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故人の曰く、「男子三日会わざれば、括目して見よ(※1)」と言う。ここで言う「男子」とは「ホモサピエンスのオス」や「男の子」ではなく「立派な人間、一廉の論客」と言うところ。それを「男子」と表現してしまうのは、ある意味「性差別的」かも知れないが、なーにこの世は男と女で出来ており、「ジェンダーフリー」なんてのはつい最近の『奇特な流行』にしか過ぎない(※2)のだから、故人=昔の人が「性差別的」なのは当たり前。故人が「ジェンダーフリー」だったら、古代遺跡のジェット戦闘機級オーパーツと見なすべきだろう。

 それはさておき、「男子三日会わざれば、括目して見よ」とは、「立派な人間は/一廉の論客は、日々研鑽を積んで進歩している者だから、三日も会わなかったならば如何ばかり進歩・変化しているものか、注意して会うべきである。」と言う戒め。背景にあるのは「日々の研鑽」と、「研鑽の結果としての着実な進歩・変化」であり、ある種の「進化論」とも言い得よう。その裏返しが、何度も引用している夏目漱石の小説の決め台詞・殺し文句「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」(※3)であろう。正直言って、どちらも結構耳の痛い科白だ。当ブログを開設して以来の私の主張に如何ばかりの進化・変化があるか/あったかと言うと、非常に心許ない。思い当たるのは、『ぬくぬく』さんとの議論による海上保安庁論の深化と、『阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)』さんとの議論による「サプライチェーンマネジメントの究極としての共産主義の可能性』ぐらい。で、後者については私自身は全く変化していないのだから(※4)、「『森羅万象皆我が師』と言いつつ、何たる体たらくか!」と言われれば、ぐうの音も出ない。

 だが、琉球新報は、私や当ブログなんかよりは変化・進歩するモノらしい。

<注釈>

(※1) 原文は、「士別れて三日なれば刮目して相待すべし。」で、出典は三国志演義だそうだから、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の兄弟分だな。 

(※2) 私は、「ジェンダーフリー」なんてのは、眉唾以上の噴飯ものと考えている。世に女装男子=オカマや男装女子=オナベが増えようとも、女装男子の本質は男だし、男装女子の本質は女。整形外科技術が発達しようとも、「男でも女でもない者」が増える訳ではない。
 整形外科技術がSF級に発達し、男性が妊娠でき、女性が射精出来る世の中が来たとしても、「男から女へ」或いは「女から男へ」変わる事が出来るようになっただけで、「ジェンダーがフリーになった」訳ではない。
 況や、「ジェンダーフリーな世界」を目指そうなんて奴の、気が知れない。 

(※3)  http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 「こころ」だったんだな。インターネットとは、今更ながら便利なものだ、 

(※4)「共産主義に対する新たな見方を得た」とは言えそうだが…改めて、『阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)』さんに感謝、だな。 

【琉球新報社説】】オスプレイ2ヵ月 違反繰り返し法治国家か
2012年12月3日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199869-storytopic-11.html

米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが沖縄に配備されて2カ月が過ぎたが、あまりにも多くの違反が繰り返された。日米両政府がどう言い繕おうと、データから違反ぶりは明らかだ。
飛行実態は、配備直前に日米間で急きょ取り交わした安全確保策(日米合同委合意)に反しているだけではない。普天間と嘉手納両基地の騒音防止協定にも背いているのだ。
合意違反、協定違反を繰り返して法治国家とは言えない。両政府は直ちに配備を撤回すべきだ。
既にオスプレイは本島中をくまなく飛び回っている。宜野湾市上大謝名では80デシベル以上の騒音を10、11両月で592回も記録した。80デシベルは「騒々しい工場内」に匹敵する。それを1日に10回も味わわされる住民の苦痛を、政府は想像してもらいたい。しかもその苦痛はいつ果てるともしれないのだ。
あろうことか11月19日には100・6デシベル、26日には101・3デシベルも記録した。これは「電車通過時のガード下」に匹敵する。オスプレイ配備前の主力ヘリは70デシベル台だから、騒音被害激化は明らかだ。
合同委合意は「人口密集地上空を避けて飛行」「基地内のみヘリモードで飛行」と規定するが、県に寄せられた目撃情報465件のうち市街地上空は6割に上り、しかも多くがヘリモードの目撃だ。これで「米国は合意を順守している」(野田佳彦首相)「明示的な合意違反はない」(森本敏防衛相)などとよく言えたものだ。
合意に「できる限り」などと抜け道が用意されているから、「違反ではない」という理屈だろう。一般にはこれを「詭弁(きべん)」と言う。
騒音防止協定は午後10時~午前6時の深夜・未明は飛行しないと規定するが、この時間帯の飛行も2カ月で計11回に上る。これも「運用上必要なものに制限」と抜け道を用意しているからだろう。
沖縄の空の無法状態は歴然としている。主権国家であるなら日本政府は毅然(きぜん)と対応すべきだ。
忘れてならないのは、そもそもこの配備が私たち県民の明示的な総ぐるみの反対を押し切ってなされたことだ。騒音が多少減れば済む話でもなく、合意を守れば済む話でもない。
本来、この空に何を飛ばすかは県民が決めることだ。県民は「空の主権」を放棄してはいない。それを否定するなら、両政府は民主主義の標榜(ひょうぼう)をやめてもらいたい。


