================
【東京・週のはじめに考える】 「日銀引き受け」論争の真実
2012年12月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012120202000113.html

 金融政策のあり方が衆院選の焦点に浮上しています。それはメディアの「誤報」が発端でした。政権を選ぶ選挙で、あってはならない事態です。

金融政策に大きな注目が集まったのは、自民党の安倍晋三総裁が先月十七日、熊本市内の講演で語った次の発言がきっかけでした。「建設国債をできれば日銀に全部買ってもらうという買いオペをしてもらうことによって、新しいマネーが強制的に市場に出ていく」

この発言について、多くのメディアは「買いオペ」の部分を省いて「安倍総裁が建設国債の全額日銀引き受けを検討する考えを示した」といった調子で報じました。

◆買いオペは普通の手段
一見、どこがどう違うのかと思われるかもしれません。ところが、実は大違いなのです。

買いオペとは、政府が発行した国債を日銀が金融市場で買う操作をいいます。日銀にとっては、市中に流通するお金の量を調節する重要な手段になっていて、毎月のように実施しています。

これに対して「日銀引き受け」は政府が市場を通さずに直接、日銀に国債を買わせてしまう取引をいいます。安倍総裁が言ったのは「買いオペを通じて」ですから、引き受けには当たりません。

ところが、報道が独り歩きしてしまう。日銀の白川方明総裁は二十日、一般論と断りながらも「中央銀行による財政ファイナンスあるいは国債引き受けはIMF(国際通貨基金)の途上国への助言で、やってはならない項目リストの最上位」「通貨の発行に歯止めが利かなくなる」と強く批判しました。

さらに経団連の米倉弘昌会長も「世界各国で禁じ手となっている政策は無謀にすぎる」と日銀に加勢しました。こうなると大物同士のけんかですから、メディアはますます派手に報じます。

◆根拠のない空中バトル
しかしもとはといえば、安倍総裁の発言から「買いオペ」の言葉を削除し、記者が勝手に「日銀引き受け」と解釈を付け加えたのが始まりでした。いわば根拠のない空中戦のようなバトルなのです。

本紙は二十二日付で安倍総裁が「日銀が直接買うとは言っていない。市場から買うということだ」と発言を修正したと報じました。しかし本当は、全体として報道の側が正確さを欠いていました。

いまは衆院選を控えて、国民がそれぞれの政党や政治家が何を訴えているのか、目を凝らし耳を澄ませて見極めようとしている時期です。野党総裁の発言を誤って報じては国民の目を曇らせてしまう。政策の是非や賛否は別にして、こうした事態はあってはならないと思います。メディアの一員として深刻に受け止めます。

しかし一方で、この論争は思わぬ副産物もありました。日本経済が直面している難病であるデフレをどう克服するか、政府と日銀の関係はどうあるべきか、を考えさせる契機になったからです。

もしも政府が国債を無制限、強制的に日銀に引き受けさせてしまえば、白川総裁が心配するようにインフレが加速するでしょう。しかし市場で買うなら、国債の信頼失墜に歯止めがかかります。市場が「日銀は政府の言いなりだ」と判断すれば、価格が急落し警戒信号になるからです。市場を通す意味はそこにあります。

実は、日銀は国会の議決の下で毎年、政府の国債を引き受けています。ただし満期が到来した日銀保有国債残高を引き受け上限としているので、無制限ではありません。

今後は国債を買い増すなら、国債の信頼失墜を防ぎながら、どう買い続けていくかが課題になります。それは本来、日銀が考える仕事です。

そこから政治家が日銀に口出ししていいのか、という議論も浮上しました。「日銀の独立性を脅かす」論です。しかし、独立性とは日銀がどう緩和するか、政策手段に与えられたものなのです。

政策目標すなわち物価安定の目標について政治家や政府が責任をもって議論していくのは、民主主義統治の原則からいって自然な姿です。デフレやインフレで困るのは国民自身なのですから。

国債を買い増しして緩和するなら、インフレを防ぐためにも物価安定目標が重要になります。

いまは、すべての衆院議員が議員バッジを外して辞職し、あらためて国民から負託を受けようと政策を競っている最中です。金融政策の目標と手段について議論を深めるのは、むしろ望ましい。

◆政策を選ぶのは国民だ
政策を選ぶのは国民です。私たちは「ダメ」と思う候補者なら「ノー」を突きつければいい。そのためにも、私たちメディアは正確な報道と言論を肝に銘じつつ、政治家と日銀には重い説明責任も求めていきたいと思います。


=================================転載完了


「空中戦」が気を悪くするぞ

  さて、如何だろうか。

 率直に言って、朝日を筆頭とする三アカ新聞に準じる脱原発原理主義者と当ブログが断じている東京新聞が、安倍自民党総裁を擁護・弁護する社説を掲げようとは、この社説を読むまで信じられなかった。尚且つ上掲社説は、