=================================転載完了

【問題】 当該琉球新報社説に見られる、「琉球新報の変化」を答えよ


 さて、如何だろうか。当該琉球新報社説と、章題にした【問題】は。

 【解答】は、恐らく一通りでは無かろう。私の気づかなかった「変化」だってあるかも知れない。まずは読者諸兄なりの「解答案」を作ってから、この先を読んで頂きたい(※1)。



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 それでは「解決編」でもなければ、「模範解答」とも言い難いが、私なりの「解答案編」と行こうか。

 私が当該琉球新報社説に「変化」を認めたのは、相変わらず狂信的なまでのオスプレイ反対論ながら、その反対理由に「オスプレイの危険性/安全性」を全く挙げず、大半は騒音について述べるのみ。最後のパラグラフで「県民の空の主権」なるものを持ち出しているきりだ、と言う点である。
 「オスプレイの危険性/安全性」については、やれオートローション機能の欠如だの、リボロ氏はじめとするアメリカの専門家の説だの、ひと頃凄まじかったが、沖縄二紙の片割れ沖縄タイムスが「崩れる安全神話」と銘打っての署名入り短期連載記事でモノの美事に「オスプレイ安全神話」を崩しそこない(※2)、同連載の柱を為した「アメリカのオスプレイ配備に反対する専門家」リボロ氏が「沖縄配備のオスプレイは、従来型ヘリよりも安全」と認めてしまったんだから、オスプレイ危険説」は完全に破綻している。上掲社説に見られるとおり、琉球新報がその「オスプレイ配備反対社説」にオスプレイ危険説」の「」の字さえ言わなくなったのは、この「オスプレイ危険説破綻」を認めたものと期待でき、それ故に、タイトルにもした通り「長足の進歩と言うべきか」と評した訳である。三日よりもずいぶん長い事懸かった様だが、括目してみる価値はあったのか、と。

 だが、そんな「長足の進歩」=「変化」も、琉球新報の本質=アカ新聞=反米・反軍ヒステリーを変えることは無いようだ。上掲社説からして、今度は騒音だ(※3)、とばかりに騒いだ上、安全確保策や騒音防止協定に対する「違反」をあげつらった挙句に、次の一節で当該社説を〆る。

1〉 忘れてならないのは、そもそもこの配備が私たち県民の明示的な総ぐるみの反対を押し切ってなされたことだ。
2〉騒音が多少減れば済む話でもなく、合意を守れば済む話でもない。
3〉 本来、この空に何を飛ばすかは県民が決めることだ。県民は「空の主権」を放棄してはいない。
4〉それを否定するなら、両政府は民主主義の標榜(ひょうぼう)をやめてもらいたい。

 なんと凄まじい「地方分権意識」である事か。否、地方エゴないし独立論とさえ呼ぶべきかもしれない。

 国防は国の問題であって地方の問題ではない。国防上必要な飛行を行うのに、「県民の許可」なぞ、必要ない。ソリャ「ある」に越したことはなかろうが、「ない」としても特に困らない。況や沖縄は対中国の最前線だ。部隊も訓練も集中するのが道理で、それが民主主義国家であろうとも、「県民の民意」に掣肘される謂われは、基本的に、無い。

 第一、琉球新報の言うところの「民意」が10万人を集めたと称する県民大会の決議を指すならば、その決議そのものが破綻した「オスプレイ危険神話」に依っている以上、県民大会決議は根拠を失っている。従って、少なくとも今や「オスプレイに反対する沖縄県民の総意」などと言うものは、何処にも示されていないのである。

 尚且つ…散々書いてきたとおりだ。危険なオスプレイの沖縄配備(だけ)反対」と言う沖縄の主張は、「オスプレイに登場する米軍人も、沖縄以外の基地周辺住民も、いくら死のうが知った事ではない」という公言・断言・宣言だ。10万人を集めたと称する「沖縄県民大会決議」も、それを「民意だぁぁぁ!」と盾にとっての琉球新報のオスプレイ配備反対論も、恥ずかしいやら、情けないやら、なんとも言葉が無い。

 「オスプレイ危険説」が崩れたと認めるならば、それを前提とした「沖縄県民大会決議」をまず否定し、改めて、騒音なら騒音に基づく「オスプレイ配備反対決議」を為す。それこそが、「正しい民主主義」ではないのかね。誤った認識に基づく決議を、誤りと知りつつ維持続行するのは、「手続きとしては民主的」ではあったかも知れないが、愚挙にして暴挙以外の何物であろうか。

 如何に、沖縄県民。


<注釈>

(※1) この手法、この構成は、ミステリ「エラリー・クイーン」シリーズを参考にしている。読んだことあるのは一つ、二つの筈だがね。アイザック・アシモフの「ユニオン・クラブ綺談」も同じ構成か。こっちは翻訳されたのは一通り読んだつもりだが。 


(※3) 低周波の「て」の字も言わなくなったのは、配備して2ヶ月でなんとか「騒音が従来ヘリより大きい」データが取れたから、だろう。それまでは「低周波では従来ヘリを上回っている!」と騒いでいたのだから間違いない。「オスプレイの軽微な事故率は他の機種より高いぃぃぃっ!」と「重大事故率は低い」にも拘らず騒いでいたのと、同じ原理だろう。要は「オスプレイのあら捜しによるイチャモン付け」。ヤクザ、強請、集りの所業だ。ソリャ「強請の名人」とも言われようさ。