1〉 金融政策のあり方が衆院選の焦点に浮上しています。
2〉それはメディアの「誤報」が発端でした。政権を選ぶ選挙で、あってはならない事態です。

と、「誤報のすっぱ抜き」から説き起こし、

3〉 金融政策に大きな注目が集まったのは、自民党の安倍晋三総裁が先月十七日、熊本市内の講演で語った次の発言がきっかけでした。
4〉「建設国債をできれば日銀に全部買ってもらうという買いオペをしてもらうことによって、新しいマネーが強制的に市場に出ていく」
5〉 この発言について、多くのメディアは「買いオペ」の部分を省いて「安倍総裁が建設国債の全額日銀引き受けを検討する考えを示した」といった調子で報じました。

と、その誤報の実際に触れている。社説タイトルとした「「日銀引き受け」論争の真実」に恥じない展開だ。

 続くパラグラフではその影響の大きさをまとめつつ、その誤報に基づく安倍総裁批判の虚しさを、次のように表現する。

6〉◆根拠のない空中バトル
7〉  しかしもとはといえば、安倍総裁の発言から「買いオペ」の言葉を削除し、記者が勝手に「日銀引き受け」と解釈を付け加えたのが始まりでした。
8〉 いわば根拠のない空中戦のようなバトルなのです。

 正直言って私は、本件について、その元が誤報である事も、その「誤報」の意味・意義も、この社説を読むまで知らなかった。一国民として、余りに経済に無知無頓着ではないか!」と言う批判は、甘受しなければならない。安倍総裁が本件で批難されている事は知っていたし、戦時に戦費を調達する事にしか使わないような禁じ手だとかナントカ報じられていたことも知っていた。唯、戦時の戦費調達に使われるぐらいならば、費用=金の捻出法としては前例がある、と言う事だろう。と開き直って碌に調べもしなかった。「禁じ手をあえて使うのも、政治判断の内だろう。」と。従って冒頭述べたとおり、「私(ZERO)の欠点の一つが、経済への無関心・無知である」と言う事が、白日の下に曝された格好だ。

 だが、当該東京新聞社説によると、安倍総裁の発言はそんな「禁じ手の敢行」には踏み込んでおらず、日銀の通常業務の範囲内であり、従って「戦費調達」だの「禁じ手」だのの批難は不当であるそうだ。

9〉 本紙は二十二日付で安倍総裁が「日銀が直接買うとは言っていない。市場から
買うということだ」と発言を修正したと報じました。
10〉しかし本当は、全体として報道の側が正確さを欠いていました。

と、東京新聞自身の誤報も明白に誤報と、それも社説で断じ、謝罪している。「日本の侵略を進出と書き換えた教科書がある」と誤報して国際問題まで引き起こしたくせに、判らない様にしか訂正・謝罪しなかった朝日との違いは明白だ。

 さらに、当該社説は続ける。

11〉 いまは衆院選を控えて、国民がそれぞれの政党や政治家が何を訴えているのか、目を凝らし耳を澄ませて見極めようとしている時期です。
12〉野党総裁の発言を誤って報じては国民の目を曇らせてしまう。政策の是非や賛否は別にして、こうした事態はあってはならないと思います。
13〉メディアの一員として深刻に受け止めます。

 端的に言おう。私は上掲東京新聞社説に対し、突っ込み所・反論/反駁すべき個所を、殆ど見出せないのである。それぐらい同意すべき点だらけで、「我が意を得たる」と言っても良いぐらいだ。

 敢えて、無理矢理一つだけ突っ込むとしたら・・・章題にした通り。上記8〉いわば根拠のない空中戦のようなバトルなのです。」に突っ込みが入ろう。

 知っている人は知って居ようが、近・現代戦に於いて「空中戦」は制空権の争奪戦であり、少なくとも第2次大戦以降、制空権を失って勝利した国は無い。即ち制空権の争奪戦たる「空中戦」は近・現代戦における「決戦」に近い存在であり、「根拠のない虚像を巡る空論」を「空中戦」と表現するのは、字面のイメージとしては理解できるが、「空中戦の実相」とはかなりの乖離がある。「空中戦」こそが、戦争の勝敗を決するのだから。

 まあ、イチャモンに近い突込みだ。

 それぐらい当該社説が、なんと驚くべきことに脱原発原理主義である東京新聞の当該社説が、福島原発事故を経てなお原発推進論者である私の、「我が意を得て」しまっているのである。これは、特筆大書しなければなるまい。

 と同時に…先行記事にもした所だ(※1)。「偏見・偏向ってのは怖いねぇ。」こんなに「我が意を得る」様な社説も掲げる東京新聞が、こと原発となると、脱原発原理主義者に豹変してしまうんだから。以って他山の石としよう。


<注釈>